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椿屋の珍客たち⑤
「なんで湯玄様は俺の部屋で寝るんだよ⁉」
「当り前だろう? 私たちはそのうち夫婦となるのだ。寝床を共にするなんて当然のことだ。そんなことより、もっと端に寄ってくれ。狭くてかなわん」
「なにも椿屋に泊まることなんてないだろう? 湯花神社に帰って寝ればいいじゃん!」
「そんなつれないことを未来の夫に向かって言うではない」
部屋に敷かれた一組の布団に凪が横になれば、湯玄まで入り込んできてしまう。夜は湯花神社に帰るものだと思っていただけに、凪は度肝を抜かれてしまった。
大体、一人用の布団に男二人が一緒に寝るなんて狭くて仕方がない。湯玄は大柄だから、更に狭く感じられた。
「わかった! じゃあもう一組布団を持ってくるから少し待ってろよ」
「何を言う。抱き合って寝れば大丈夫だ。ほら凪よ、私にくっつくがいい」
「ちょ、ちょっと待って!」
もう一組布団を取りに行こうとした凪は突然腕を掴まれ、無理矢理布団の中に引き戻されてしまう。凪が狭い思いをしないようにと気を遣ってくれているのか、ぎゅっと体を抱き寄せられた。体と体に隙間がないくらいに寄り添えば、湯玄の体温と自分の体温の境目がわからなくなってきそうだ。
「ほら、大丈夫だろう?」
「全然大丈夫じゃねぇ……」
湯玄の吐息が髪にかかって擽ったい。綺麗に筋肉がついた腕を枕にすると、硬くて少しだけ寝心地が悪い。自分の心臓は張り裂けそうな程高鳴っているのに、聞こえてくる湯玄の心音はさざ波のように穏やかで……凪はそれが悔しかった。
「凪」
そっと名を呼ばれた凪は、全身が飛び跳ねる。顔を上げることが怖くて、きつく目を閉じて唇を噛み締めた。
「顔を上げるんだ凪。その可愛らしい顔を見せてみよ」
「…………⁉」
急に上を向かされた凪は、湯玄と無理矢理視線を合わせられる。目睫の間にこの世のものとは思えないほど麗しい顔があり、凪の心臓が止まりそうになった。
「もう少しだけ我慢していようと思ったが、もう無理そうだ」
「……え?」
「凪、其方と口付けがしたい」
「いや、嫌だ」
「こら、顔を背けるではない」
嫌々をするように首を横に振ると、凪を宥めるかのように髪を梳いてくれる。その手つきがあまりにも優しくて、凪は泣きたくなってしまった。
「よいか? 口付けするぞ?」
緊張から凪の体が小さく震える。目の前の湯玄がそっと瞳を閉じたから、凪も恐る恐るそれに倣う。
――怖い。恥ずかしい……。
覚悟を決めたはずなのに凪の心が大きく揺れる。以前遊女に教えてもらった床入りの作法を必死に思い出そうとしたのに、少しずつ近付いてくる湯玄の顔を見るだけで頭が真っ白になってしまった。
湯玄の温かい吐息が顔にかかった瞬間……。
「お、おい、湯玄! 凪さんが、嫌がってるではないか!? 凪さんから離れろ!」
「チッ、いいところだったのに……」
湯玄が苦虫を噛み潰したような顔になる。
凪の部屋にある押し入れの襖が勢いよく開き、飛び出してきたのは一人の男だった。
「ちょ、ちょっと、なんで押し入れから人が⁉」
それを見た凪は驚愕してしまう。この男はいつからこの部屋にいたのだろうか? そもそもこの男の正体は? もしかして強盗かなにかだろうか? 凪の頭の中を色々な考えが駆け巡り、恐怖から言葉すら発することができなくなってしまった。
「な、凪さんから離れろ……! ゆ、湯玄! な、凪さんを虐めたら、この僕が許さないぞ……!」
「あー、わかったわかった。もう夜も遅い。静かにしてくれ」
湯玄は凪から体を離し、耳を抑えながらドカッと胡坐をかく。そんな湯玄から凪を庇うように、男は凪の前に立ちはだかった。しかし、よく見るとその男の肩が小刻みに震えている。
凪は男の様子を窺うためにそっと顔を覗き込んだ。男は凪よりかなり年上だろう。目を覆う程伸びた前髪に、色褪せた着物を着ている。お世辞にも清潔とは言えないこの男の登場に、凪は思わず湯玄に「助けて」という視線を送ってしまった。
「お前の神力には気付いていたが、まさか凪を助けるために飛び出してくるとはな。どういう風の吹き回しだ、貧乏神よ」
「はぁ!? 貧乏神……⁉」
凪は愕然としてしまう。椿屋には疫病神だけではなく、貧乏神までいたとは……まさに寝耳に水だ。役病神の「この宿には、わし以外にも珍客がおるようじゃ」という言葉が、ようやく凪は腑に落ちたのだった。
「ぼ、僕は、ずっとこの押し入れの中から凪さんを見守ってきた。それに、僕はもう長いこと凪さんに思いを寄せているんだ。それを突然出てきた泥棒猫に、凪さんを渡せるものか⁉」
「ず、ずっと押し入れにいたの!?」
凪のことを庇ってくれるのは嬉しいが、この男の言動に凪は寒気を感じてしまう。ずっと押し入れの中から、自分のことを見ていた……考えただけで、凪の背筋を冷たいものが流れていった。
「ずっと見守ってきたなんて悪趣味な野郎だ。ただの覗き見だろうが?」
「ち、違う! この思いが実らなくてもいい。凪さんを見ていられるだけでよかったんだ!」
「だから、それが悪趣味だって言ってんだよ。もう少しで口付けできるところだったのに、邪魔しやがって……。これから続きをするから、さっさと押し入れに戻れ」
「ふざけるな! 凪さんに手を出したら許さないぞ!」
湯玄が「あっちに行け」と言わんばかりに、しっしと手を振ると、激昂した貧乏神が声を張り上げた。
「凪さんは僕のものだ!」
「貧乏神が他人を幸せにできるのかよ?」
「できるさ! 僕が凪さんを幸せにしてみせる」
「それは残念だな。凪は近い将来私の花嫁となるのだ」
「ふざけるなよ、湯玄……」
湯の神と貧乏神の口論を凪は呆然と見つめた。押し入れの中には知らない人が住んでいて、ずっと自分を見守ってくれていた。しかも、その相手は自分に好意を寄せている……。
凪は、もう何が何だかわからなくて、その場から逃げ出したくなってしまう。
開いた口が塞がらない凪を、湯玄は自分のほうに抱き寄せた。今にも泣き出しそうな顔で湯玄を見つめると「大丈夫だ」と優しく頭を撫でてくれる。そんな湯玄の笑みに、凪は胸を撫で下ろした。
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