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憧れと再会
朝倉詩という名前を初めて聞いたのは、中学二年の時だった。同じ階級にとんでもない選手がいる。一本背負いだけで勝ち続ける天才がいる。柔道をやっていれば、一度は耳にする名前だった。
最初は興味がなかった。強い選手など毎年現れる。そう思っていたからだ。
けれど実際に試合をした瞬間、その考えは消えた。朝倉詩は強かった。ただ強いだけじゃない。畳の上に立つ姿が誰よりも眩しかった。試合が好きだと全身で語っているような柔道だった。
(あいつと戦いたい)
そう思ったのは初めてだった。
そして中学最後の全国大会。
藍沢陽彩は決勝の舞台で詩と向かい合うことになる。試合時間は三分。長いようで短い。少しの隙が勝敗を分ける世界だった。
息は上がり、柔道着は汗で張り付いていた。
それでも目の前の男は笑っていた。楽しそうに。
まるで柔道そのものを愛しているみたいに。
(……強いな)
そう思った次の瞬間だった。視界が大きく揺れる。鮮やかな一本背負い。背中が畳へ叩きつけられた。主審の腕が真っ直ぐ上がる。
「一本!」
試合時間、二分四十七秒。
陽彩が初めて負けた瞬間だった。
会場が歓声に包まれる。背中に残る衝撃と、耳に響く拍手。それらをぼんやりと聞きながら陽彩は天井を見上げていた。悔しいはずだった。けれどそれ以上に、朝倉詩という男の柔道に心を奪われていた。
立ち上がろうとした時、手を差し伸べられる。
「こんな試合初めてだった」
陽彩は目を瞬かせる。
詩は差し出した手を引っ込めないまま続けた。
「また俺と戦ってくれるか」
その言葉に陽彩は思わず笑った。負けたばかりだというのになぜだか胸は高鳴っていた。差し出された手を取る。
「次は負けない」
すると詩は嬉しそうに笑った。
その笑顔を陽彩はずっと忘れられなかった。
――それから二年後。
満開の桜が校門を彩っていた。
柔道の特待生として入学した高校。全国でも名の知れた強豪校だった。入学式を終えた陽彩は、配布された構内地図を片手に校舎を歩いている。
広い。第一印象はそれだった。
迷わないうちに柔道場の場所だけでも確認しておこう。そう思った時だった。
廊下の向こうから怒鳴り声が響く。
「朝倉ぁぁあ!!待てコラ!!!」
思わず足を止めた。次の瞬間、廊下の角を勢いよく曲がってきた男子生徒が視界へ飛び込んでくる。茶色い髪。高い身長。長い手足。着崩された制服。その後ろを教師が全力で追いかけていた。
「入学式終わったばっかだろうが!!!」
「終わったなら帰っていいじゃん」
「よくねーだろ!!!!」
あまりにも堂々とした言い訳だった。陽彩は呆気に取られながら男を見る。その瞬間、男と目が合った。
時間が止まった気がした。見間違えるはずがない。中学最後の全国大会。決勝戦の相手。
(……朝倉詩)
天性の天才。憧れた背中。追いかけ続けた目標。けれど目の前にいる憧れの男は陽彩の知る男とは違っていた。向こうもこちらへ気付いて目を小さく見開いた。
「おっ!」
覚えていたらしい。
けれど感動の再会は一秒も続かなかった。
「朝倉あぁぁぁ!!」
教師の怒鳴り声が近付く。詩は面倒そうに後ろを振り返ったあと、陽彩へ視線を戻した。
「わるい。また今度」
そう言って片手を上げる。
次の瞬間には陽彩の横を通り過ぎ、再び走り出していた。教師もそのまま通り過ぎていく。
廊下には一瞬で静寂が戻った。陽彩はしばらくその場に立ち尽くす。そして小さく眉を寄せた。
「おい、新入生」
固まっている陽彩に声を掛けてきたのは、ジャージ姿の男だった。首から笛を下げている。どうやら教師みたいだった。
「柔道部の見学か?」
「あ、はい」
「なら、道場はこっちだ」
陽彩は慌てて頭を下げる。
けれど歩き出してもさっきの光景が残り続けていた。二年越しの再会は、陽彩が想像していたものとはあまりにも違っていた。
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