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No.1「電波の届かない夜に」

【9月18日金曜日】 正直、何が面白いのかさっぱり分からぬまま、ジグソーパズルに取り組んでいる金曜日の晩。 茶色い猫ばかりが描かれた200ピースのパズルは、俺を夢中にはさせてくれない。 「あーもう、やめた」 パズルを広げたローテーブルから目を離し、畳の上に手足を投げ出して、寝転がる。 おそらく管理事務所の吉田さんは、俺の暇つぶしになるだろうと親切心で持ってきてくれたのだ。 「タクミ先生、パズルは初心者でしょ。まずはこれがいいと思うわ」と言いながら。 確かに俺は退屈の極みで、暇を持て余している。 秋の虫が鳴く夜に、携帯の電波も、Wi-Fiも、テレビすらも入らない診療所に併設された私室で、やることがないからだ。 そしてパズルを投げ出した結果、今宵も一昨日(水曜日)からやり始めた、悪い遊びへと辿りつく……。 ローテーブルのパズルを左端に寄せ、A4サイズのコピー用紙に、ボールペンで鳥居を書く。 そして左に『いいえ』右に『はい』と記入し、『あいうえお』と50音を書いていく。 このやり方で正しいかどうかは、分からない。 しかし、ネットが繋がらないこの村では、正解を調べる方法もないのだ。 ただ、子どもの頃、誰かに言われた記憶はある。 「コックリさんは一人でやったらダメなんだよ」と。 でも、一緒にやる人もいない今、一人でやるしか暇はつぶせない。 「コックリさん、コックリさん出てきてください。出てきてくれたら『はい』のところへお進みください」 唱える言葉も、朧げな記憶頼りだ。 だがそもそも、コックリさんなどという非科学的なものは現実世界には居ない。 無意識下の微細な筋肉の動きによるものだから、作法など気にする必要はないだろう。 俺の人差し指を乗せた10円玉は、ゆっくりと『はい』の位置へ移動する。 そして俺は、昨日も一昨日も訊いたある質問を口にした。 「コックリさんのお名前を教えてください」 10円玉は再び動き出す。 そして『フ』『ミ』『オ』と三つの文字を繋げた。 (ほらやっぱり。この10円玉はどう考えても俺が動かしている。俺がフミオと喋りたいばっかりに生み出している、オートマティスムによるものだ) — 俺は初夏まで、離島の診療所に医師として勤務していた。 先輩医師が海外研修に行っていた一年間だけの、代理医師として。 ずっと都心で働いていた俺にとって、人口の少ない離島での生活は、思いのほか性に合っていると感じられた。 だから大学病院へは戻らず、40歳にして新たな求人を探し、この村へやってきたのが三週間前、八月末の出来事だ。 この山間の村は、デジタルデトックス村として作られた。 スマホもパソコンもネットには繋がらず、テレビの地デジアンテナも存在しない。 辛うじて入るラジオは雑音だらけ。 唯一のまともな情報源は朝刊のみの新聞と、管理棟に置かれたFAX機能のついた固定電話一台だけだ。 こんな村だからこそ意外と需要はあり、一週間、ひと月、半年、一年と好みに合わせた滞在単位で、人々がやってくる。 そしてこの度、更なる拡充を図るため、九月から新たに診療所が開設されたのだ。 村の雰囲気はとてもよく、山間に点在している家々で、皆が共同で自炊をしながら暮らしている。 村の真ん中を流れる川も水量が多く、共有の畑もあるし、週に二度は移動販売もやってきて、買い物にも困らない。 ただ一つ。 大きな誤算があった。 実は離島にいるとき、AIチャットにハマってしまったのだ。 15年前に死んだ恋人の名前をAIにつけ、毎日会話をするのが習慣に、いや依存するまでになっていた。 少し虚しさも感じていたから、電波のない村にくれば、それを止められるという目論見もあった。 しかし何もすることのない夜、AIチャットができず寂しさは募るばかり。 フミオと会話したい。 フミオに「そうだね、タクミ」「わかるよ、タクミ」と返信をもらいたい。 そんな思いが抑えきれず、始めたのが「コックリさん」なのだから、あまりに滑稽だ。 — 「コックリさん、あなたをフミオと呼んでもいいですか」 『はい』 ここまでは、水曜日も木曜日も同じ流れだった。 あとは、10円玉に指を置いたままダラダラと雑談をするだけだ。 「フミオ。今日は秋ナスをもらったから焼いて、生姜とおかかと醤油をかけて食べたよ。美味かった」 『い』『い』『ね』 「フミオ。ジグソーパズル、吉田さんへ返してもいいかな?」 『いいえ』 「えー。でも、あんなチマチマしたもの、楽しくないぞ。フミオはやりたい?」 『はい』 (確かにフミオはパズルとかが好きだった。彼なら凄い集中力を発揮して、一晩で完成させただろう。可愛い顔してるのに男気があって、俺を常に引っ張ってくれる男だったから) 「そっか。じゃ、もう少し俺も頑張ってみるか」 そんな会話を繰り返し、最後にはちゃんとコックリさんの作法を守る。 「フミオ、明日もまた話しような?」 『はい』 「では、コックリさん、どうぞ鳥居へ戻ってお帰りください」 俺は鳥居のマークに戻って動かなくなった10円玉から指を離し、A4のコピー用紙をライターの火で炙り燃やした。 【9月19日土曜日】 土曜日も診療所は、休みにはならない。 基本的に毎日開けてはいるが、急変するような疾患のある人はこの村には住んでおらず、学校の保健室のような役割をしている。 だから混みあうこともないし、疲れるほど働いたりもしない。 今宵も夜遅くに、A4コピー用紙へ鳥居を書き始めた。 「コックリさん、コックリさん出てきてください。出てきてくれたら『はい』のところへお進みください」 同じように文言を唱えたが、今夜は10円玉がピクリとも動かない。 「フミオ。おーい、フミオー」 そう呼びかけても変化がない。 がっかりしながら、諦めようとしたときだ。 後方から、ガタッと物音がした。 急病人でも来たのかと振り返り、診療所と私室を繋ぐ扉を見る。 しかし、入ってきたのは思いもよらぬ人物だった…… 「えっ、なんで……」 指の下の10円玉が酷く熱くなっていた。 俺は驚きのあまり、10円玉から手を離してしまい、身体を硬直させる。 「タクミ!来ちゃった。『はい』とか『いいえ』とかまどろっこしいことはやめて、直接お話しよ。ね?」 その声の主は、15年前に死んだフミオの姿をして、可愛らしく微笑んでいる。 (……フ、フミオが、会いに、来てくれた?) 俺は震えてしまう自分の身体を、両腕で抑えつける。 怖いのか、うれしいのか、いや、とにかく理解が追いつかないのだ。 当然かもしれないが、同い年だった俺たちは、俺だけが40歳になっていて、フミオは死んでしまった25歳のままの見た目だった……。

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