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第38話 好きでもないひととキスしないでよ
部屋の中は薄暗い。扉と窓は閉まりきっている。
妙な緊張感が走った。
クヴァールはすぐ隣に座っている。
口元は笑っているのに、目は笑っていない。
クヴァールはやっぱり怒っている。
俺がパーティーから帰ったことを。
「はい」と震える声で紡ぐと、途端にクヴァールはぱっと瞳を輝かせる。
「ならいいんだ!」と明るい表情で返された。
さっきまでの緊張感は消え、いつもの穏やかなクヴァールに戻っていた。
俺はほっと息を吐く。
怒鳴られたりしないだけマシだ。それだけ迷惑をかけてしまったんだから。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」と頭を下げる。
クヴァールは返事をせず、ごそごそと白衣のポケットを探り出した。
「ねえ、エルマ。まだ魔素は安定してないよね」
「あ……はい。実は、まだ」
「魔素補給はどうしてるの? 本部とか……どこの機関か知らないけどさ。ちゃんと薬、もらってる?」
「……いえ」
ぽつりと零すと、クヴァールは乾いた笑みを浮かべて「そっか」と呟く。
「じゃあ魔素は、もしかして相棒の彼から?」
「……あ、そ、それは………ノーコメントで」
俺はやや顔を赤らめて視線を逸らした。
魔素補給にはキスかセックスしかないことはクヴァールだって知ってるだろうに。
なんでわざわざ確認するんだ。
俺の身体を思っての言葉だとはわかるのだけど、なんだか妙に気恥ずかしい。
クヴァールはポケットから小瓶を取り出した。
「なんですか、それ」
「んー、まだサンプルなんだけど」
ことり、と静かな音を立てて机に置かれる。
十センチ程度の薄茶色の小瓶だ。ガラスの装飾が細かくて高級感がある。
黒っぽい、紫がかった液体が入っていた。
瓶は綺麗だけれど、中の液体の得体の知れなさに触れるのを躊躇ってしまう。
「魔素が安定しない患者さんに向けて、魔素を補給するドリンクを開発してるんだ」
クヴァールは瓶を撫でながら続けた。
「まだ世間には出回ってないんだけど、一般人の魔素くらいなら補えるよ。エルマにだけ、特別」
「え、そ……そんな、すごいの、」
「気にしないで。海外から特殊技術が入ってきてね。大量生産できそうなんだ。まだたくさん在庫があるし」
俺の手をとって、その瓶を握らせる。
ガラスの滑らかな手触りがする。微妙に生ぬるかった。
値段は、と聞くと「サンプルだからいいよ」と笑顔で返される。
「一本で一日分の魔素補給ができる。飲み終わったらまたあげるね。僕が渡しに来てもいい」
「そんな。もったいないです」
「エルマのことが心配なんだよ」
クヴァールは瓶ごと俺の手を握る。強い力が込められる。
固辞しようとすると、クヴァールの視線が鋭く刺さった。
「ただの仕事相手に、そんなことまでさせるのはさ。彼も困るんじゃないかな」
俺は一瞬、息を呑んだ。
すぐ近くで緑の瞳が俺を映している。光のない視線が俺を捉えた。
「ね、エルマ。
好きでもないひととキスしないでよ」
勢いでもらってしまった小瓶を懐に隠して、俺は拠点に戻った。
今日のクヴァールはなんだか変だった。
俺の体調を心配してくれているのだろうけれど、それだけじゃないような気がする。
テーブルに肘を突いて小瓶をいじる。
サンプルと言っていたけど、飲んでも大丈夫なんだろうか。うう、と唇を噛み締めると、ギルバートが帰ってきた。
俺は咄嗟に小瓶を隠した。
それから食事をとって、会議をして。
ふたりで推理を重ねていく。
もうすっかり慣れたギルバートとの日常だった。
なぜだか、クヴァールのことは言えなかった。
そして、寝る前。
いつもの”緊急避難の魔素供給”の時間。
ふたりしてギルバートのベッドに座る。
ギルバートが頬に手を添えた。
ーーーただの仕事相手に、そんなことまでさせるのはさ。彼も困るんじゃないかな
クヴァールの声が脳裏をよぎる。
俺はびくりと肩をふるわせてしまった。
「どうした」
「あ、ごめん。……なんでもない」
「……そうか」
ギルバートは眉根を寄せるも、俺が「続き」というと、唇を重ねてきた。
舌が絡んで、唾液が行き交って、いやらしい水音がする。体中がぽっと、熱くなる。
これは仕事。これは任務。
何度も自分に言い聞かせてきた。
最初は嫌だった、恥ずかしかった。
クヴァールにもらったドリンクを飲めばキスをしなくて済む。
……でも、
自分から舌を絡ませる。
俺から動くのは初めてだから、ちょっと恥ずかしい、けど。
キスを辞めたくなくて。
ギルバートは一瞬、驚いたように止まった。
けれど、すぐにキスを再開する。
俺の背中に手を伸ばして、強く、抱きしめながら。
身体が軋む思いがして、呼吸が荒くなって、唾液が口の端からこぼれた。
ーーーこれは、任務だ。
ギルバートもきっと迷惑している。
そんなの、言われなくてもわかってる。
でも、ワガママだって、わかってるけど。
どうせ任務が終わったら、また離れることになるんだから。
震える手で、ギルバートの服を握った。
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