1 / 4

第1話

 玄関を開けた瞬間、まず目に入ったのはいつもの青いマフラーだった。 「また来たんですか」 「うん。暇だったから」  暇だったから来た。その一言だけで、今日も何かあると分かる。KAITOが「暇だったから」と言ってくる日は、大抵ろくなことが起きない。キヨテルの経験上、それはほぼ間違いなかった。  それでも扉を開けるのは、帰れと言っても絶対に帰らないことを、もう知っているからだ。 「五分だけですよ」 「ありがとう」  また笑う。昔から変わらない、人を安心させる笑い方。キヨテルはその顔から目を逸らして、コーヒーを淹れるためにキッチンへ向かった。  最近その笑顔を見るたびに、胸の奥がざわつくようになっていた。 「今日は仕事だったのでしょう」 「うん」 「疲れているなら、素直に休めばいいじゃないですか」  ソファに腰掛けたKAITOがキヨテルを見上げる。 「会いたかったから」  あまりにも自然に言われ、キヨテルは思わず手を止めた。コーヒーカップを持ったまま、その場に固まる。 「……電話で済む話でしょう」 「声だけじゃ足りないから来たんだよ」  いつも通りの口調だった。だからこそタチが悪い。  この男はこういうことを何でもないように言う。 「最近、少し変ですよ」 「そうかな」 「前はここまでじゃなかった」  KAITOはしばらく黙った。それからゆっくりと口を開く。 「前は我慢してたから。君にも予定がある、仕事もある、友達もいる。全部わかってたから、邪魔しないようにしてた」  コーヒーカップを両手で包んで、続ける。 「でも、君が他の人と笑ってるのを見るたびに、胸が痛かった。だから来るのをやめられなくなった」  キヨテルは息を止める。冗談じゃない。その目を見れば分かる。KAITOは本気で言っているのだ。 「それは依存です」 「うん」 「健全じゃない」 「知ってる」 「なら——」 「治したほうがいい?」  言ってからKAITOは首を横に振った。静かに、でもはっきりと。 「治したら、君をこんなに大事だと思えなくなる気がする」 「違います」  キヨテルははっきりと言い切る。 「大事に思うことと、相手を自分だけのものとして考えることは別の話です。あなたが私を大切にしてくれていることと、今していることは、話が違う」  KAITOは黙って聞いている。子どもが叱られているときみたいな顔をしている。  そのせいでキヨテルは少しだけ油断した。 「……わかった」  KAITOが立ち上がる。 「今日は帰る」 「そうしてください」  玄関まで送る。靴を履き、ドアを開ける。 「先生」 「何ですか」 「君は、いつも僕を正そうとするね」 「教師ですから」  KAITOは少しだけ目を細めた。 「だから好きなんだ」  それだけ言って、去っていった。  扉が閉まるとキヨテルは長く息を吐いた。困った人だ、と思う。思いはするが、その言葉がどこか空回りしている感じがした。  テーブルの上でスマートフォンが震えた。メッセージが三件、立て続けに届く。 『今日は会えてよかった』 『やっぱり五分じゃ足りなかった』 『明日も行くね』 「明日は来なくていいです」  返信して、画面を伏せる間もなく付けられた既読の二文字。 『そういうところも好き』  キヨテルは画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。  話が通じていないわけではない。全部理解したうえで、それでも自分の感情を優先してしまう。それが今のKAITOの状態だった。  窓の外を見るともう姿はない。  それでもなんとなく、まだどこかから見られているような気がして、キヨテルはそっとカーテンを閉めた。

ともだちにシェアしよう!