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湯の神との出会い⑤

 凪が湯玄と出会ってから二年の月日が経った。  あれ以来、凪が湯玄と再会することはなく、赤色と青色の狛犬が動き出すこともない。あの美しい湯の神との出会いは、夢だったのだろうか? あまりに変わり映えもなく続いていく生活に、凪はそう思ってしまうくらいだ。  しかし、湯玄に会った時の胸の高鳴りや、温かくて逞しかった腕を凪は忘れることができずにいた。  それでも凪はあの頃よりも大分背も高くなり、顔つきも大人っぽくなった。 「あー! 今日もいい天気だ」  大きな暖簾を持ち、深く深呼吸をする。  いつもと変わらず腐った卵の匂いがするのと同時に、甘い香りが凪の鼻腔をくすぐった。甘い香りの正体は、宿屋の玄関の近くに咲いている姫椿(おとめつばき)だ。  寒い時期に薄紅色の可愛らしい花をつける姫椿は、この旅館の名物でもある。昨日降った雪の綿帽子を被り、朝日にきらきら輝くその姿はとても可憐だ。凪はそんな姫椿を見て思わず目を細める。寒い時期にも関わらず、こんなにもたくさんの花をつける姫椿の木が、とても頼もしく感じられた。 「よし、今日も頑張るぞ」  凪が呟いた瞬間。腰のあたりに違和感を感じ、ぞわぞわっと虫唾が駆け抜けていった。 「凪、おはようさん。今日もべっぴんさんだなぁ」 「ちょ、ちょっと、いきなり何すんだよ⁉」  宿の入口に暖簾を掛けている凪の腰をいやらしい手つきで撫でるのは、数件先にある呉服屋の店主をしている和助(わすけ)だ。だらしなく垂れさがった和助の目尻を見るだけで、その気色悪さに吐き気がこみ上げてくる。  凪は和助の手を払い除けながら睨みつけた。 「俺はあんたの孫くらいの年だろう? そんな俺の体を触るなんて、本当に根性が曲がってんなぁ!」 「いやいや、お前さんは本当に綺麗な面をしているからな。できたらワシの小姓にしたいくらいだ」 「はぁ? ふざけんなよ。気色悪ぃ……」  懲りずに体に触れようとするものだから、背中を寒気が走り抜けていく。「変態じじぃが!」と思わず声を荒らげてしまった。  そんな凪を見た和助が、心外だ……と言わんばかりに眉を寄せる。 「凪は黙っていれば天女様のようにべっぴんなのに、どうしてそんなに口が悪いんだ? その気の強さが、お前の全てを台無しにしちまってるよ」 「黙れ! 勝手に人の体を触っておいて、それはねぇだろうが?」 「はぁ……お前にもう少し可愛げでもあれば、金を工面してやってもいいんだぞ?」 「金? なんだよ、それ……」 「最近は源泉も枯れてきて、湯量も減り、どんどん温泉もぬるくなっちまってる。そんなんじゃ、椿屋も客足が遠のく一方だろう? だからこのワシが、潰れそうな椿屋を立て直してやろうっていうんだよ」  凪は大きな目を見開いて、再び和助を睨みつける。そんな凪を見た和助が厭らしく唇を吊り上げた。その仕草はまるで舌なめずりをしているかのようで、凪は顔を引き攣らせる。 「凪よ。お前は本当にべっぴんさんだなぁ」 「どこまでも気色の悪いじじぃだ……」 「悪いようにはせんから、大人しくワシの言う通りにせい」  凪は湯滝村でも有名な美丈夫だ。絹糸のように細い銀の髪は朝日にきらきらと輝き美しい光を放つ。肌は蝋のように白く透き通り、真ん丸な瞳はよく晴れた日の空のように青い。  その姿は、まるで絵物語から飛び出してきた天女のようだ……村人達はそう噂している。  そんな美しい凪を一目見ようと、わざわざ椿屋に足を運ぶ者さえいるほどだ。今や凪は椿屋の看板のような存在でもある。 「どうだい、凪。今夜あたり……痛いッ!! 何をするんだ‼」 「薄汚い顔を近付けんな、狸じじぃが。俺は死んでもあんたなんかに体を許さねぇよ」 「なんだと……」 「それに、源泉はまた蘇る。湯玄様がいる限り、源泉が枯れることなんかねぇよ。俺は湯玄様を信じてる」  そう自分に言い聞かせるように呟いてから、凪は少し離れた小高い丘を見つめる。凪の視線の先には古びた神社がひっそりと佇んでいた。  凪の視線の先にあるのは湯花神社(ゆばなじんじゃ)。この神社の中には源泉があり、湯滝村の観光名所になっている。  湯花神社は古くから伝わる神明造りという建築形式で、檜の素朴造りというのが特徴的だ。  屋根の棟木(むなぎ)を支える棟持柱(むなもちばしら)をはじめ、全ての柱は足もとに礎石を置かず、直接土の中へ埋め込む掘っ建て柱となっているその造りは、穀物を保管しておく高床式倉庫を彷彿させる。  その佇まいは、参拝に来た人々の心を穏やかにするのと同時に、まるで神秘の世界へと誘われてしまいそうなほど幻想的な雰囲気を持ち合わせていた。  そんな湯花神社のすぐ隣には、見上げるほど大きな滝がある。その水の勢いは、辺りの音を全て掻き消してしまうほどで、滝壺に落下した水が水けむりを巻き上げ神秘的な風景を醸し出していた。  しかし、この滝は普通とは違い百度近くある温泉が流れ落ちている。滝の上には泉源があり、そこから温泉が湧き出ているのだ。  滝から落ちた温泉は湯花神社の中庭を流れ、湯滝村の真ん中を通る川となる。そして凪の両親が営む椿屋や他の宿屋へと運ばれていくのだ。  そんな湯花神社に祀られているのが、湯の神である湯玄だ。湯玄は湯滝村に温泉を恵んでくれる神として、古くから信仰の対象とされている。  年に一度『湯祭り』という盛大な祭りが開かれ、温泉地としての更なる発展と、豊作が祈願されるのだ。こうして、湯滝村は有名な温泉地として、全国各地から訪れる客が後を絶たない。  しかし、和助の言う通り、ここ数カ月前から源泉の湯量が減ってきていることは事実でもある。 「湯玄など、あてになるものか。現に源泉の湯が減り始めている。もしかしたら、このまま源泉が枯れてしまうかもしれないぞ?」 「おい、湯玄様を侮辱するのだけは許さねぇぞ」 「そんなことより、凪よ……」 「本当に、ふざけんなよ!」 「わっ! な、何をするんだ」  懲りることなく凪の腰に手を回そうとする和助の肩を勢いよく突き飛ばせば、和助は体勢を崩して無様に尻もちをついてしまった。 「俺は湯玄様を信じてる。だから源泉が枯れることも、椿屋が潰れることもねぇよ! わかったらさっさと帰りな!」 「小童が、こっちが下手に出れば調子に乗りやがって……。ちょっと見た目がいいからと言って調子にのるなよ!」  和助は茹で蛸のように顔を真っ赤にさせながら、捨て台詞を吐いて逃げ出してしまう。そんな和助を見て、凪は大きな溜息をついた。 「顔はいいのに、口が悪くて性格がいけ好かないなんて、言われ慣れてるんだよ。馬鹿が!」  凪はそんな和助に向かって舌を出したのだった。

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