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【15】秘密の春

「こんな感じでいいのかな、母さん?」 「いいんじゃないかしら。あとは保温カバーをかけて──」 「これだね。麻青、そっち持ってくれる?」 「はいっ。えっと、こうですよね……」  3月上旬の休日、土曜日。  僕はなぎ先輩の家のベランダで、種まきのお手伝いに励んでいた。  12月に渡した花の種。寒い時期を過ぎ、ようやく種まきのできる季節になったのだ。 「まだ少し早いかもだけど、母さんが簡易温室みたいの用意してくれたから。今度の土曜、一緒にまこう?」  先輩がそうお誘いしてくれた。午前中にお家へお邪魔して、プランターに土を作るところからせっせと作業して── 「よし、完成♪」  なぎ先輩が晴れやかに額の汗を拭う。 「ていうか、ホントに保温カバーいる? 暑いくらいなんだけど」 「そりゃ今は作業してましたから……。今日、天気いいですしね。でも朝晩はまだ冷えるし、必要ですよ」  僕が言うと、窓を開け放したリビングの中にいるお母さんも「そうそう」とうなずいている。 「お茶淹れたから休憩にしたら?」  お母さんに呼ばれ、僕たちは軍手を外してリビングに入った。  ソファに座り、お母さんが運んできてくれたアイスティーで喉を潤す。 「発芽に1~2週間、開花が6月頃か……」  スマホを見ながら先輩がつぶやいた。僕のお母さんお手製のメモを画像で送ってあるので、それを見ているんだろう。 「時々様子を見に来るけど、水やりよろしくね、母さん。枯らさないでね」 「ええ、わかってるわよ」  真顔で心配そうな息子に、お母さんは苦笑している。『それもう何度も聞きました』という顔だ。  そんな二人を見て、僕も温かい気持ちになった。 (なぎ先輩とお母さん、前より距離がなくなったみたい……絶対気のせいじゃないよね)  先輩が変わったから、ご両親とも関係も変わっていっている。血のつながりなんて関係ない。円城寺家はこれからもっと、いい家族になっていくはずだ。 (開花、僕も楽しみだなぁ)  「あの花は実家のほうにまく」と先輩から聞いたのは、2月に入って何日か経った頃だった。 「卒業式終わったら家出るし、引っ越し先で育てることも考えたんだけど。『幸せの種』なら、やっぱりあの家で育てて、あの家を彩ってほしいなって。独り暮らし始めても、オレの帰る実家はあそこだし」  少し照れくさそうに話す先輩の顔が、なんだか小さな子供みたいで。 (なんか先輩、どんどん柔らかくなってる)  そんな変化をうれしく思いながら、「種まきの日は麻青も来てほしい」というお願いを一も二もなくOKした。  先輩がいなくなってからはお母さんが育てることになるけど、なぎ先輩も帰れる時には帰ってきて、世話をするつもりでいるらしい。 「綺麗な花が咲くといいな……」 「絶対綺麗に咲くよ。麻青がくれたものなんだから」  なかば独り言だった言葉に、なぎ先輩がすぐさまそう返した。ためらいのない声がくすぐったくて、頬がふにゃっとゆるむ。 「はい、そうですね」  その後、遅めの簡単な昼食をご馳走になると、お母さんは夕食の買い物に出かけていった。  お父さんは土曜出勤で17時頃に帰ってくる予定で、今日は夕食までご馳走になることになっている。前にご両親が言ってくれていた『お礼』のご飯だ。  なぎ先輩と僕で昼食の洗い物をして、食後のコーヒーを淹れてソファに移動した。 「……卒業式まで、あとちょうど10日か」  カップを口に運んでいた時、ふいに隣の先輩がひとりごちる。手を止めて顔を見ると、正面の壁に掛けられたカレンダーを見ていた。 「……そうですね」  一口コーヒーを飲んで、カップをソーサーに戻す。 (卒業……犀堂高校からなぎ先輩がいなくなる……)  素直に、とても寂しい。 (卒業で終わりじゃなくなったけど……それでも、今までみたいに学校で会えなくなるのは寂しいよ。先輩は実織さんのバイトも辞めちゃって、同じステージに立つことももうないし) 「先に言っておきますけど、僕多分すっごい泣くと思います。すみません」  なぎ先輩だけじゃない。るー先輩をはじめ、演劇部であんなにお世話になった先輩方ともお別れなのだ。 (うう、大泣きする自信ある……) 「だろうね。早めにオレのとこ来て、抱きしめるから」 「だ、抱きっ……!?」  ぎょっとして体ごと隣を向いたけれど、同時に腕が回ってきてぎゅっと抱きしめられた。 (って、今も……!?)  あっという間に心拍数が上がって、ドッドッと脈打ち出す。 「い、今は泣いてないですよ……?」 「今はただの愛情表現」  髪に頬をすり寄せられて、ますます体温が上がった。 「せ、先輩……」 「ん、ダメだった?」  声が近い。先輩の体温も、香りも……何もかも近すぎて、くらくらする。 「ダメじゃ……ないですけど……」 (うれしいけど……ドキドキしすぎて、困る……) 「先輩、変わりすぎですよ……」 「何が?」  少し体を離して、至近距離で顔を覗き込んでくるなぎ先輩。 (だからその優しい目も、声も全部ですって……!)  想像もしてなかった。先輩がこんなに甘ったるい眼差しで誰かを見たりするなんて。 「ねぇ。オレの何が変わったの、麻青?」  全力で『可愛くて仕方ない』と訴えてくる、艶めいてほんの少し悪戯な光を灯した瞳。 「……キャラが」  消え入りそうな声で答えると、熱くなっている頬にチュッと音を立ててキスされた。 「素直になっただけだよ」 「~~~っ……」  マンガだったらきっと今、僕の頭からはフシューッと蒸気が出ているに違いない。 (骨抜きってこういうこと……?)  力が入らない僕を、先輩はふふっと楽しげな笑みをこぼしてもう一度抱き寄せた。 「卒業しても時々は帰ってくるし、麻青も横浜、遊びに来てよ。受験生だから頻繁には無理かもしれないけど、勉強だって教えるし」 「それは、はい、もちろん。行きます」 (先輩の独り暮らしする家とか、住んでる街とか……あ、大学も見てみたい)  そう話すと、先輩も「いつでも案内するよ」と笑ってくれる。 「そういえば、実織からの仕事は来年も続けるの?」 「はい。それも受験勉強や部活とのバランスを考えながらですけど、できる限りはやりたいなって思ってます」 「そっか、実織も喜ぶね」 「先輩は、大学で演劇サークルに入るんですよね?」 「うん、そのつもり。けっこう大きいサークルがあるみたいで」 (そうなんだ。先輩、そこでもきっと大人気になるんだろうなぁ。大学って、綺麗な女の人とかもたくさんいるだろうし……)  僕にはまだ手の届かない、ひとつ先の華やかな場所に先輩が行ってしまう気がして、正直、不安がないわけじゃないけれど……。 「──大丈夫だよ」  ふいに体を引いた先輩が、両手で僕の頬を包んだ。 「……え?」 「どこに行ったってオレには麻青しか見えてないし、麻青しかいらないから」 「!」 (僕、何も言ってないのに……) 「『人と人を繋ぐのは、関係でも距離でもない。互いの想い』でしょ」 (……それ、月の精の)  ジャズ喫茶エテでの最終公演で、るー先輩演じる月の精が告げたセリフ。僕の伝えたいことを聞いて、あらたが紡いでくれた言葉だ。 「はい……そうですね!」  雲が晴れるように不安が消えていく。 (そうだ、何も心配することなんてない。こんなに僕のこと見て、わかってくれてる先輩が傍にいるんだから)  愛おしげにうるんだ先輩の瞳に、僕が映っている。 「オレも麻青には、幸せの中で笑っていてほしい。オレの隣で」  顔を寄せながら先輩がささやいた。  唇にかかる吐息を感じながら、僕は目を閉じる。 「ん……」  くすぐるようにそっと触れて、輪郭をたどるようにチュ、チュ、と軽くついばんで。それからゆっくりと、深く重なる唇。 「ぁ……せん、ぱ……」  息を継いだ隙に唇を押し開いた舌が、僕のそれをすくい取って翻弄する。 (……頭、ジンジンして……何も考えられなくなりそう……)  先輩のキスは、いつも僕をおかしくする。 (触れ合ってるの、唇だけなのに……全身の皮膚が、唇と同じ厚さになったみたい……)  交わる吐息も、先輩の指先になぞられる頬や首筋も、耳に響く水音も。全部が、不思議なくらい敏感になった僕をどんどんのぼせ上がらせていく。 (あぁ、でも……) 「……先輩、大好き」  キスの合間、熱に浮かされたように告げた。  ッハ、と先輩がどこか苦しげに息を吐く。 「……麻青」  片手がグッと僕の腰を抱き寄せて、ウエストのラインをなでるように動いた。 「んっ」  くすぐったくて思わず声をもらした時、先輩がゆっくりと体を引く。 「……おしまい」  頭ひとつ分くらいの距離で、艶を帯びた瞳を三日月の形に細めて少し笑う。  僕はまだぼうっとしていて、額をぶつけるように先輩の胸に体をあずけた。くったりした僕を、先輩はそっと抱きしめてくれる。 「ちょっと、外出よっか」  しばらくして互いの鼓動が少し落ち着いた頃、先輩がそう言った。 「外? どこか行くところあるんですか?」 「特にないけど……このまま家いると、オレがまずいことなりそうだから」 「え?」 (まずい……?) 「気にしないで、なんでもない。いい天気だし、散歩しよ」  普段よりやや早口に告げ、先輩が僕の手を取る。支えてもらいながら一緒に立ち上がった。 (散歩か。なんかまだ少し体がカッカしてるし、たしかに熱冷ましにいいかも)  コーヒーカップをシンクに運び、上着を羽織って家を出た。  今日は晴天だ。エントランスから出ると、午後の陽光がまぶしく降り注ぐ。  なぎ先輩は空を仰ぎ、目を細めた。 「いい天気。やっぱ今日、かなりあったかいよね」 「ですね。そういえば天気予報で、4月下旬並みの気温まで上がるって言ってたかもです」 「4月下旬? どうりであったかいわけだ」  言いながら歩き出した先輩の隣に並んだ。  あてのない散歩。どこに向かっているのか知らないけど、別にどこでもいい。  ゆっくりと、ただ春の日差しと空気を感じながら二人で歩いていく。 「あっという間に桜も散って、夏が来るだろうな」  寂しそうにも、期待しているようにも聞こえる声でなぎ先輩が言った。 「そうかもしれないですね。今年の夏も暑いかな」 (去年の夏も暑かった。でもあらたがいい本書いてくれて、今年は本気で都大会狙えるかもって気合入ってたから、ワクワクもしてて……)  そこでふと思い出して、僕は先輩を見上げた。  夏。真っ青な空に、真っ白い入道雲。ぱきっとした、目の醒めるようなコントラスト。  まぶしい──まぶしすぎるくらい降り注ぐ太陽。  「先輩はまだ、夏の空が苦手ですか?」  問いかけると、先輩は足を止める。 「ううん」  僕と目を合わせ、つぼみが開くようにふわりと微笑んで。それから、眼差しを澄んだ空に向けた。 「これからは、夏空も満月も好きになっていけそう」 「……よかった」  予想していた答えだったけれど、心の底からそう思う。  ──春も夏も秋も冬も……満月の夜も三日月の夜も、月のない夜も。  どんな時も、先輩と一緒にいたい。  それに、二人一緒ならいつだって、僕らの周りはとびきりのまぶしさと『綺麗』であふれているに違いない。 (先輩が隣にいてくれるだけで、僕には今だって、こんなに世界が輝いて見えるんだから)  空を見上げながらそんなことを考えていると、先輩が僕に手を伸ばす。 「行くよ」 「──はい!」  差し出された手のひらをきゅっと握り返して、僕たちは再び歩き出した。     〇END●

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