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プロローグ

 人生のターニングポイントはどこか。  その問いには、9つの頃、祠が壊れるのを見ていたことだと迷わず答えるだろう。  全校生徒が十数人しかいない小学校に通うような田舎で育った俺は、必然的に近所の年上の子供とつるむ事が多かった。そこそこ険しい通学路を年上の子供に先導され歩く。たとえ悪ガキでも、あの中で逆らうなんて無理だった。彼らが卒業するまでの間、金魚のフンのごとく後についていく……閉鎖的な村というのは、そういう所だった。  少し広いあぜ道の端にひっそりと建てられていた祠へちょっかいを出したのも、そんな日常の秋のことだった。  小さなそれは、屋根の端が欠け、木材も雨風に削られていた。何を祀っているのかすら分からない。しかし、誰かが定期的にお参りにきているのだろう、ボロくとも小綺麗な印象があった。そんな祠に何を感じたのか、上級生が興味を示したのだ。  力任せに扉を開けば、中には紙垂の巻かれた石碑が祀られていた。リーダー格の子どもが、面白半分に頭を突っ込んで中を改める。子供ながらに罰当たりだと思った。けれど誰も止めない。取り巻きたちはゲラゲラ笑いながら、囃し立てるばかりだった。  窘める勇気もなく、一歩後ろで眺めていると、ふと冷えた空気が足首を撫ぜるのを感じた。秋も深くなってきたとは言っても、いまだ日中は暑さが残っているのに、だ。けれど、違和感に息を飲むのは俺だけのようだった。目の前の子どもたちは変わらずに笑い続けている。  誰かが呼びかけ、頭を入れていた子どもが体を起こした。開いた扉へ手をかけ力を込めた途端、バキッと嫌な音が響く。上に付いていた蝶番が外れたのだと理解した時には、扉は支えを無くし落下していた。息が止まり、目を瞑る。しかし、大きな音はしなかった。 「壊した!」と、どっと溢れる笑い声に、恐る恐る目を開ける。幸い、下側の留め具はまだ無事だったようで、全てが外れ落ちる事態は免れたようだ。地面の上ギリギリの所を小さく揺れていた扉が、ピタリと止まったところだった。 (良かった……)  詰めていた息を吐き出し、辺りへと目をやる。未だにふざけ続けている子どもたちの声とは対照的に、虫の声が、葉擦れが、鳥の鳴き声が……周囲の音がやんでいた。  厳かなほどの静寂の中、僅かに石碑に巻かれている紙垂が揺れている。何かが、祠の後ろにいる。肌に感じる威圧感に、鳥肌がたった。ふわりと、花の香りが鼻腔をくすぐる。言葉が出ずに呆然と立ち尽くす俺の横を、前にいた子供たちが笑いながら駆け抜けていく。  荒くなっていく呼吸、焦点の合わなくなる視界、寒気に襲われる身体。自分ではどうすることもできず、金縛りにあったような俺の背後から、大声が飛んでくる。 「シュウ! いくぞ!」  瞬間、奪われていた五感が一気に蘇り、弾かれたように走り出した。未だに総毛立っている腕を擦りながら大分先へと行ってしまった子どもを追いかける。追いすがるような花の香りは、祠が見えない位置までくるといつの間にか消えていた。  その後は、上級生の機嫌を伺うこともせずに、一目散に家へと駆けた。振り返りもせず家まで駆けて、玄関の引き戸を乱暴に開けた。飛び込むように中へ入って、そのまま思いきり閉める。やっと安全地帯に戻ってきた安心感に、力なく目の前の上がり框へと倒れ込むのと同じタイミングで、驚いたばあちゃんが居間から顔を出してきた。「どうしたの?」と問いかけられるが、それを曖昧に笑って誤魔化す。とてもじゃないが、祠を壊すのを眺めていただなんて言えなかった。  質問から逃げるように息も整わないまま自室へと駆け上がり、ランドセルを置く。本棚からお気に入りの漫画を引っ張り出してみるが、数コマ目を追ってから閉じた。まとわりついた恐怖は、そう簡単には消えてくれなかったからだ。  恐怖心に負けて、再び人のいる居間へと戻れば、テーブルの上にはおやつの準備がされていた。普段なら相変わらずの煎餅に辟易していた所だったが、今は人が傍に居るだけでありがたかった。座卓の前へと座り、煎餅を手に取る。ばあちゃんは、なにも聞いてはこなかった。ただ、こちらへ背を向ける形で、壁際に設置されている仏壇の前で手を合わせていた。供えられているのは数個の柿。あれは、きっと明日のおやつとして出されるものだろう。そんなことをぼんやりと考えながら、テレビのリモコンへ手を伸ばした。  夕食を食べて、風呂に入って。何事もなく布団の中へと潜り込む。日中に干してくれていたんだろう、お日様の匂いに包まれながら目を閉じる。普段ならすぐに手放される意識は、どうにも今夜は居座り続けた。ぐるぐると思い返してしまうのは昼間の出来事。あの纏わりつくようなひんやりとした空気と、甘い香り。熱いはずの布団の中で、ぶるりと身震いをする。罪悪感から逃れたくて、なんとなくタオルケットを頭の上まで被り、暗闇の中へと潜り込み、体を丸めた。自分の呼吸のせいで、熱くて息苦しい。それでもこの中から出たくはない。心の中で謝罪の言葉を繰り返しながら、必死に目を閉じた。  そして、次に目に映ったのは、あの半壊した祠だった。  月明かりの下、外れかけている扉が軽く軋む。そよぐ紙垂の前で、濃い色をした着物の裾が見えた。気付けば、人が立っていた。鋼色の髪を腰まで伸ばし、緩く一つに纏めているその人は、男、だと思う。じっと、その祠を見下ろしている姿に思わず魅入る。なんとも神秘的だと感じるその情景だったが、突風により視界が遮られる。顔を守るように翳した腕を降ろし、再び目を開けば、その男がフッと頭を上げた。何かに気付いたように振り返り、目が合った。青白く冷たい灰色の瞳が、少しだけ見開かれる。それから、小さく微笑みかけられ、すうと男の体が消えていく。後に残ったのは、例の祠だけだった。 「~ッ?!」  飛び起きると、まだ早朝だった。荒い呼吸を繰り返しながら、部屋の中を見渡す。夜明け前、カーテンの隙間から僅かに入り込む外の光で、部屋の中は薄暗い。それでも、昨夜と何ら変わりのない、いつも通りの自分の部屋。日常を認識してから、顔を手で覆った。  変な夢だった。それなのに、見知らぬ着物の男に不思議と恐怖は感じなかった。ただ、とても悲しそうに笑ったあの表情だけが、脳裏へと焼き付いていた。  息を吐き出し、再び布団へと体を倒す。どうせ夢だ。まだ朝も早いし、今日だってこれから学校がある。もうひと眠りしてしまうのが正解だ。  そう分かっているのに、どうにもあの祠が引っかかる。それから、夢で出てきたあの男…… 「ああ、もう!」  顔を覆っていた手を外すと共に、気付けば布団から抜け出していた。  数個のガムテープとビニール紐、それから仏壇に供えられていた柿を腕へと抱え込み、玄関へと急ぐ。心地よい外気を吸い込みながら、自転車の籠に抱えていたものを投げ入れた。スタンドを外して跨れば、霞がかる道を全速力で駆け抜けた。  目的地へは数分で辿り着いた。乗り捨てるようにしてあぜ道へ自転車を停め、祠の前まで駆け寄る。息を整えてから、深く頭を下げた。 「昨日はごめんなさい! 今、直します!」  そこからは、無我夢中だった。ガムテープをグルグルと巻き付けて、なんとか扉が地面へとつかない程度には修復をさせる。他壊れている所を直すほどの技量も資材もないため、手でそれとなく埃を払ってやった。満足気に息を吐いて一歩離れてみる。ガムテープが変に強調されてしまい、直す前よりも不格好になってしまったかもしれない。小さく首を傾げるが、これ以上何かできるはずもなく……考え込むこと三秒。気を取り直し、籠に残していた柿を回収する。それを祠の前へと供え、手をあわせ目を閉じた。 (ごめんなさい。直しました。許してください。ごめんなさい)  心の中で謝罪を繰り返す。気の利いた言葉など一つも出てこない。同じ単語の堂々巡りをしていた所で、辺りに花の香りが混じったのを感じた。違和感に謝罪を中断すると、軽く頭を触れられる感触が続く。温度は感じない。なのに、誰かに撫でられているような、不思議な感覚だった。 「君は、いい子ですね」  その言葉を耳が拾ったのか。直接頭の中へ響いたのか。それは分からなかった。  けれど、心地の良い音が、優しい声色で囁かれたのだけは分かる。心の中がふんわりと温かくなるような、許された気持ちにさせるような……静かな空間で、いつまでもこの声の主に撫でていてもらいたくなる。こわばっていた体の力を抜きそうになった時、何かがおかしいことにやっと気づいた。  早朝とは言え、既に日が昇り切っている時刻だ。鳥の鳴き声一つ聞こえない静寂は、おかしい。 「!?」  それに気づいた瞬間に、拝んでいた顔を勢いよく上げる。荒い呼吸で辺りを見回してみても、そこにはつい数分前と変わらない風景が広がっていた。どこからか鳥の鳴き声がするのを聞きながら、帰ろうと思った。かと言って、このまま逃げ帰るのは失礼だと感じ、もう一度深く頭を下げる。  振り返れば、自転車を停めている場所は強い太陽の光で照らされていた。これぐらい日が昇ってきているなら、農作業に出ていた大人たちが一回家へと戻ってくるだろう。 「やっばい!」  起き抜けに飛び出してきたことを知られたら、怒られるに決まっている。どこに行ったのかバレると、芋ずる式にこの祠についても知られてしまう。そうなれば大目玉だ。  つい先ほどまで感じていた違和感が吹き飛ぶような未来に震え、走り出す。猛ダッシュをする俺の背後、日陰で薄暗くなった中に佇む祠の方から、ひどく楽し気な忍び笑いが聞こえたような気がした。

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