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椿屋の珍客たち⑥

「ならば……」  貧乏神が意を決したように口を開いた。 「凪さん。湯石をお持ちですよね?」 「湯石? あ、うん、持ってるけど……」 「それを少しだけ僕に貸してもらえませんか?」 「……でも……」 「大丈夫です。すぐにお返しします。癪に障りますが、少々湯玄の力を借りようと思いまして」  貧乏神の言葉に不安を感じた凪がそっと仰ぎ見ると、湯玄が静かに頷く。凪は枕元に置いてある湯石を、そっと貧乏神に手渡した。 「ありがとうございます。湯玄、少しだけ貴方の力をお借りしますよ」  そう呟いた貧乏神が湯石を両手で包み、額に押し当てた時……湯石が眩い光を放つ。光は貧乏神を包み込み、その姿が一瞬凪の視界から消えた。あまりにも眩しい光に目がくらんでしまった凪は、両手で顔を覆う。 「凪、私から離れるな」 「わかった」  そんな凪を庇うかのように湯玄が肩を抱いてくれる。  辺りに暗闇が戻り、静まり返った室内には先程から降り出した雨音が聞こえてきた。 「凪、もう大丈夫だ。目を開けてみろ」 「うん」  凪が恐々と目を開けると、優しい笑みを称えた湯玄がいる。その表情に、一気に肩の力が抜けていった。 「見てみろ。あれが貧乏神の本当の姿だ」 「え? 嘘、だろう……」 「奴の本当の名前は大国主命(おおくにぬしのみこと)。商売繁盛の神とされている」 「商売繁盛? だってあの人は貧乏神じゃ……」 「もともと高貴な神だったが、神力が衰えてしまい元の姿を留めておくことができなくなったんだろう。しかもこの宿には疫病神がいたから、あのじじぃの影響も受けちまったのかもしれないな」 「そっか……それにしても、これじゃあまるで別人だ」  凪の目の前にいる男は、貧乏神の面影は全く残っていなかった。長い前髪を後頭部で綺麗に束ねて、身に着けている着物も美しい黄金色の絹織物に変わっている。 「よかった。湯玄の力を借りてようやく元の姿に戻ることができました」  そう言いながら優しく微笑む姿は、思わず見とれてしまうような整った顔立ちをしていた。 「ちょっと待てよ。神様って、みんな美形なのか?」  思わず唸り声をあげてしまう程の変わり様に、凪は大きく息を吐いた。 「凪さん、改めまして。僕は商売繁盛の神、泰富(やすとみ)と申します」  泰富と名乗った男は丁寧に頭を下げる。彼が動く度に、黒々とした漆のような髪がサラサラと揺れた。見るからに優男の泰富が微笑むと、何とも言えない愛嬌があり、彼が商売の神であることに納得してしまう凪がいる。  泰富は、大事そうに小槌を抱えていた。 「貧乏神の本当の姿って、こんなにも綺麗だったんだな」 「ありがとうございます、凪さん」  泰富はにっこり微笑んだ後、突然凪の両手を握り締める。つい先程までびくびくしていた態度はどこへやら……一気に凪との距離を縮めてきたものだから、思わず身構えてしまった。 「ずっとこうして凪さんとお話してみたいと思っていたし、触れたいと願っていました。その夢がようやく叶い、僕は本当に嬉しいです」 「はぁ……」 「凪さん。もし貴方が僕と結婚してくれるのであれば、この椿屋が商売繁盛するように、この泰富がお力になります」 「え? 本当に?」 「はい。この宿は僕がいる限り、商売繁盛間違いありませんから」 「凄い……泰富様って凄いんだな! あのさ……」 「おい! 調子にのるなよ、泰富。私の神力に頼ってようやく元の姿に戻れた分際で、人の花嫁を誘惑するな」  泰富の言葉に目を輝かせていた凪は泰富から引き離され、再び湯玄の腕の中に捕らえられてしまった。 「凪は私のものだ。わかったならさっさと出て行け」 「それは凪さんが決めることだろう?」 「口の減らない野郎だ。凪だって、私のほうがいいに決まっているだろう? なぁ、凪よ」  湯玄に睨みつけられるような視線を向けられた凪は戸惑ってしまう。そんな凪の気配を察した湯玄が眉を顰めた。 「凪、まさか其方……」 「だってさ、泰富様がいれば椿屋は商売繁盛するんだろう? それはそれでありがたいじゃないか? 商売繁盛の神様がいてくれるなら、こんなに頼もしいことはないし……」 「凪さん、では僕と……!」  凪の言葉を聞いた泰富の顔がぱぁっと明るくなった。そんな二人のやり取りを見ていた湯玄は渋い顔をしながら、更に強く凪を抱き締める。そのあまりの力強さに、凪は顔を顰めた。 「今日はもう寝るぞ。私は一日一生懸命働いたから疲れているんだ。泰富はさっさと押し入れに戻れ!」 「しかし、まだ凪さんの返事を聞いていない……」 「いいから戻れ!」  湯玄が強引に泰富を押し入れに押し込み、険しい表情で凪を睨みつける。そのあまりにも鋭い視線に、凪の体が強張った。 「凪よ、私は一度湯花神社に戻る」 「え? 一緒に寝ないのか?」 「今宵はもうよい……興が冷めた」  凪が湯玄の顔を覗き込むと、子供のように不貞腐れた表情をしている。そのどこか寂しそうな顔に、凪の心が痛んだ。 「また明日来てくれる?」 「……多分な」 「多分って……湯玄様、何か怒ってるのか?」  明らかに不機嫌そうな湯玄を見た凪は強い不安に襲われる。自分が湯玄を怒らせるようなことをしてしまったのだろうか……凪は湯玄の腕にしがみついた。 「凪、其方は私の花嫁だろう?」 「だから、それは……」 「それなのに、商売繁盛の神と聞いた瞬間、泰富などに嬉しそうな顔をしよって……」 「別に嬉しそうな顔なんかしてねぇし」 「其方は、湯の神より、商売繁盛の神のほうがいいのか?」 「なんだよ、それ」  湯玄が今までに見せたことのないような寂しそうな顔をしたものだから、凪は一瞬言葉を失ってしまう。そして悟った。  ――あぁ、湯玄様は泰富様にヤキモチを妬いているんだ。  想像もしていなかった湯玄の反応に、凪はどう反応を返したらいいのかがわからず立ちすくむ。元々恋愛経験なんてないに等しい凪には、こんな時にどう言葉をかけたらいいのか……などという知識もなかった。  凪の部屋から出て行こうとする湯玄に「待って。行かないで」と声をかけることもできずに、凪はそっと唇を噛み締める。  湯玄が出て行ってしまった部屋には冷たい風が吹き込んで、凪はブルッと身震いをした。

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