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第1話
***
日直のしきる終礼中、担任の教師が云 った。
「あ~、藤守 か稲葉 、いまからどっちか時間空いてないか? 先生、今日氏家 の見舞いに行こうと思うんだが、クラス代表としていっしょに来てくれ」
クラス一の人気を誇る氏家の名まえに、「やだっ、私行きたい!」「塾休むからセンセー私を連れていってくださ~い」と手をあげる女子たちで教室が湧きたった。
「センセー。あたし無理です。予備校ありますから。ってか、コレはやく終わってくんないと遅刻する」
稲葉は見た目はおさげに眼鏡といういかにもおとなしそうな優等生だったが、中身は容赦ないエゴイストだ。彼女はそこそこの友だち人気を利用して、自分が優位にたつために自ら立候補して学級委員になっていた。そんな彼女が面倒な仕事をするわけがなく、
「藤守くんに行ってもらってくださ~い」
そう云って俺のほうにチラっと視線を向けた。悪びれるどころか、「文句あっか? シメんぞコラ!」とその眼鏡越しの瞳がきらっと光る。
「あぁ、そっか。じゃあ、藤守、悪いが終礼終わったら荷物まとめて職員室にきてくれ」
「……はい」
俺の意向を聞かないのはワザとに違いない。担任教師は云いたいことだけを云うと日直に解散の号令をかけさせた。
ああ、いやだいやだいやだ。
行きたくない、行きたくない、行きたくない。
かといってその気持ちを訴えようとする気力も湧いてこない。かわりに俺は担任が呼んだタクシーの中で、膝に抱えた鞄をぎゅっと抱きしめ溜息をひとつついた。
「なんだ、お前、そんな嫌そうな顔すんなよ」
眉を寄せおどけたふうに云った彼から、ふいと顔をそむける。
「いえ、別に……」
「嫌々見舞っても、氏家うれしくないだろうが。相手の気持ちをもっとよく考えろよ? 大人になるのに勉強だけしてりゃいいってわけじゃない。思いやりの気持ちとかも―」
滔々 としゃべりだした担任に、コイツはなんだ、と思う。タクシーの運転手に「俺って教師~」自慢か? ちゃんと指導してます的な?
だったら俺にも考えがある。
「先生。それ、なんで稲葉に云わなかったんですか? 断った稲葉にはなんも云わないで、なんでおとなしく着いてきている俺にそんな説教するんですか?」
「うっ……」
言葉を止めた担任教師―名まえは美濃 だ。もう三十近いおっさんで担当教科は国語―に追い打ちをかけるため、ぎっと睨 めつけた。そもそも俺は気が強いんだ。ここ最近はすっかり生気なく生きているけどさ。
日ごろおとなしくしている俺に云い返されるとは思ってなかったのだろう、美濃は少し目を泳がせたあと、
「……だって、稲葉怖いじゃん」
と、ぼそっと呟いた。
「怖いじゃんじゃ、ないでしょ? 教師って仕事やってるんだったら表面上だけでも平等に接してくださいよ。アイツ、調子に乗るじゃないですか。先生だって舐められますよ?」
「だってこの年頃の女子って扱いづらいんだよ、お前らにはわかんないかもしれないけど。ちょうど大人をナメくさる時期だろ? なんかいうと突っかかってきて面倒なんだよ。んで、都合のいい時だけ泣きついて来たり教師のせいにしたり~」
偉そうなことを云いはじめた美濃にタクシー運転手のまえで恥をかかせてやろうかと思いきや案外プライドがなかったようで、こいつはより情けない話をしはじめた。
(だったら、教師なんてやめりゃいいだろ。ガキか、こいつは)
「でも男子はさ、まだ幼いところも残ってるから、つきあいやすいんだ。正直、甘えさせてもらっている自覚はあるって。それにな、女子を立ててややこしいことは男子にお願いしているほうが、クラスはうまく行くんだよ」
(まだ続くの⁉ 本当にガキだな、コイツは。だいたいうちのクラスのどこがうまくいってるんだ? ああ、こいつにとってうまくいってるってことか)
ムカついてチッと舌を打った俺に、「機嫌直せよ。そんな顔で行って、もしあいつの母親に出くわしたらどうすんだ? ちゃんと挨拶してくれよ? 頼むよ」と、美濃は拝むようにして手をあわせた。
(クッソ、お前はなんにもわかってない! あ、その手はそのまま『ナムアミダブツ』って合わせてろ! もう病院につくからな!)
車窓に目指す病院が見えてきた。まぁ、一分もあれば話せるな、と俺は不機嫌に歪めていた口をひらいた。
「先生、いまクラスで虐めがあるのわかってます?」
「へっ? うそっ⁉」
「ほんとに気づいてなかったんですか? びっくりです。それで助けにも入らなかったってんですね」
「だっ、だっ、だれが⁉ だれが虐められていて、誰がいじめているんだ⁉」
俺の両肩を揺さぶる美濃の顔は蒼かった。
(そっか。気づいていなかったんなら仕方ないか)
それにこんな顔みたらちょっとは溜飲が下がって、もういいかって気になってきた。学校で自分が嫌がらせされていることもなんとかしたい案件だが、いまはそれよりも直前に面した大問題がある。
「あと、俺、霊が見えるんです。だから見舞いが嫌なんではなくて、病院が嫌なんです」
「へ? レイ?」
タクシーが病院の正面玄関に横づけになると、タクシーを待ってスタンバイしていた大量の大問題:(ソレ)たちが、わらわらとドアの前に集まりだした。窓ガラスにビタビタッと音を立ててヤツらの顔や手がへばりつく。
「ヒッ!」
恐怖にびくっと身がすくんだ。
「つきましたよ。お会計は二千五百三十円です」
「ってか、藤守、だれが虐められているんだ? 教えてくれ! それとも冗談か⁉ 冗談だろっ⁉ 先生をびっくりさせてやろうって―」
ガチャリとドアが開けられると、我先にと怨霊、悪霊の浮遊霊がタクシーに乗りこんできた。
(ぎゃぁぁぁっ!)
脚のないおじさんが俺を膝で踏みつけていき美濃の上に座る。つぎに頭から流血した子どもが腹がぐちゃぐちゃの女の手を引いて乗り込んできた。よぼよぼのじいさんが、太った中年の奥さんが、首が折れた中年ライダーが、と、乗車定員なんて関係なく、体積も重量もない彼らは空間を無視してどんどんとタクシーに入り込んでくるのだ。
「うわっ」
気色悪さと、悪寒に悲鳴をあげて俺はタクシーから転げ落ちるようにして飛び出した。
「あっ、おい、ちょっと待てよ。あっ、領収証お願いします」
「はい、領収証」
美濃がタクシーを降りると、大量の幽霊を乗せたタクシーはさっさとつぎの生きている客を乗せてロータリーを走り去っていった。あれで事故らないなら奇跡だな。
「帰りはここでタクシー乗るのはなしだ」
そして目の前に立ちはだかる建物に対峙した俺は、慄 いた。ガラス越しになかで行き来する人間とかわらない数の幽霊が見えているのだ。この体質、いや視力か? 本当になんとかならないのだろうか。さてと。
俺は自分の鞄を美濃に押しつけて持たせると、彼の背中にぴったり張り付いた。
「おい、藤守、どうした⁉」
「先生、見舞いでしょ⁉ さっさと済ませてはやく帰りましょう!」
自動ドアに向けて、俺は盾にした美濃の背中をぐいっと押した。
氏家の病室は本館の奥にある東棟の三階で、しかも廊下の一番突き当りだという。最悪だ、遠すぎる。いい加減にしてくれ。
「おい~。本気か、藤守?」
「いいから、とっとと歩いてくださいっ、ひあっ!」
すれ違った霊のあまりに酷い容姿に、声がでた。ぎゅっと美濃のシャツにしがみつくと、「いてえっ!」と叫ばれる。
「お前、嘘だろ? やめてくれよ、先生まで怖くなるだろ」
「いいから、黙って歩いて! あっ、絶対霊安室の近くは通るなよ? ギャッ!」
「あ、あれだろ? 中二病! ワタシ、お化け見えるんですぅ。他の人とは違って特別なんですぅっ、ってヤツ。お前ちょうどいいからお医者さんに診てもらえ、ははは」
「美濃先生ってそんなにデリカシーなくて、いままでよく問題なしでやって来れましたね。そんなんだと、そのうち担任する生徒に自殺者でますよ? ってか、黙って歩いてください! コイツら、話し聞きに寄ってくるんですよ! ひぇぇっ、あっち行けっ‼」
「……お前なぁ」
ぴたりと足を止めた美濃が俺を背中から引き剥がし、大きな溜息をついた。
「そんな構ってちゃんな悪戯とかさ、まぁ、俺はいいけどさ。高三にもなってそんなんじゃみんなに嫌われるぞ?」
ただでさえ幽霊たちに囲まれて怖い思いをしているのに、それなのに本当なら俺の味方になってくれるはずの担任教師につきはなされて、しかも嘘をついていると決めつけられた。心臓がきゅうってなった。
そうだ、コイツってこんなヤツなんだよ。まだ学生気分が抜けてない二十七歳のペーペー教師。
「さっきもクラスに虐めがあるだとか云ってたけど、俺の気を引きたいのか? どうせそれも嘘なんだろうが」
やれやれと頭を掻いた美濃は、「さぁ、行くぞ。普通に歩けよ」と俺を促した。
「クッソ。いいか、じゃあ云ってやる! 先生には生まれてすぐに死んだ弟がいるだろ。あんたに懐いていて、ずっとあんたの左肩に乗っている。そこだけ先生、いつも重いでしょ?」
「へっ」
美濃が左肩に手をあてて、キョトンとした。
「あと、先生、キノシタセイジってひと知ってる? さっきからずっと『俺の病室そっちじゃねえぞ』ってあんたの横で云っている!」
「えっ、えええっ!」
美濃の顔が真っ青になった。きっと最近死んだ友だちなんだろう。
「あとな、これを見ろ!」
俺はジャケットのボタンを外し、カーディガンとシャツを捲り上げると、素肌の腹を彼によく見えるようにしてやった。そこには昨日クラスメイトに殴られてできた大きな痣がある。
「そうだよ、俺はみんなに嫌われている。虐められているのは俺で、虐めているのはクラスのほとんどの男子と、一部の女子だよ! そして俺があんたの受け持つ生徒のはじめての自殺者になってやる!」
「……あ、……うそ。そんな……」
声が少し大きくなったせいか、並々ならぬ雰囲気のせいか周囲にひとが集まりだした。通りかかった看護師が「血が出てるじゃない、手当てしてあげるからこっちにおいで」と俺の袖をひっぱった。目立ちたいわけじゃなかったので彼女には小さな声で礼を云って、野次馬たちにも向こうにいってもらう。
「なんで……」
「お化けが見えるとか、中二病発言なんてしたことないよ? 子どものときからずっと見えてるんだもん。いまさらこの歳になって自慢することでもないんだよ。ヘンな目で見られることなんてわかってるし。って―」
そこまで云って、俺は「うわぁっ!」と悲鳴をあげた。
生きている野次馬は掃けてくれたが、幽霊たちが好奇心に目をキラキラさせて俺の腹に触りはじめたのだ。
「ぎゃぁぁぁっ、やめてくれぇっ」
彼らのすかっと手を払いのけ、いそいそを服を着直すと、再び美濃に縋りつく。
「きもい、きもい、きもい、お前らあっち行けっ!」
やっと美濃は俺のことを信じたらしい。よりにもよって俺を引き剥がすとくるっと俺の背後に回り、なんと俺を盾にしたのだ。
「あっ、こらっ。先生っ⁉」
「やだ、俺もこえぇよ!」
「先生見えてないなら、平気だろ! ってか、じゃあ帰ろう!」
「ばかっ、幽霊も怖いけど、校長も学年主任も理事も怖いんだよっ!」
「あんた、最低だなっ。やだっ、生徒を盾にすんなっ」
(お前最低! 絶対ハゲろっ!)
俺と美濃はお互いをぐいぐい押しながらそれでもなんとか奥の棟まで移動し、階段で三階まであがり、面会ノートに名前を記すと氏家の病室のまえに到着した。すっかりふたりしてゼイゼイと息を切らしている。
(ってか、もっと云ってやりたいことあったのにぃぃぃ!)
「つ、ついたな、ここだ。いいか氏家が起きていたり、親がいたらにっこり、いや、にっこりはおかしいか? とにかく不機嫌な顔すんなよ!」
「美濃先生、最低だな。俺、このあとこの病院の屋上から飛び降りていい?」
「だ、ダメだ。お前の件は、まず見舞いが終わってからだ。このミッションがクリアしてから考える。飛び降りるのは待ってくれ」
「そもそも、学校一の人気者の氏家の見舞いに、学級一嫌われていて虐められている俺がくるとか、氏家に失礼じゃない?」
「よし、じゃあ、この機会に氏家と仲良くなれ。氏家に気に入られたいヤツはお前に酷くしないはずだ」
「先生、ほんと、サイテーだね」
いっそすがすがしいバカっぷりに俺は肩を竦めると、病室のドアをくぐる前に気持ちをさっと切り替えた。
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