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第一章 高等部 6話 文化祭準備3

男子が笑う。 「久遠、もう一個!」 「嫌だ」 「一個持ったじゃん」 「労働上限」 「少なすぎ」 政輝は軽く流しながら、涼の方へ歩いた。 途中で、別の下級生が持っていた看板を片手で支えた。 「曲がってる」 「あ、すみません」 「そっち持て」 「はい」 看板を壁際へ寄せる。 その流れのまま、涼の横を通る。 涼がファイルを持ったまま振り返ろうとした瞬間、政輝はその半分を取った。 自然に。 あまりに自然で、周囲にはただ手伝ったように見えた。 涼だけが、少し目を上げる。 「頼んでない」 小さな声。 人には聞こえない。 「落としそうだろ」 「落とさない」 「落としたら拾うの俺だろ」 「お前は拾わない」 「なんで」 「面倒だから」 政輝は短く笑った。 「分かってんじゃん」 「褒めてない」 涼は表情を戻し、近くの教師へ向き直る。 「このファイルは資料棚へ戻します。来賓名簿だけ、あとで確認します」 「頼む」 「はい」 外向きの声。 さっきまで政輝に「頼んでない」と言っていた声とは違う。 政輝はファイルを持ったまま、涼の少し後ろを歩いた。 倉庫ではなく、資料棚のある空き教室へ向かう。 廊下には人がいる。 だから二人は並ばない。 政輝が先にファイルを持ち、涼が後ろで鍵を出す。 鍵束が鳴る。 「多すぎだろ」 政輝が小声で言う。 「生徒会長だからな」 「便利屋の割に立派な名前がついてんな」 「聞こえる」 「小声だろ」 「お前の小声は態度が大きい」 「意味分かんねぇ」 涼が鍵を開ける。 中へ入ると、古い紙と埃の匂いがした。 政輝はファイルを棚へ置く。 涼が残りを隣へ並べる。 その動きが、少しだけ遅い。 「疲れてんだろ」 政輝が言った。 涼はすぐには答えなかった。 「別に」 「嘘」 「お前には関係ない」 「あるだろ」 涼は一瞬だけ政輝を見る。 「何が」 政輝は答えない。 言葉にすると、何かが変わる気がした。 だから、代わりに空になったファイル箱を持ち上げた。 「これ、戻すのどこ」 「生徒会室前」 「持つ」 「それは軽い」 「じゃあ俺が持ってもいいだろ」 「理屈が雑だな」 「知るか」 涼は少しだけ目を伏せた。 笑いそうになった顔だった。 でもすぐに戻る。 廊下へ出る頃には、もういつもの光出涼だった。 文化祭準備は夕方まで続いた。 政輝は大半の作業をサボった。 けれど、誰かが困っていれば軽く手を出した。 下級生が脚立を運べずにいれば、片側を持つ。 男子が看板を壁にぶつけそうになれば、肩で止める。 女子が段ボールの底を抜きそうになれば、「下持て」と言って支える。 どれも短い。 雑。 礼を言われても「別に」で終わる。 周囲には、だるそうなのに意外と手伝うやつ、くらいに見えた。 その中で、涼にだけは少し違った。 涼が持とうとする前に、そこにいる。 涼が頼まれる前に、別の誰かへ振る。 涼が重いものを持たなくて済むように、通り道を変える。 露骨だった。 けれど、露骨に見えないようにしていた。 他の手伝いに紛れさせる。 男子の軽口に混ぜる。 下級生の荷物を持った流れで、涼の分も取る。 涼はそれに気づいていた。 気づいていて、何も言わなかった。 外では。 「久遠って、意外と手伝うんだな」 男子が笑う。 「うるせぇ」 「力仕事担当?」 「違ぇ」 「じゃあ何担当?」 「帰宅部」 「帰宅部が一番働いてるじゃん」 「事故」 周囲が笑う。 涼は少し離れた場所で、それを見ていた。 政輝は人付き合いが苦手なわけではない。 ただ、面倒がっているだけだ。 男子には雑に返す。 女子にはさらに短く返す。 でも、会話には入れている。 それを涼は、黙って見ていた。 この時点では、まだ何かを思ったわけではなかった。 ただ、見ただけ。 そのはずだった。 政輝は、別に自分の横にだけいるわけではない。 その事実が、音もなく胸の中へ落ちる。

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