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神様との喧嘩④
虎徹に勇気をもらった凪は、湯花神社に向かって走り出す。
「湯玄様にちゃんと謝ろう。そして、もう一度椿屋に戻って来てって、お願いするんだ」
凪は素直にそう思えるようになっていた。どちらが悪いとか、どちらが正しいとか言っていたらきりがないなんてことはわかりきっている。意地を張っていた凪の背中を、虎徹がそっと押してくれた。
椿屋から湯花神社までは大分距離がある。凪は息を弾ませながら湯花神社へと向かった。
しかし境内に足を踏み入れたところで、凪はある光景を見つけ、足を止めてしまう。
「なんだ、あの人……」
凪の視線の先には、一人の男がひっそりと佇んでいた。辺りはすっかり暗くなり、境内の中は滝を照らす心許ない行燈がいくつかあるだけ。そんな暗闇の中、淡い色の着物を着た人物が黙って立っている姿に、凪は背筋が凍り付くのを感じた。
「もしかして、幽霊とか……」
全身からさっと血の気が引いていき、手足が氷のように冷たくなっていく。体がカタカタと震え出した。
男に気付かれないようにそっと後ずさろうとした時、男が凪の存在に気付いたようでこちらを向く。その瞬間、凪は腰を抜かしてしまいなそうなほど驚愕してしまった。
「あ、凪。久しぶりだね」
「あんたは……」
乱れた呼吸を整えながら目を凝らすと、以前炊事場で出会った亜麻色の髪色をした男だった。
会っていきなり「僕の花嫁になってほしい」と凪を口説いてきた人物。正直に言って、そんな男に良い印象があるはずなんてない。相変わらず、女性のように美しい容姿をしているものの、得体のしれない存在に凪は眉を顰めた。
――でも、よかった……。とりあえず幽霊じゃなさそうだ。
心の底から安堵した凪は、その場に座り込んでしまいそうになるのをなんとか堪える。
大体、こんな夜遅い時間、しかも神社で何をしていたのだろうか? 普通なら、夜の神社など気味悪がって近寄らないのが普通だろう。謎に包まれたその男に、凪は恐々と声をかけた。
「なぁ、こんな夜遅くに何をしてるんだ?」
「え? あぁ、うん。福寿草が綺麗だな……と思って見ていたんだ」
「福寿草?」
「うん。僕が昔住んでいた村にもたくさんの福寿草が咲いていたんだ。湯花神社に咲いている福寿草は黄色だけだけど、僕が住んでいた村には黄色以外にも、赤色や紫色、それに白い福寿草もあったんだよ。だから、境内に咲いている福寿草を見たら、懐かしくなってしまってね」
「だからって、こんな夜に……」
湯花村の神社には福寿草が可愛らしい花を咲かせている。福寿草は縁起のいい花とされており、その可憐な姿は村人たちからも愛されていた。
湯滝村には毎日雪が降り、春の到来はまだまだ先だ。そんな中、雪を掻き分けて芽を出し、花を咲かせる福寿草の生命力には感動すら覚えてしまう。だからと言って、こんな夜中にわざわざ福寿草を見に来るなんて……。
やっぱり怪しい。凪は顔が強張っていくのを感じる。再び恐怖に駆られた凪は、心細くなってしまい湯玄に会いたいと思った。きっと湯玄ならば自分を助けてくれるはずだ……何の根拠もないのだけれど、そう感じていた。
湯玄は源泉にいるに違いない、と静かに男に背を向けて源泉に向おうとした時「ちょっと待って」と男に声をかけられる。なんなんだよ……凪が渋々振り返ると、大きな満月を背に微笑む男と視線が絡み合った。
「君、湯玄と喧嘩したんだって?」
「え? なんでそれを……」
「ふふっ。さっき空を飛んでいた烏が教えてくれたんだよ」
「烏が?」
「そう。古来より、烏は神の遣いとされているからね。もしかして仲直りをしにきたのかい?」
男が顔を綻ばせると、その艶っぽさに凪は思わず鼓動が高鳴るのを感じる。怪しい雰囲気を纏っているが、それさえもこの男の魅力に感じられるから不思議だ。
「あんな男はやめて僕にしたら? 僕だって、湯花神社の源泉を復活させてあげることができるんだよ」
「え? あんたも湯の神様なのか?」
「あぁ、昔はね。僕が住んでいた村も、たくさんの温泉に溢れていた。今は温泉も枯れ果てて、村も廃れてしまったけどね」
「そんな……」
「でも、君が持っている湯石と、君の力があれば、源泉を元通りにすることができる」
寂しそうに目を細める男の笑顔は透き通るように綺麗で、凪は視線を逸らすことさえできなくなってしまう。
「僕も湯の神だった頃にはたくさんの湯石を持っていた。だけど、村の源泉を枯らさないために持っていた全ての湯石の力を使い果たしてしまったんだ。それでも力及ばずで源泉は枯れ果て、僕は神力さえも失った」
「湯石を全て……それでも、駄目だったのか?」
「うん。残念ながらね。だから、凪。僕の花嫁になって、もう一度僕に湯の神としての力を授けてほしいんだ」
「そ、そんなこと突然言われても、俺にはそんな力なんてねぇよ!」
「そんなことはない。君は僕が知っている今までの花嫁とは違う。何か特別な力を持っているように感じるんだ。ほら……」
男が凪の髪をそっと撫でると、着物の懐にしまわれた湯石が熱を帯び始める。それはいつの間にか、火傷をしてしまいそうなほどの高温となった。更に、先程まで雲の糸のように細かった滝が、一気に湯量を増しバシャバシャと音をたてて落ち始める。その光景に、凪は思わず目を見開いた。
――この男、本当に湯玄様と同じ、湯の神様なんだ。
凪は咄嗟に男の顔を見上げる。この湯石があれば、相手が湯玄でなくとも源泉を復活させることができるんだ……凪はそんな事実に強い戸惑いを感じた。
凪が呆然と見つめていると、男がクスクスと楽しそうに笑う。
「もっと凪に触れさせてくれたら、源泉のお湯を更に増やしてあげられるよ」
「え? でも……」
「体に触れるのはもちろんだけど、口付けをしたり、僕が凪を抱けばもっと源泉から湧き出る湯量は増える」
「口付け……抱く……?」
「それとも、そんな相手は湯玄じゃなければ嫌なのかな?」
男が艶っぽく口角を上げる。細い綺麗な指先で頬を撫でられた凪は、体が火照り出すのを感じた。
「凪、湯玄ではなくて僕の所にお嫁においで? 僕だったら、喧嘩になんて絶対にならないよ。だって凪を大切にしたいから。ねぇ、凪。結婚しよう?」
「おい、待て⁉」
男にそっと耳打ちされたとき、まるで天が引き裂かれたかのように怒声が響き渡る。大地に雷が落ちたかのように地響きが起こり、立っているのもやっとだった。
次の瞬間、まるで獣のような雄たけびをあげながら、湯玄が現れる。そのあまりの迫力に、凪は目を見開き言葉を失った。
湯玄の頭にはピンと反り返った耳がついており、尻から生えた尾は箒のように太くなっている。その姿は、怒り狂った獅子のようだ。
「おい、湯庵 ⁉ 俺の花嫁に何をしている⁉」
「はぁ……。湯玄め、もう気が付いたのか。相変わらずの地獄耳だな」
湯玄に湯庵と呼ばれた男が小さく溜息をつきながら、凪からそっと体を離した。
「凪、寂しくなったらまたいつでもおいで? 僕が慰めてあげるから。君は大事な大事な、花嫁だからね」
そう言い残すと、湯庵は湯気のように消えてしまったのだった。
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