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被疑者か患者か
「どいて」
柏木結月 は、処置室へ踏み込もうとする。
その前に、一人の男が立ちはだかった。
「まだ入れない」
白衣姿の男。マスク越しでも分かる、無表情な顔を浮かべているのは西園迅 だ。
結月は迅を見て、思わず眉をひそめた。
「……西園」
「患者はまだ処置中だ」
「そいつは患者じゃない」
結月は警察手帳を胸元へ掲げる。
「殺人未遂の被疑者なんだけど」
迅は一歩も動かない。
「ここでは患者だ」
「被害者が待ってる」
「だからって死なせてもいい理由にはならない」
その言葉に、結月の眉間に深い皺が寄る。
「俺は犯人を捕まえる」
「俺は命を救うのが仕事だ」
低い声に、揺るぎはない。二人の視線が真正面からぶつかり、張り詰めた空気が廊下を支配する。
「ちょっと! 柏木さん!」
慌てた看護師が駆け寄ってくる。
「病院内ですよ!」
結月は舌打ちをひとつ漏らした。
迅は一歩も退く気がない。昔からそうだった。
一度こうと決めたら、誰が相手でも折れない。
「……ちっ、」
結月は警察手帳をポケットへしまう。
「三十分」
迅は黙って結月を見つめる。
「三十分待つ。それ以上は待たない」
「容態次第だ」
結月は鼻で笑う。
「その顔見るとほんと腹立つんだよね」
「そうか」
迅は表情ひとつ変えない。
その反応すら、結月にとっては腹立たしかった。
結月は小さく息を吐くと、踵を返した。
「終わったら呼んで」
「分かった」
処置室の扉が静かに閉まる。
結月は廊下の壁へ背中を預けると、腕時計へ目を落とす。
廊下は看護師が慌ただしく行き交っていた。
ストレッチャーの車輪が床を滑る音、どこかの病室から聞こえるナースコール。
病院の日常は、結月の焦りなんて関係なく流れていく。
腕時計へ、もう一度視線を落とす。まだ十五分。
「……長い」
小さく漏れた独り言は、それだけだった。
再び処置室へ目を向けると、赤く灯ったランプはまだ消えない。その時だった。
処置室の扉がゆっくりと開く。反射的に壁から背を離すと、出てきたのは迅ではなく若い看護師だった。
結月は何も言わず、その表情だけを見つめる。
看護師は一瞬だけ困ったように視線を泳がせると、足早にナースステーションへ向かっていった。
それから数分後。
処置室の扉が再び開いた。今度こそ迅だった。
額にかかった前髪を無造作にかき上げ、マスクを外す。白衣の袖口には、うっすらと血が滲んでいた。
結月は壁から背を離す。
「終わった?」
迅は軽く頷く。
「容態は落ち着いた」
短い一言に、結月は小さく息を吐く。
「じゃあ、約束どおり」
迅は腕時計へ視線を落とす。
「三十分たってる」
結月は警察手帳を取り出しながら、小さく口角を上げた。
「今度は俺の勝ちだね」
迅はその言葉に何も返さない。ただ、処置室の扉へ視線を向けたまま静かに口を開く。
「十分だけだ」
「十分もくれるなんて優しいじゃん」
「勘違いするな」
迅はようやく結月へ視線を向けた。
「患者を疲れさせるな」
「善処する」
そう返しながらも、結月はもう警察手帳を手にしていた。
迅は小さく息を吐く。
「終わったらすぐ出ろ」
「分かってる」
結月は軽く手を上げると、そのまま処置室の扉を開けた。
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