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第1話
玄関を開けた瞬間、まず目に入ったのはいつもの青いマフラーだった。
「また来たんですか」
「うん。暇だったから」
暇だったから来た。その一言だけで、今日も何かあると分かる。KAITOが「暇だったから」と言ってくる日は、大抵ろくなことが起きない。キヨテルの経験上、それはほぼ間違いなかった。
それでも扉を開けるのは、帰れと言っても絶対に帰らないことを、もう知っているからだ。
「五分だけですよ」
「ありがとう」
また笑う。昔から変わらない、人を安心させる笑い方。キヨテルはその顔から目を逸らして、コーヒーを淹れるためにキッチンへ向かった。
最近その笑顔を見るたびに、胸の奥がざわつくようになっていた。
「今日は仕事だったのでしょう」
「うん」
「疲れているなら、素直に休めばいいじゃないですか」
ソファに腰掛けたKAITOがキヨテルを見上げる。
「会いたかったから」
あまりにも自然に言われ、キヨテルは思わず手を止めた。コーヒーカップを持ったまま、その場に固まる。
「……電話で済む話でしょう」
「声だけじゃ足りないから来たんだよ」
いつも通りの口調だった。だからこそタチが悪い。
この男はこういうことを何でもないように言う。
「最近、少し変ですよ」
「そうかな」
「前はここまでじゃなかった」
KAITOはしばらく黙った。それからゆっくりと口を開く。
「前は我慢してたから。君にも予定がある、仕事もある、友達もいる。全部わかってたから、邪魔しないようにしてた」
コーヒーカップを両手で包んで、続ける。
「でも、君が他の人と笑ってるのを見るたびに、胸が痛かった。だから来るのをやめられなくなった」
キヨテルは息を止める。冗談じゃない。その目を見れば分かる。KAITOは本気で言っているのだ。
「それは依存です」
「うん」
「健全じゃない」
「知ってる」
「なら——」
「治したほうがいい?」
言ってからKAITOは首を横に振った。静かに、でもはっきりと。
「治したら、君をこんなに大事だと思えなくなる気がする」
「違います」
キヨテルははっきりと言い切る。
「大事に思うことと、相手を自分だけのものとして考えることは別の話です。あなたが私を大切にしてくれていることと、今していることは、話が違う」
KAITOは黙って聞いている。子どもが叱られているときみたいな顔をしている。
そのせいでキヨテルは少しだけ油断した。
「……わかった」
KAITOが立ち上がる。
「今日は帰る」
「そうしてください」
玄関まで送る。靴を履き、ドアを開ける。
「先生」
「何ですか」
「君は、いつも僕を正そうとするね」
「教師ですから」
KAITOは少しだけ目を細めた。
「だから好きなんだ」
それだけ言って、去っていった。
扉が閉まるとキヨテルは長く息を吐いた。困った人だ、と思う。思いはするが、その言葉がどこか空回りしている感じがした。
テーブルの上でスマートフォンが震えた。メッセージが三件、立て続けに届く。
『今日は会えてよかった』
『やっぱり五分じゃ足りなかった』
『明日も行くね』
「明日は来なくていいです」
返信して、画面を伏せる間もなく付けられた既読の二文字。
『そういうところも好き』
キヨテルは画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。
話が通じていないわけではない。全部理解したうえで、それでも自分の感情を優先してしまう。それが今のKAITOの状態だった。
窓の外を見るともう姿はない。
それでもなんとなく、まだどこかから見られているような気がして、キヨテルはそっとカーテンを閉めた。
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