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第2話
廊下の向こうからキヨテルを呼ぶ声があった。
「先生、お疲れ様です」
「お疲れ様です、フリモメンさん」
キヨテルは自然に笑って応じる。仕事の話を二、三言交わし、互いに軽く頭を下げてその場を離れた。
それだけのことだった。
「フリモメン……」
KAITOがその名前を小さく繰り返した。それから少しだけ間があった。
「最近、よく話してるね」
「仕事ですから」
「仲が良さそうだったけど」
また笑っている。いつものように。
「普通ですよ」
「普通かあ」
どこか納得していないような響きがあった。キヨテルはコーヒーを差し出しながらため息混じりに言う。
「変な勘ぐりはやめてください」
「勘ぐってないよ。見てただけ」
カップを受け取りながら、また笑う。でも今日はその笑顔が少しだけ冷たく見えた。
気のせいかもしれない。そうであってほしいと願いながら、キヨテルはKAITOから目を逸らした。
翌日、フリモメンが資料を持って近づいてきたとき、ふと視線が止まった。
「この資料なんですけど——」
言いかけたフリモメンが、少し離れた場所に視線を向ける。
「……お知り合いですか?」
壁にもたれて立つKAITO。何をするでもなく、ただこちらを見ていた。フリモメンと仕事の話をする自分のことを。
「ええ、昔からの付き合いで」
キヨテルが苦笑すると、フリモメンがKAITOに向けて軽く頭を下げた。KAITOも笑顔で会釈する。穏やかで礼儀正しい。非の打ちどころがない立ち振舞いだった。
それなのに、フリモメンはなぜか背筋にぞくり冷たい悪寒が走るのを感じた。理由は分からない。笑顔の奥で、決して笑っていない瞳の奥で、じっと値踏みされているような感覚だけが残った。後から考えてもそれをうまく言葉にできなかった。
——その帰り道。
「どうだったの、新しい人」
KAITOが聞く。
「真面目な方ですよ。仕事もしやすいですし」
「そうなんだ」
また少し間があった。KAITOが歩みを止める。
「先生、僕と話してるときより楽しそうだった」
「……は?」
思わず素の声が出る。
「何を言ってるんですか」
「違った?」
「違います。仕事で笑うくらい、普通にありますから」
「僕以外にも笑ってた」
「当然でしょう」
しばらく重い沈黙が続いた。やがてKAITOは小さく頷く。
「そっか」
それだけ言って再び歩き出した。
その背中が妙に静かで、キヨテルは少しだけ胸騒ぎを覚えた。
その夜、KAITOからメッセージが届いた。
『今日もお疲れ様』
『フリモメンさんって、いい人?』
少し考えてから、キヨテルは返事をする。
『仕事仲間として信頼できる方です』
既読になった。いつもなら続けて何通も届くのに、この日に限っては返信が来るまでに数分かかった。
『そうなんだ』
それだけだった。
「珍しいこともあるものだ……」
スマートフォンを置いて、キヨテルは天井を見上げる。何か言いたいことがあるなら言えばいいのに、と思う。思いながら、そのメッセージを消さないまま、画面を伏せた。
そして翌朝。
「今日は迎えに来た。帰りは一緒に帰ろう」
いつも通りの顔で言うKAITOに、キヨテルは首を振って答える。
「今日は予定があるんです」
「フリモメンさん?」
「違います」
「本当に?」
「……本当にです」
KAITOがじっとキヨテルの目を見つめる。責めているわけでも、疑っているわけでもない。ただ、確かめている。
「よかった」
「何がです」
「もし先生が、僕よりあの人といるほうが楽しいって言ったら」
一度、水を打ったように静かになった。
「僕、どうなるか分からなかった」
脅しではない。怒りでもない。それなのに、その言葉がひどく重かった。
KAITO自身が、自分の感情を制御できるか分からないと自覚している。現にその危うさを隠しきれていない。
「……KAITO」
キヨテルはゆっくりと言った。
「あなたは私の友人です。それ以上でも、それ以下でもありません。でも、大切な友人です」
——沈黙。
KAITOは少しだけ寂しそうに、けれどどこか安心したような顔で笑って、何もなかったかのように歩き出した。その歩幅に合わせるように、キヨテルも隣へ並ぶ。
その背中は、少しだけ軽くなったように見えた。
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