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第35話 END
「それにしても先生はたいへんだね。卒業式も終わったっていうのに、しばらくはあいつらの面倒みることになるんでしょ?」
美濃がおや、と云ったふうに片眉だけを器用にあげて笑った。
「あいつらだけじゃないぞ? 合否発表がまだの生徒もいるしな。これからまだ試験を受けないといけない生徒 もいるんだ。それにな、ここを卒業しても、社会人になっても、みんないつまでもずっと俺の大事な生徒ってことには変わりないんだよ。だからこれからだって、お前たち、なにかあったら遠慮なく俺を頼れ、な?」
さっきゲンコツをくれたばかりの美濃の大きな手のひらが、俺の頭にそっと乗せられた。伝わるその温もりで、まるで美濃の気持ちが流れこんでくるようだと錯覚した俺は、それとともにずっと美濃が俺に寄り添ってくれていたことを走馬灯のように思い返した。
「こらっ、気軽に頭に触るな! 子どもじゃないんだぞ」
(しまった!)
気丈に振る舞うつもりだったのに、思い切り語尾が上擦ってしまう。
「うぅっ、気が緩んじゃったじゃないかっ、美濃のバカッ」
ぐっと目頭に力を入れて涙を飲みこもうとした俺の頭から、ふっと重みが消えた。見れば美濃の手首は、がっちり哲也くんに掴まれている。
「おい、そんな顔すんなよ、氏家」
そんな顔がどんな顔なのか知りたかったが、俺が見たときには彼はもういつもどおりの哲也くんだった。ちょっぴり残念だったけど、でも涙がひっこんだのでよかったよかった。
「最後にほら、写真撮ってやるから、そこにふたりして並べよ」
「あ、そうだった!」
そうだよ、すっかり忘れていたよ。制服姿で哲也くんといっしょに写った写真。それが欲しくて今日、来たんじゃないか。
「やった!」と声を上げ、俺は哲也くんの腕を掴むと正門のまえ、美濃が指さした校名のはいった表札のまえに並んで立った。
美濃にスマートフォンを預けて、カシャカシャとシャッターボタンを押してもらうと、こんどは美濃といっしょに写った写真も欲しくなる。哲也くんにお願いしたら、彼は通りかかった父兄にそれを頼んでくれた。そして哲也くんは俺と美濃の間に、ぐいっとはいり込んできた。彼に腕を絡めて、空いたほうの手はしっかりピースにして。
「撮りますよ~? はい、チーズ!」
ありがとうございますってお礼を云って返してもらったスマートフォンには、それはそれはとっても楽しそうな俺が写っていた。
自分で受け取った卒業証書、クラスメイトにもらったプレゼント。
さっきは我慢できたのにポタッ、ポタッと零れ落ちた涙がちいさなディスプレイのなかの写真を滲ませていく。胸に込みあげてきた熱いものはもう収まりそうになくって。
だって本当につらかったんだ。ずっとずっと。この学校が。それがいま、こんなにも満たされて、お世話になった先生に見送られ、大切なひとと共に卒業できるのだから。
「せっ、先生~っ」
感極まった俺は、ガバッと美濃の胸に飛びこんだ。
「お、俺、あんなに嫌な態度、とってたのにっ、なのに先生はいっぱい俺のこと助けてくれたっ。ずっと一緒にいてくれたっ」
美濃にしっかり抱きとめられて、ほとばしる思いを言葉にする。「ああ」とコクコク首を振った美濃の声もうわずっていた。
「うぅっ、それにっ、それに、あんなに寒かった日にっ、先生、池に飛び込んで俺のこと助けてくれたっ」
「あの日の水は死にそうなほど冷たかったよな。すぐに藤守をみつけられて本当によかったよ」
「ほんとに感謝してるんだっ、ありがとっ、ありがと~、先生っ」
俺の額を美濃の手がやさしく覆う。美濃の目もうるうるしていて、そんな彼に「卒業、おめでとう」って改まって囁かれると、もうダメだった。
「せっ、先生~っ」
「ふじもりぃっ」
俺たちはぎゅうぎゅうお互いに力いっぱいしがみつき、壊れた蛇口のようにいっそう泣きだした。今日はあちこちでみんなも泣いている。俺だってすこしぐらいこうしていたってきっと平気だろう。
「先生っ、先生っ」
「藤守っ、藤守っ! 大学ではいっぱい楽しむん―…、」
美濃の言葉は「楽しむんだぞ」と続くんだったと思う。だがしかし美濃は無情にもそこで俺のことをべりっと引きはがしたのだ。ひどくないか? 宙に浮いた腕がとってもむなしい。
「あ、あぁ、まぁ藤守、そろそろ、な」
「せ、先生?」
「いや、その、氏家がだな……」
うるるとした瞳で首を傾げると、美濃はこめかみを掻きながら煩 わしそうに、俺を哲也くんのほうへと「ほら」と押しだした。
「だから氏家、そんな表情 はよせって」
「そんな顔って云われても……」
哲也くんも困ったようにこめかみを掻いている。だからいったいどんな顔なんだってば!
なんにせよ、俺は美濃にきちんと挨拶できたことにとても満足した。そしてふと、もうひとり? 無事に卒業できたことを報告をしたいな、とゆうくんのことを思いだす。
俺の部屋の本棚の三段目、坊主のおじさんにもらった数珠の隣には、俺が自分でつくったゆうくんのお位牌がある。かまぼこ板を使ってつくったそれにはちゃんと『ゆうくん』って名まえも書いていて、つい最近にはネットで購入した線香立ても加わった。
「ゆうくんにもお礼を云わなきゃな」
俺が小さく呟いたのと、哲也くんが身体をびくっと硬直させたのは同時だった。
キャーっと悲鳴が上がったほうに目を遣れば、なんと徒党を組んだ女子たちがこちらに向かって走って来ている。
「氏家先輩、ここにいたーっ!」
「せんぱ~~いっ! 第一ボタン、あたしにくださ~~いっ‼」
「私にも~っ!」
「氏家くん、話があるのっ」
「哲也先輩、今日こそ告白させてくださいっ」
プレゼントとスマホを握りしめ、彼女たちの勢いはそれはもう凄まじい。
「ハァッ⁉ 先生今の聞いた? アイツらなに云ってんのっ⁉」
「藤守、お前のその顔つきも怖いって」
「先生! 俺の味方しないんなら黙っててっ」
美濃を一喝し、そして俺は向かってくる女子軍団をキッと睨みつけた。
「だれがやるもんかっ! 哲也くんのボタンはぜんぶ俺のなんだからなっ!」
ボタンどころか、哲也くんの全部が俺のもんだ。俺の哲也くんを死守しなきゃ!
俺は拳を握って奮起したが、しかし多勢に無勢。蒼ざめた俺は哲也くんの手をぎゅっと握ると、
「逃げよう!」
迫りくる女子群に背を向けて、とっととその場から哲也くんを連れて撤退することにした
「先生、じゃあまたね!」
美濃に別れを告げて走りだした俺に、哲也くんはしっかりとついてきてくれる。なんなら足が長いぶん彼のほうが速く、たいして進まないうちに俺は逆に哲也くんにリードされるようにして走っていた。背後からはまだまだ追いかけてくる女の子たちの声がする。
幽霊じゃないけども。こいつら生きているけども。
(こ、怖いよぉぉっ!)
「哲也くんって、こんなにモテてたの⁉」
「ん~、だったかなぁ?」
「もうっ!」
走りながらふたりして声を上げて笑った。
蹴り上げるアスファルト。この道の先に続いているのは、念願のラブラブハッピーキャンパスライフだ。
けれどもその前に俺たちには、とりいそぎで叶えたい望みがあった。それは昨夜交わした約束のもうひとつ。
俺は哲也くんと繋いだ手にぎゅっと力をこめた。彼もおなじようにしてぎゅっと握り返してくれる。今から向かうは俺の家。
そう、ついに俺たち、これからラブラブハッピーなエッチ、するんだ!
END
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