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番外編 ある朝、万紅雪の苦難

 見せつけてるのか――? 「ふざけた野郎だ」  万紅雪は静かに憤っていた。  逞しい背中には下卑た蛇がいくつもからまり、その鱗に弱々しい引っ掻き傷が赤く目立っている。腕や首筋にも女らしき相手のしがみついた情痕が刻まれ、羅冴流の奉仕がどれほど心を狂わせたのか見せつけられるようで万紅雪は怖気立った。 「服ぐらい着るべきだろ……」  羅冴流の腕の下にはすっぽりと薄い布に隠された美しい人が、昨晩の荒々しい情事を漂わせるように黒髪を乱したままで、羅冴流の太い手足がその華奢な身体を強く抱き込んでいる。まるで温もりを掻き込むように大事そうに。  目が覚めるのを待つべきか?  万紅雪は一瞬過ったが、構うものかと大きく咳払いをした。 「羅冴流……」  しかし先に女が目を覚ましたら、どんな顔をすべきか。衣服は部屋中に脱ぎ散らかされて、ほぼ半裸なはず。そんな寝起きの女とどんな会話を? 万紅雪は思わず口を閉ざす。  やはり出直そう。背を向けたとき、羅冴流の低い声が届いた。 「……くそ」  ――くそだと? 開口一番にそれか。この男はまるで礼儀をしらない。万紅雪は怒鳴り込む勢いで振り返った。 「あんた、首魁だって寝坊は一度もしなかった。それなのに一体どんな神経を? 人を呼びつけておいて自分は女と寝てるとは呆れる」  けれど万紅雪の存在に気づいているのかいないのか、羅冴流は面倒事を予感したように呟いた。下の翳りを隠すこともせず、どっさりと足を投げ出して天井を仰ぐ。 「途中から記憶がない……」  人の話など聞いてもいない。万紅雪は怒髪天をつくほどの怒りに戦慄いた。 「こんなこと、二度目はないからな。その女、さっさと返して用件を言えよ」 「女?」  ようやく羅冴流が万紅雪を睥睨し、今し方胸の下に抱きしめていた人物を一転、優しく見おろす。 「これが女に見えるのか?」  たしかに薄絹に包まった姿は、ひょっとすると少女より狂おしい香りを放っている。  羅冴流はその芳気にあてられたのだろう。意識をとばすほど夢中になってしまうなんて。  年は二十歳ほど。下の翳りも立派に繁っているし、記憶がないはずなのに、雄々しくそそり立つ彼の羞恥をなぶったことも、彼の身体に埋められた快楽を暴くのもいいものだった……  重ねた肌が女のものよりいいなどと、羅冴流は思わず顔を覆う。 「……良かったことだけは覚えているが」  どんな顔をしていただろうか。嫌がっていたか。それとも泣き叫んでいたか。引きつったような泣き声は薄らと覚えている。あの苦しげな声がさらに情欲を掻き立てたとは自分でも思わない。  身体の自由を奪われ、快感さえ思うように得られない無乃の、期待に甘くかすれた声。笑みの裏に本心を隠してしまう無乃が、こらえようもなく淫らに腰をうねらせる姿といったら…… 「……浸るなよ」  万紅雪が呆れた目つきで羅冴流をみる。  その羅冴流の隣で寝返りをうった人物が、目元を涙で赤くさせた無乃だと気づくと、万紅雪はさらに苦悶の表情を浮かべた。  相手は、女でさえない。  しかも悪逆無道の極悪人と名高い無乃。晩景門の元主座で、のらりくらりとかわすような相手。 「……それを、どうすれば手込めにできるっていうんだ……?」  やはり、こいつは晩景門の主座になりすましているだけなのかもしれない。もし彼が本物なら、手込めにされているのは羅冴流の方だろう。万紅雪は大きく息を吐き出した。  そんなことよりも、要件だ。忙しい中わざわざ出向いてやったのだから、それを聞くまで帰るわけにはいかない。 「今度は俺に、何をさせようって? 別に従うわけではないが」 「徐明について調べてくれ」  万紅雪は断れない代わりに舌打ちをした。 「いい気になりやがって」  散々顎で使う気なのだ。羅冴流が荷華幇の幇主というだけの理由で断れないわけではない。だからこそ万紅雪を悶々とさせている。  こいつが羅将軍と無関係なら、性格の合わない男だ、協力をするはずがない。恩がある将軍の顔を立ててやるだけ。万紅雪はギリギリと奥歯をかみしめ、首魁へのちょっとした恨みが募っていくのだった。

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