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第7話:茜色の約束
大きな尾鰭 を動かせば、うんと早く前へ進む。
レオニアスは逸る気持ちを前進する力に変えるかのように水を蹴り、海岸を目指す。
ずっと興味を持ってこっそりと覗いていた屋敷の住人と、昨日初めて言葉を交わした。
それまで警戒していた想像の人間と違い、ルイスは控えめで、随分と弱い生き物だと感じた。
まるで人見知りの子供のように、人の目を気にして、けれど興味の滲んだ眼差しでこちらを窺う紅い瞳が綺麗だった。
正体は隠し通せたとはいえ、今日も人間になりすましてルイスに会いにいくのはよくないことだとレオニアスは十分に理解している。
昨日は人命救助、けれど今日はレオニアス個人の感情だ。
ルイスがまた会えるか、と聞いてきた時、断るべきだとちゃんと考えはした。
けれど、その眼が真剣で、迷子を置いていくような居心地の悪さを覚えて、頷いてしまっていた。
海底に太陽の光が届きはじめて、水深が浅くなっていることに気付く。
陸地までどれくらいだろうか、と一度海上へと顔を出した。
日差しは夕焼け色に近づいていて、陸地から少し離れてぽつんと建つ屋敷が見える。
もう一度水を大きく蹴り、水中や岩礁に身を隠しながら近づいていく。
昨日と同じように水中で人間の姿に変わり、服も真似た。
砂を踏みしめる感触はやはりどこかくすぐったくて、波や足場の悪さに、脚で歩くことはまだ少し難しいと感じた。
屋敷へ続く道を歩きながら、体が濡れたままでは怪しいかもしれない、とレオニアスは考える。
髪や衣服が吸った海水を手のひらの上へ集め、できた小さな水球を放り投げれば、一度だけ地面にバウンドしたあと泡のようにパシャリと弾けた。
髪や肌が乾燥するという感覚もまだ少し慣れない。
庭に着き、ルイスの姿が見えないため建物に入ってもいいのか少し逡巡する。
昨日入ったガラス扉に近づくと、ルイスの頭が見えてレオニアスは無自覚のうちに表情に笑みが浮かぶ。
ガラス扉を引けば、小さくキィと音を立てて開く。
部屋の中から、嗅いだことのない甘い香りや深みのある不思議な香りが漂ってきて足を止める。
建物の中に他に誰かがいるかもしれない、と僅かに残った警戒心で小さく声を掛ける。
「ルイス」
聞こえていないのか、ルイスは動かない。
耳をすませてみても建物の中は静まり返っていて、今日も他には誰もいない様子だと分かる。
それでも少しだけ警戒しながらそっと部屋へと上がり、ルイスの正面へ回り込んで見下ろす。
柔らかそうな布張りの椅子に深く座って俯いている。
「……ルイス?」
もう一度、声量を抑えて声を掛ける。
反応のないルイスに、レオニアスはしゃがみ込んで、下から見上げるように覗き込む。
ルイスは目を閉じ、胸は静かに上下していて、やはり眠っているようだった。
頬はほんのりと色付いていて、体調が悪く寝ているのではなさそうで安心する。
起こすのも悪いか、と逡巡しつつ椅子の縁に手を置くと、布の内側に何が入っているのか、少しふかりと沈む感触が心地好い。
昨日は床ではなくここに寝かせてやるべきだったな、と思いながら寝顔を見つめていれば、ルイスの睫毛が震え、ゆるりと目を開ける。
「……」
ぼんやりとした眼差しがレオニアスの視線と重なり、ルイスが何度か瞬きをするのを眺める。
紅い瞳が鮮やかに煌めいて、綺麗だと感じる。
「……レオニアスさん?」
「ああ。おはよう、ルイス」
昨日教え合った名前が交わされ、レオニアスは人間と穏やかな挨拶が交わせることに嬉しくなる。
対するルイスは、居眠りとそれを見られたことに少し慌てて体を起こした。
ぶつかりそうになり、レオニアスは思わず軽くのけぞる。
「おっと」
「すみません、寝てしまって……ええと、こんにちは」
「こんにちは。疲れていたのか?」
動揺しながらも、律儀に挨拶の言葉が飛び出るルイスに微笑ましい気持ちで応え、手を伸ばして頭を軽く撫でてやる。
ルイスは狼狽えた様子で、忙しなく襟元や髪を正していたが、レオニアスが頭に手を置いた途端に大人しくなる。
人見知りの子供が少し懐いてくれたような感覚を覚えて、また笑みを浮かべる。
昨日は海水に濡れてベタついていた髪が、今日はさらさらと指通りがいい。
少し乱雑に頭を撫で回しても、なめらかな髪は夕焼けの明かりを受け、チラチラと煌めくだけで絡まる様子もない。
ふと、髪からふわりと香った匂いは、部屋の中に充満する匂いと異なり、爽やかな甘さを感じて確かめるため更に顔を寄せる。
「昨日とは違う匂いがする。ルイスの匂いか?」
「え……えっ?」
問い掛けると、顔を赤くしたルイスが椅子の上で身を引いて距離を取ろうとする。
その反応に、興味が先行して不躾な質問をした、と少し反省しながら、レオニアスも体を引く。
「……昨日は潮の香りしかしなかったから。今日は君も、部屋の中も、昨日と違う」
悪い意味ではないと伝えたくて、言い訳を口にする。
父や兄達が見たら、礼儀のない行動だと眉を顰 めるような振る舞いだった。
それ以前に、人間と話している事がバレた時点で一大事だろう、と今更な罪悪感も少し戻ってくる。
「あ、ええと……今日は、昨日のお礼がしたくて、焼き菓子を作ったんです」
「焼き菓子?」
そわそわと落ち着かない様子のルイスに、レオニアスが椅子の正面でしゃがみ込んでいるせいで邪魔になっているのだと察する。
レオニアスが立ち上がって一歩横へ避ければ、少し安堵したような表情を浮かべたルイスも腰を上げる。
「ご迷惑でなければ、今から用意します」
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