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第1話 約束
――ブラック企業で働き、心も体もすり減らしていたあの日、1本の電話が全てを変えた。
今から20年ほど前、まだ学生だった頃、子どもを預かっていた。
秋が終わりを告げようとしていて、間もなく冬が始まるそんな季節。あたりはすっかり暗くなり、口から吐いた息は白く見える。
両親を早くに亡くしひとり暮らしをしていた俺は、高校に通いながら、バイトと自分の夢だった役者を目指して劇団での稽古に励んでいた。
そしてその日もバイトから帰る途中だった。
自宅のアパートの前に、1人の男の子がうずくまっていた。大きなボストンバッグを地べたに置いて、その上にちょこんと座っていた。
身なりは綺麗で、髪は美しい金髪。天使みたいな子だと思った。
「大丈夫?」
放っておけなくて、つい声をかけてしまった。
その子は俺の方を勢いよく振り向いた。
目には涙のあとがついていた。
「迷子になったの?お父さんとお母さんは?」
その子はふるふると首を横に振り、自分の腕をぎゅっと握った。誰も迎えになんてこない、諦めたような表情だった。
「……俺の家、このアパートの2階なんだ。一緒においで」
「いいの……?」
「うん。こんな寒空の下に君をほっておいたら風邪引いちゃうよ」
俺は、その子の手を取って部屋に連れていった。
冷蔵庫の中に入れていた残り物を刻んでうどんと一緒に鍋で煮る。麺つゆと出汁粉、醤油と塩で味を整えた簡単な煮込みうどんを作って男の子に出してあげると、その子は目を輝かせていただきます、と呟いた。はふはふと冷ましながらうどんを啜る男の子と一緒に俺もうどんを啜った。
「おいしい……、おいしいです……!」
「よかった。ごめんね、こんなものしか出せなくて。ねぇ、名前きいてもいい?」
その子は一瞬戸惑ったような顔をしてから、おずおずと、
「僕は、菅田 迅 といいます」
と言った。
「迅 さんか。よろしくね。俺は紫藤 怜 」
「怜 さん……?」
「うん、それでいいよ。呼びやすいから。念の為に警察に連絡していいかな?迅 さんのこと、親御さん心配してないかなって」
「そんなことないです!」
「迅 さん?」
迅 さんは、また泣きそうな顔をしていた。
「……帰っても僕に居場所なんて無いんです。皆、僕のこと、忌み子だって、いらない子だって……!」
「忌み子!?なんでそんな……!」
子どもの口から出てこないような言葉が出てきて思わず狼狽える。
迅 さんは続けた。
「僕、実の父が、本当の奥さんと違う相手と作った子どもだって……。だから、皆お前なんか要らないんだって……」
「迅 さん、今何歳?」
「……8歳です」
まだまだ子どもな迅 さんにしていい訳じゃない話をして迅 さんを苦しめている大人がいることに吐き気がした。
「……そっか。迅 さん、ずっとひとりで頑張ってたんだね。それなら、ここにいればいいよ。ひとまず1週間。その間に迅 さんの親戚や、迅 さんを本気で心配してる大人が探しに来たら、そのときは迅 さんはその人の所に帰ればいい」
「いいんですか……?」
「うん。いいよ。俺もお父さんとお母さんいなくて、一人暮らししてるんだ。だから、迅 さん、俺の話し相手になってよ」
俺がそう言うと、迅 さんの表情に光が戻った。
「はいっ!僕、怜 さんと一緒にいます!」
「よろしくね」
その後、迅 さんをお風呂に入れて歯磨きをさせ、ベッドに寝かせた。
「怜 さんは一緒に寝ないんですか……?」
「うん、俺は床で寝るから。迅 さんはここで寝て」
「でも……」
「大丈夫。手を繋いでるからね」
「はい……、怜 さん……」
「ん……?」
「子守唄、歌ってください……」
迅 さんからねだられる。でも、子守唄らしいものなんてわからなくて、俺は思いついた歌を小さく歌った。迅 さんは安心したようにうとうとし始め、歌い終わる頃には眠りに落ちていた。
「おやすみ、迅 さん……」
その後、俺はそっと廊下に出て警察に連絡をした。
どうやら迅さんの家族から迅 さんが居なくなったという連絡は来ていなかったらしい。迅 さんの家での扱いを思って俺は胸が痛くなる。
最初から家族がいなかった俺と、恵まれているだろう家族がいても誰からもいないものとして扱われてる迅 さん、似ているようできっと全然違うのかもしれない。
「迅 さん、君が、君の進む未来が、君にとっての幸せで溢れたものになりますように」
劇団でもらった役のセリフを少しだけなぞって、俺は祈った。
それから迅 さんとの生活が始まった。学校とバイト先に相談したら理解を示してくれた。
早めに学校から帰って、迅 さんを迎えに行き、そのままバイト先に向かう。迅 さんをコンビニのバックヤードでパートのおばちゃんや店長に見てもらいながら働く。
そのあと迅 さんと一緒に帰り、夕飯を食べてお風呂に入って就寝。
週一の劇団の稽古は、劇団長にも相談して迅 さんを見学という名目で連れて行けることになった。
俺が稽古に励み、監督からダメ出しされている間も迅 さんは熱心に俺の様子を見ていた。
なんだかカッコ悪いとこ見せてる気がして落ち着かなかったけど、迅 さんにとっては劇団の稽古も新鮮に見えていたのだろう。
「紫藤 !さっきも言ったろ、もっと感情入れろ!」
「すみません!」
迅 さんの顔がほんの少し険しくなった。カッコ悪いって思われちゃったかな。
稽古帰り、俺は迅 さんの手を引いて歩いた。
「怜 さん、カッコよかったです」
「え?あんなにダメ出しされてたから、カッコ悪いって思われてたかと思った」
「違います!あれ、怜 さん、わざと気持ちをぬいてたんでしょ?」
「どうしてわかったの?」
「怜 さんの役、色んなことにあきらめてる感じがしたから。あきらめてたら、もうどうなったっていいやって、気持ちなんて入らないから」
俺の演技を迅 さんは見抜いて理解してくれていた。それが嬉しかった。
「よくわかったね。ありがと、しっかり見ててくれて」
「僕もわかるんです。皆からいない子扱いされて。だからもうどうでもいいって。あのときの怜 さんはその時の僕と一緒だったから」
「そっか」
そして商店街のおもちゃ屋さんの前を通りかかったときだった。
「あっ……」
迅 さんがショーウィンドウの前に駆け寄った。
そこにあったのは、真っ赤なスポーツカーのミニカーだった。
「カッコいい……!」
歳に合わない大人びた言動から一転、無邪気な笑顔とキラキラした目でミニカーを眺める迅 さんが可愛らしい。でも、すぐにはっとした顔で頭を横に振った。
「それ、欲しいの?」
「えと……」
本当は欲しいのだろう。気まずそうに頬をかく迅 さんに思わず笑みが零れる。
「じゃあ俺からのプレゼント。これくらいなら買ってあげるよ」
「えっ、でも……!申し訳ないです!」
「8歳の子どもが遠慮しないの!ほら、行くよ」
迅 さんの手を引いて、俺はおもちゃ屋に入っていった。
真っ赤なピカピカのスポーツカーのミニカーを、迅 さんは幸せそうに両手で持って歩いていた。俺に弟がいたらきっとこんな感じだったのかもしれない。
「怜 さんっ、ありがとうございますっ!僕、いままでこんなの買ってもらったことなくて……、宝物にしますっ」
「それならよかった。大事にしてね」
「はいっ。ふふ、はじめての誕生日プレゼントだ……」
「え、迅 さん誕生日いつ?」
「怜 さんとはじめてあった日です」
「11月……20日か!じゃあケーキ買ってお祝いしよ!さすがにホールケーキは買えないからコンビニで売ってるやつになっちゃうけど」
「いいんですか……?」
「うんっ。ほら、こっち」
俺は迅 さんの手を取ってコンビニに向かった。
パックに入った2個入りのケーキを買って帰る。
慣れないながら迅 さんのリクエストでオムライスを作った。ケチャップライスはちょっと焦げて卵は崩れていたけど、迅 さんは美味しそうに食べてくれた。
そのあとは買ってきたケーキをふたりで食べてお祝いした。気恥ずかしいけど誕生日の歌を歌って、迅 さんが産まれた日を祝った。
「こんな誕生日、はじめてです!ありがとうございます怜 さん!」
「こんなことしかできなくてごめんね。でも、迅 さんの誕生日は、迅 さんが産まれてきたことをお祝いする日で、産まれてきたことを感謝する日だから。毎年お祝いするからね」
「はい!」
1週間ちょっとの付き合いのはずなのに、そんな約束までしてしまったことに、ほんの少し後悔した。
ピカピカのミニカーで遊ぶ迅 さんを眺めながら、俺は痛む胸を押さえた。
それから数日経ち、迅 さんの家のお手伝いを名乗る綾瀬 千鶴 と名乗る女性から連絡が入った。
迅 さんはやはり、家族から爪弾き物 にされて生きていたらしい。
迅 さんの父親は大企業の社長で、愛人を作りその愛人に産ませたのが迅 さんだったそうだ。迅 さんの実の母親は体が弱く、迅 さんを産んですぐに亡くなったという。
「その後迅坊 っちゃまはお父様に引き取られましたが、実の父親も腹違いの母親も、迅坊 っちゃまを目の敵にしてろくに誕生日も祝いませんでした」
と、綾瀬 さんは震えた声で言った。
「迅坊 っちゃまが産まれてきたことを散々罵っていたこともありました」
聞いているだけで腸 が煮えくり返りそうだった。このままでは迅 さんの心が壊れると判断した綾瀬 さんが迅 さんを引き取って育てると話そうとした矢先に迅 さんは家を飛び出してきたらしい。そしてその電話があった夜のこと、綾瀬 さんが迅 さんを迎えに来た。
「ご迷惑をおかけしました。こちら、お礼の品です。どうかお受け取りください」
「いえ、受け取れません。俺はあくまで迅 さんを放っておけなかっただけです」
「……」
迅 さんはバッグを手に持ったまま俯いていた。
しばらく押し問答が続いてから、俺はお礼の品を受け取らないとしっかり拒絶した。
「そのかわり、どうか迅 さんを幸せにしてください。毎年誕生日を祝って、生まれてきてくれてありがとうって伝えてあげてください」
「かしこまりました。お約束します。
さあ、迅坊 っちゃま、帰りますよ」
迅 さんは無言のままだった。地面にぽたぽたと雫が落ちる。
「……やだ。帰りたくない!」
「坊 っちゃま……!」
「帰りたくない!僕は怜 さんと一緒にいる!怜 さんと一緒に暮らす!!ずっとずっと怜 さんと一緒にいるの!あんな家にはもう帰らない!怜 さんと一緒がいい!怜 さんと一緒に暮らすの!!」
迅 さんは目に涙をいっぱいためて叫んだ。
迅 さんの精いっぱいのわがままだったのだろう。それでも、今の俺には迅 さんのわがままを叶えられる力がなかった。
「きいて、迅 さん。迅 さんは、あの家に帰るんじゃないよ。綾瀬 さんのお家でこれから暮らすんだ」
「ほんと……?」
「はい、もうあんなとこにいなくていいんですよ、坊 っちゃま」
「……」
「俺も本当は迅 さんと一緒にいたいよ。でもね、俺の力じゃまだ迅 さんを幸せにできないからさ。だから、大人になって、迅 さんが俺の事まだ覚えてたら、そのときはまた会いに来てよ。俺、頑張るから。それから、はい」
俺は、迅 さんが肌身離 さず持っていたミニカーを渡した。
「これから先、どんなにつらいことがあっても、これを俺だと思って。俺はいつでも迅 さんのそばに居るからね」
そう言って迅 さんの頭を優しくなでると、迅 さんは、ミニカーを手に取って俺に抱きついてきた。子どもながらの高めの体温が心地よかった。
「迅 さん、風邪ひかないでね。なんでも食べて大きくなって、いじめや理不尽に負けない、強い大人になって。俺は、離れてても、どこにいても、迅 さんの味方だよ」
「怜 さぁん……!!」
迅 さんは大きな声でわぁわぁ泣いた。
俺はそんな迅 さんをしっかり抱きしめて、優しく頭をなでた。この子の行く末が、幸せに溢れますように。そう祈りながら、何度も何度も。
やがて落ち着いてきた迅 さんからそっと体を離す。
「あとはお願いします」
「はい。本当にありがとうございました。さあ、行きましょう坊 っちゃま」
綾瀬 さんに促されて、迅 さんは荷物を抱えて車に乗り込んだ。車の窓が開く。
「怜 さんっ!僕っ、絶対に怜 さんのこと迎えに行きます!どこにいても、怜 さんのこと見つけます!怜 さんが僕を守ってくれたみたいに、僕も怜 さんを守れるくらい強くなるから!!」
「期待しないで待ってるよ。元気でね、迅 さん」
俺は綾瀬 さんと視線を交わして頭を下げた。
車は静かに走り出す。迅 さんは窓を開けて大きく手を振り叫んでいた。
「怜 さーーーーーーん!!!!!ありがとうございましたーーーーーーー!!!!!!!」
俺は、車の走る音が聞こえなくなるまで頭を下げていた。
迅 さんにカッコ悪い泣き顔なんて見せたくなかった。
「ありがとうは、俺の方だよ……」
俺は、そう呟いて誰もいなくなった空っぽのアパートに帰って行った。
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車に揺られながら、僕はポケットに手を入れた。
怜 さんからもらったピカピカのミニカー。ずっと憧れていたスポーツカーのミニカーだった。
生まれてはじめて、誰かからもらった誕生日プレゼントだった。
「……怜 さん、僕、絶対迎えに行きますから」
僕は、小さく呟いた。
続く
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