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第一章 一話
受験とは、人生で一番最初に手を染めるギャンブルである。僕はその合格通知書を見た瞬間、達成感という名の、これまで感じたことのない脳内麻薬にビシャビシャになりながら、そのとき確かに「人生の一発逆転」というものを確信した。
残念ながらこの世には、とにかく華のない人間というものが存在する。
まずは、肝心の僕のスペックを話そう。中肉中背、街を歩けば五人は見かける平凡顔。未だに初対面の人からは、百発百中で顔を忘れられるという記録を更新し続けている。もちろん実家も平凡だ。両親の収入が特別多いわけでもなく、兄弟に芸能人がいるわけでもない。おまけに運動神経も悪い。
自分で書き連ねていて悲しくなってくるが、まさに冴えない男子中学生を絵に描いて、そのまま実体として召喚してしまったような男なのだ。できることなら、手違いで細マッチョのイケメンとして顕現してほしかったが、人生はそううまくいかないのである。
そして、ここまで読めばわかるだろう。僕がどれだけ「特別」というものを欲しているかが。
こんな凡人中学生だった僕の思いついた一発逆転──それこそが、まさに高校デビューなのである。……発想まで平凡だと笑うがいいさ。なんせ僕は、もうエリートへの一歩を歩み出したのだから!
✴
その都心から少し外れた場所にある全寮制の男子高校は、日本有数の名門だというのに、ほとんど外部に情報が出回っていない。噂では、強固なセキュリティゆえに、芸能人や政治家、有名企業の子息が多く通っているからだとか。金持ち御用達であろうその学園は、もちろん学費も偏差値も超特級。有名大の推薦枠を多数持ち、ほぼエスカレーター式に進学可能。まさに、知る人ぞ知る超名門校だ。
そんなお金持ち学校に、中流家庭の僕がなぜ通えるのかって?よくぞ聞いてくれた。こんな僕にも、唯一の武器がある。それは執念だ。
この高校には特待生制度というものがあり、毎年数人しか合格できない狭き門となっている。倍率は非公開だが、噂では三桁に達しているとか、いないとか。しかし特待生として入学することができれば、授業料や寮費など、高校生活に必要なお金はタダ同然。
とはいえ、そんな超待遇に、欠伸をしながら入れるほど、僕は天才でも頭脳明晰でもない。では肝心の僕が、それまでに何を賭けてきたのか。
話は三年前に遡る。僕は中学一年のとき、両親の都合で田舎から都会に引っ越してきた。そのせいで、友達が一人もいないのに、やたら規模のデカいマンモス校に入学してしまった。もともと人見知りだったうえ、田舎でぬくぬく育ってきた僕には、そんな友達作りサバイバルを切り抜ける技術も度量もない。そのうえ、田舎では無双していた成績の良さも、ここではせいぜい中の上。僕はそのとき初めて「世間」というものを知り、自分に特段秀でたところがないという残酷な現実に、気づいてしまった。
入学前は、うっすら彼女とかできちゃうかも、なんて期待していたのに、友達すらできない僕にそんな高尚な関係が築けるはずもない。しまいには、僕を除いてクラスメイトのほとんどが、全員誰かしらとくっつくという、なかなかに堪える絶望を味わう羽目になってしまったのだ。
そこからだ。僕が中学時代の一切を捨てたのは。
ただでさえ少ない幼なじみからの遊びの誘いをすべて断り、勉強にステータスを全振りした。ゲームやSNSといったチャラついたものもすべて切り捨てた。
恋愛にうつつを抜かすほかの男たちとは違って、僕はもっと将来ビッグになってやるんだ。だから今は、彼女なんて浮ついたものは不要だった。それにほら、恋人なんかより、参考書のほうがずっと一緒にいられるし、裏切らないし、ずっしりと頼りがいがあるじゃないか。そっちと向き合うほうがよっぽど有意義な時間だったに決まってる。
とにかく!僕の人生は変わった!
これで、放課後に人の椅子に勝手に座ってブイブイ言わせている一群(笑)たちに、「あ……鞄だけ取らせて……」などと気まずく下手に出ていた時代は終わったんだ!これからの人生、僕こそが勝者の道を駆け抜けてみせるさ!
入学式当日。
講堂には新入生がぎっしりと座り、厳格な空気が漂っていた。どこか聖堂のようでもあり、あるいは高級ホテルのロビーのようでもある会場は、進行のアナウンスを除いて静まり返っている。時折、聖歌のような音楽がパイプオルガンによって奏でられた。
僕はしばらく背筋を伸ばして耐えていたのだけれど、次第にうつらうつらと眠気が襲ってきて、ついには刺激を求めて周囲に目を向けた。
一般試験はかなりの狭き門だったはずだが、ここには数百人はいる。おそらく、ほとんどが推薦枠で上がってきた人達であろう。そしてもちろん、男子校なので男しかいない。その時点で、僕は「恋人ができる」という夢を捨てなければならなかったが、まあ、この入学はエリートになるという夢への足がかりにすぎない。恋人なんて、きっとそのあと何十人も何百人も──
「ねぇねぇ、君、特待生でしょ?」
(え……? 誰……?)
潜めた声でいきなり話しかけられ、僕は驚いて隣を向いた。おどおどする僕に、彼は人好きのする笑みを浮かべて続ける。
「僕も特待生なんだ。よろしくね!」
(……へ、へえ。それ、別に今言わなくてもよくない……?)
もちろん今は式の最中である。いくら声を潜めたとしても、こんな場面で喋れば先生に目をつけられるかもしれない。一瞬、返答を迷った。
しかし彼からは、純度百パーセントの“陽”の気を感じる。彼は透明感のある、黄みがかった茶髪で、くるくると襟足をおしゃれに跳ねさせている。田舎の陽キャといえば、とにかく見た目がきつそうな人が多かったけれど、都会の“オシャレ戦闘力の高い”タイプの陽の気には、まだ慣れていない。
なんだか、柔らかくて、キラキラしている。
僕はがっつり目を合わせる勇気もなく、怪しまれない程度に彼の顔を盗み見ていた。すると彼は、やっぱり「キラキラ」と言って申し分のない、色素の薄い瞳を瞬かせた。
「あ、なんでわかるかって顔してるね? ここ、特待生の席だからさ。気づかなかった?」
彼の言葉につられて、僕はあたりを見渡した。まったく気が付かなかった。確かに、結果的に彼のひそひそ話がそれほど目立っていない程度には、ここは気持ちばかり周囲と距離があるような気がする。そうして意識してみると、今座っている椅子のクッション部分も、ほかと比べてやけにふかふかしているように思えてきた。
僕がこっそりもふもふして浮かれているあいだ、彼は視線をステージ横──来賓席のあたりへと向けた。
「この学校に来たなら、生徒会の人は見といたほうがいいよ。なにかと有名人だからさ」
「なにかと」という言い回しに妙な含みを感じたけれど、内部の貴重な情報は素直にありがたい。
僕は「生徒会?」と、彼の言葉をそのまま掬い上げた。
「あそこの席、並んでるでしょ」
彼の視線の先には、教員席の横に四人の学生が座っていた。今日は眼鏡をかけていないせいで少しぼやけているけれど、確かに全員、顔が小さくてスタイルがいいような気がする。
「みんな芸能人の息子とか?」
僕の通っていた学校でも、生徒会の選出は最終的に人気投票だった。だから容姿のいい人が有利だったし、著名人の子どもが多く通うこの学校なら、そういう話もあり得ると思ったのだけど、彼はあっさりと首を振った。
「あはは。もっとお堅いかな。企業とか、官僚とか、財閥とか。みんな詳しくは言わないけどね」
「わあ……」
乾いた声が、思わず口から漏れた。生きている世界が違う。僕が若干引いているのを察したのか、彼は慌ててフォローを入れてくる。
彼の話によると、生徒会になるのに家柄は特に関係ないらしい。毎年、学力上位の数名が任意で立候補し、その中から投票で選ばれるのだという。
「表向きはそんな感じだし、別に家柄優遇とかないよ」と、彼は付け加えた。
──表向きは。その言葉に少し引っかかったが、どちらにせよ僕にはあまり関係のない話だ。あえて深掘りはしない。
生徒会に入るのは、実際かなりの狭き門らしい。だが、もし選出されれば、その優待制度は特待生とは比べものにならないという。寮の部屋のランクから、教員の扱いまで、ありとあらゆるものが一般生徒とは異なってくるらしい。
こんな隔離された全寮制の高校では、もはや身分制度に近いじゃないか――そんな感想が頭をよぎる。けれど僕は一応、特待生だ。この、やけに生々しい権力構造の中で、不利益を被ることはないと信じたい。
しかし、彼は僕と同じ新入生のはずなのに、どうしてこんなにも情報格差があるんだろう。そう思って聞いてみると、彼は屈託なく笑い、自分を指差した。
「俺? 先輩がここに入学しててさ。いろいろ詳しいんだ」
「なんでも頼ってね」と言わんばかりの笑顔を浴びせられ、僕は目を合わせたところから干上がってしまいそうな心地になった。とはいえ、彼の情報網は、入学したての身には正直ありがたい。入学初期は情報戦だ。
それを知らず、「友達なんて気の合う人がいればすぐできるでしょ」などと、ぬくぬく受け身で過ごしていた中学時代。結果的に惨敗したのは、僕だけだった。そのせいで、先生の移動教室の説明を聞き逃すたび、どこへ行けばいいのかわからず取り残されるという苦渋も舐めてきた。もしかしたら、体操着を忘れたときに貸し借りしあえる、なんていう超親密な関係にもなれてしまうかもしれない──なんて、内心で浮足立っていたのだが、彼曰く、僕たちは同じクラスらしい。「そうなの?」と聞き返すと、「入学前にもらった紙に名簿、書いてあったよ」と返された。
書類一式を全部母親に預け、何ひとつ確認していなかった僕は、急に恥ずかしくなった。これからは寮生活だ。勉強以外のことを両親に頼りきりだった分、しっかりしないと。
同じクラスだと体操着貸し借りの夢は潰えたけれど、知り合いゼロで新生活を始めるよりは、ずっと心強い。入学式も終わり、教室へ戻るまでの廊下で、僕はようやく彼の名前を知ることになった。
「俺、辻叶。叶って呼んで! そっちはなんて呼ぼっか」
「渡辺翔馬」
「フルネームじゃん」
何か空気を読めなかっただろうかと首をかしげると、叶は「じゃあ翔馬ね」と、軽やかに下の名前で呼んだ。中学ではずっと苗字呼びだったから、この距離の縮まり方には慣れない。でも、比較対象となる“友達”がいない以上、これが普通なのかもしれない。ひとまず、これで、あの暗雲立ちこめた中学時代の二の舞にはならないだろう。もしかしたら、叶のキラキラしたオーラに引っ張られるように、輝かしい高校生活が送れるかもしれない。
──しかし、このときの僕はまだ知らなかった。
光が強ければ強いほど、闇は濃くなるということを。この学校の、強烈なまでの闇を、僕はこのあと知ることになる。
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