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第2話
「あれ?」
おかしい。
こじんまりとした病室は四人部屋だった。入ると左右にベッドがふたつづつ向かいあっていたが、使用中のベッドは右側のふたつだけだった。
俺は病室をキョロキョロ見渡しながら、窓際の氏家のベッドへと歩いていく。途中、手前のベッドの間仕切りカーテンの中をひょいとのぞくと、そこには坊主頭のおじさんが、険しい顔をして眠っていた。
「あっ、こらっ藤守! そこは違うだろっ」
勝手に他人 さまのベッドを覗 くな! とベチンと頭を叩かれる。
「だってここ、幽霊いないんだもん。なんでかなぁって」
「そうなのか? よかったな」
「うん。でもなんでだろう」
ついで隣のベッドの間仕切りのカーテンをシャッと開けた。
「お、いたいた。氏家寝てる。起こしていいの?」
「それがな。みんなには内緒にしてるんだが、こいつ手術のあとからまだ一度も目が覚めてないらしいんだ」
「え? それってヤバいんじゃないの?」
氏家が事故にあったのは三日前だ。一昨日の朝礼の時、こいつが予備校に向かう最中に乗用車に轢かれたって美濃がみんなに説明していた。救急車で運ばれてすぐに手術したって。そして手術はちゃんと成功して彼は無事だって。
(先生、みんなに嘘ついてたんだ)
「医者が云うには、手術は成功しているそうだ。でも起きない。理由がわからないってことでさぁ。『脳に刺激を与えるためにも、しっかり話かけてやってください』ってお母さん、医師 に云われているんだって」
「それで俺を連れてきたの?」
「まぁ、そういうこと。クラスメイトとか教師に話かけられたら起きるんじゃないかって、親御さんも必死なんだよ」
俺はなんて返事をしていいのかわからず、黙って俯いた。氏家の腕には点滴の針が痛々しく刺さっている。布団から出てきている管は、ベッドサイドにくっついた袋に伸びていて―。
(あ、おしっこだ)
「でも先生。これさ。氏家は友だちに来てほしくないと思うよ? 無防備なところってひとに一方的に見られたくないじゃん? 高校生なんて大人からみたら純粋に見えるかもしれないけど、けっこう残酷だよ? コレみたヤツ、すぐ悪い噂たてるよ?」
「そうか?」
「大人って、自分が高校生だった時のこと忘れるの? されて嫌だったこととか、相手にした酷い仕打ちとかさ。無責任だよね」
「……そっか。まぁ、じゃあ、生徒を見舞いに連れてくるのはやめておいたほうがいいかな」
「そうだね。せめて氏家が起きてから、ちゃんと聞いてさ」
「そっか」
それにしても氏家はかっこいいな。腕が点滴の針のあとで紫になっていようが、額に大きなガーゼをしていようが、口の端が蒼くなっていようが、腹におおきな縫い痕があろうが……。
「おい、藤守、なにしてるんだ?」
「あ、いや、つい」
好奇心に駆られて俺はうっかり布団をめくり、氏家のパジャマを捲って腹を撫でていた。近くにあったパイプ椅子を寄せてきて腰を下ろすと、今度は彼の脚のギプスをコンコン叩く。
「本当だな。高校生なんて生死をさ迷う患者のいる病院になんて連れてくるもんじゃないな。不謹慎な」
美濃が冷ややかな目を向けてきた。
「すみません……」
(だって意識不明の病人とか目の前にするのはじめてなんだもん)
そこでいきなり女性が病室にはいってきた。
「あらっ、先生、来てくれていたんですね」
いきなり登場したそのひとは、どうやら氏家のお母さんらしい。
「あぁ、氏家さん、お邪魔しています。哲也くんのお見舞いに来させてもらいました」
「あらあらあらっ。お友だちまで、先生、わざわざありがとうございます」
慌てて椅子から立ち上がりペコペコと頭を下げる美濃に倣って、俺もぺこりと軽く頭を下げた。
イケメンの母親は目を瞠るほどの美人だった。とても受験生の息子をもつ年齢には見えないし、そのスタイルがもはや中年の経産婦とは信じられない。そんなうつくしい女性の目に涙が滲み、みるみるうちに溢れだす。そしていきなりガバッと美濃に縋りついた。
「せ、先生。私、どうしたらいいんですかっ。哲也が、哲也が、目を覚ましてくれないんですっ。きっとわたしがいけないんだわっ」
「お、お母さんっ、おちついてくださいっ」
美人に抱きつかれた美濃の顔は真っ赤で、不自然に下半身だけが彼女から距離を取っていた。よく見れば美濃のそこは勃起している。
「不謹慎な」
俺がぼそりと呟くと美濃はしがみついていた氏家の母親をべりっと引き離して、さっと椅子に座りなおした。彼がすかざす膝の上に乗せたのは俺の鞄だ。
「ばっか、先生、俺の鞄が腐るぅっ!」
「わっ、やめろっ、引っ張るなっ」
「せ、せんせい?」
見ろっ! 氏家母がハンカチを目頭に当てたまま、キョトンとしているじゃないか。
「あ、いえね。今日は哲也くんに学校での勉強の進行具合を教えてあげようかと。この子はクラスで二番目に成績のいい子で、あ、一番はもちろん哲也くんなんですよ? で、この藤守くんに来てもらったんです。なっ? 藤守。哲也くんにいっぱい話かけてやってくれ。睡眠学習だ。きっと受験に役立つだろう」
「えっ⁉ そんなの―もがもがっ」
聞いてないよと云い返そうとして、口を塞がれる。
「まぁ、先生。ありがとうございます。うぅう。哲也も受験の大切なときに、こんな素敵な担任の先生にあたって恵まれていますわ。しくしくしく」
またもやうるうるしはじめた氏家母に美濃は動揺しまくって、あげく俺の鞄のチャックを開けると中身をゴソゴソしはじめた。
「ほら、教科書だすか? ノートのコピーも取っててやらないとな」
「あっ、先生ダメッ。勝手に開けないで!」
「氏家が目が覚めたらすぐに勉強できるようにしてやらなきゃ」
またもや鞄のひっぱりあいをしだした俺たちに、氏家母は「あら。こんな時間だわ。パパが帰って来ちゃう」と呟くと、「先生、藤守くん、面会は八時までなのでゆっくりしていってくださいね。じゃあ私は先に帰ります」と云い残しあっさり帰っていった。
「もうっ、先生、俺が出すから勝手しないで!」
「……藤守、これ」
美濃がノートや教科書を手にして顔を顰めるのを見て、俺は溜息をついた。それらには消えないマジックで『死ね』だとか『消えろ』だとか書かれている。一番たくさん書かれている言葉は『ホモ』だ。
虐められている自分を見られるのって、堪えるんだ。こういうの二次災害って感じ。さっき自分から怪我を見せたときとは状況が違う。いま俺は無防備なまま弱みを一方的に曝された。
「先生、コピー取ってくるんでしょ。ならはやく行ってきてよ。俺、ここでコイツに勉強教えておくからさ……」
気を遣ってくれたのだろう。すこし肩を落とした美濃は「じゃあ、ちょっと借りるな」と数冊のノートを手に、部屋を出ていってくれた。
その夜のことだった。
「ううぅ……、う……、ぅうっ」
あれほど病院から帰ってくるときには浮遊霊たちがついてこないように気をつけて、そのうえ玄関に入るときもちゃんとナニも憑いていないことを確認したというのにだ。俺は布団の中で金縛りにあっていた。
(お、重いぃぃ)
「うぅ……ん、くるしっ……」
そして、
「ふふふふっ、やっ、やだっ、ふふっ、ダメっ、擽ったいぃぃ」
俺は幽霊に頭や胸やらを擽 られていた。
(こんなバカみたいなこと、あるの⁉)
得体の知れない誰かに頭をナデナデされて、髪をひっぱられ頬を突かれる。
「やっ、くくくっ。やめて~っ、ナンマイダブツ、ナンマイダブツ」
幽霊なのだから、もちろん怖い。怖いけど、笑える。人間ってどんなに怖くても、こちょこちょされると擽ったいもんなんだな。はじめて知った。
さわさわさわ。
(ひぃぃっ!)
「やっ、お尻、お尻はダメだろ!」
たぶん、そのセリフだけが実際に声に出せたのだと思う。俺はそこでパチリを目を開けることができた。
間接照明だけのオレンジ色に光る天井、部屋の隅、どこを探しても幽霊は見えない。でもまだ気配は残っている。机のうえにある時計の秒針がやたらと大きく響いていて聞こえていた。
(きっと病院からついてきたヤツだ……)
姿が見えないってことは思念の薄い霊だろう。きっと害はない。しかし見えなかろうが害がなかろうが、怖いものは怖いんだ。布団から抜け出し枕を掴んだ俺は、とっとと母親の寝室に駆け込んだ。
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