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第1話 暗殺の夜

 銀のナイフに月明りが反射する。ナイフの刃が鈍い光を帯びた。  前を歩く男の背中が揺れた気がして、螢緋は物陰に隠れた。  呪いを纏わせたこのナイフで、今からあの男を殺す。  そのためには、明るすぎる今宵の月は邪魔だ。螢緋は苦々しく月を見上げた。 「明るくても、関係ないか」  螢緋はナイフを構えた。  たとえ、どれだけ月明かりが眩しくても、このナイフで花山院(かさんのいん)宇緑(うろく)を刺す。  体に沈み込ませさえすれば、宇緑に呪いが掛かる。その時点で、死は確定だ。 (飼い主の命令は絶対)  螢緋は呼吸を整え、息を顰めた。ナイフを隠しながら、夜道を歩く男にじりじりと歩み寄った。 「今日のラーメン、終夜(しゅうや)にしては珍しく当たりだったね」 「宇緑さん。私がいつも外れを勧めるような言い方はやめてください。心外です」 「だよなぁ。終夜は人と味覚がちょっと違うだけだよな」 「遊馬(あすま)、やめなさい。怒りますよ」  気楽な会話を繰り広げる三人に近付く。通り過ぎる振りをして、右端の宇緑に身を寄せた。 (いける……このまま、わき腹に)  隠していたナイフを握る。無防備な宇緑の腹に目掛けて突き立てた。  瞬間、螢緋の体が宙に浮いた。 「……え?」  目の前に歪に欠けた月が見える。気が付いたら上下が反転していた。  地面に勢いよく落ちて、背中を強打した。衝撃で、声が出せない。咄嗟に動けない。 「残念だったなぁ、ガキ」  一番遠くにいたはずの筋肉質な男が、螢緋の体を抑え込んだ。螢緋の目の前に落ちたナイフを、細身の男が拾った。 「ただのナイフではないですね。呪詛を纏わせてある。同業者でしょうか」  眼鏡の奥の目が、螢緋を睨んだ。螢緋は息を止めて顔を下げた。 「……何も話す気はない。殺せ」  失敗は死。戻ったところで殺される。この場で殺されても、自分で死んでも、飼い主に殺されても同じだ。 「命が惜しくないのかな」  宇緑が、倒れ込んでいる螢緋を覗き込んだ。興味本位の塊みたいな目だ。 「失敗すれば、死だ。お前が死ななければ、俺が死ぬ。それだけだ」 「へぇ。それはまた、令和の世にそぐわないダメな硬派だね」  宇緑の目から興味本位が消えた。宇緑の目がわずかに見開いた。 「君……」  透明だった瞳が色付いて見えた。 (なんだ、この男の目……怖いのに、目が逸らせない。それに、どこかで見たことがあるような……)  写真と映像で暗殺対象を確認した時の記憶だろうか。会ったのは、この瞬間が初めてのはずなのに。 (懐かしい)  螢緋の胸に不思議な感覚が湧き上がった。 「綺麗な緋色の瞳だ……いいね」  宇緑が、ぽつりと呟いた。口端が上がっている。  その顔が、ぞっとするほど美しかった。  宇緑の手が螢緋の顎を持ち上げた。 「死ぬほどの覚悟があるならさ、俺のトコにおいで。どっちも死なない選択をしよう」 「……は?」  宇緑が何を言っているのか、わからなかった。 「そうですね。どこの家の刺客かも、調べる必要がありますから」  眼鏡の男が、スマホで何かを連絡している。 「そうじゃないよ。俺の側近にするの」 「そうですか、側近……え! 側近?」  眼鏡の男が、あんぐりと口を開けて呆けた。 「自分を殺そうとした暗殺者を側近ねぇ。相変わらず、面白いなぁ、宇緑さん」  筋肉質な男がカラカラと笑った。 「笑い事じゃありません。さすがに認められませんよ」 「えー、なんで? 俺が気に入ったんだから、いいよね」  宇緑より、眼鏡の男の気持ちがわかる。螢緋も同じように思ったからだ。  宇緑が螢緋の目を、じっと見詰めた。 「良い拾い物だと思うよ。珍しい目だね。綺麗な緋色の瞳だ。気に入った」  宇緑が目を細めて笑んだ。  螢緋の心臓が、トクンと跳ねた。 (心臓が、トクトクする。この男が、やたらと俺を見るから)  死を覚悟した瞬間ですら跳ねなかった心臓が、宇緑の目に見詰められただけで跳ねる。  恐怖なのか嫌悪なのか、それ以外の感情なのか。螢緋には、よくわからない。 「ねぇ、君の名前は?」 「螢緋(けいひ)……っ!」  うっかり名前を口走って、自分の口を手で覆った。呪術に関わる者にとって、名前を知られるのは致命的だ。 (普段なら絶対に言わないのに、どうして)  宇緑を見上げる。その目が確信的に笑んだ。 (今のは、宇緑の呪術なのか?)  そうだとして、今更隠す必要はないかもしれない。典薬寮の人間に捕えられた時点で、自分は終わりなのだから。 「螢緋か、やっぱり……良い、名前だね」  宇緑の指が、螢緋の頬を撫でた。その触れ方は優しくて、とても自分を殺そうとした暗殺者に触れる指ではなかった。 「身のこなしは、悪くなかったけどね。どうして俺を殺せなかったか、敗因を教えてあげようか?」  螢緋は唇を噛んで黙った。これ以上、余計な言葉を吐かされるわけにはいかない。 「相手が悪かったなぁ、宇緑さんは最強だから」  当然のように筋肉質な男が笑う。 「それもそうだけどさ、それだけじゃないよ」  宇緑が指を振った。最強は否定しないらしい。宇緑の強さが化物クラスなのは事前情報で螢緋も知っているから、何とも思わないが。 「いざとなれば自分が死ねばいい。そう思っている子は、誰にも勝てないんだ」  ざわり、と胸が騒いだ。宇緑の言葉が、棘のように刺さった。 『失敗したら、自分から死ぬか、相手に殺してもらいなさい』  飼い主は螢緋に、そう教えた。だから螢緋は、他にやり方を知らない。 (だから、負けた? じゃぁ、どうすれば良かった?)  螢緋の顔が、どんどん俯く。螢緋を眺めていた宇緑が、クスリと笑んだ。 「ね? 可愛いでしょ。俺の側近にしていいよね」  宇緑がワクワクした様子で眼鏡の男に聞いている。眼鏡の男が大きな息を吐いた。 「どうせ、ダメって言ってもそうするんでしょう。好きにしてください。ただし、典薬寮全員で見張りますよ」  眼鏡の男が折れた。螢緋も諦めた気持ちで、地面に身を沈めた。 「この命は、お前のモノだ。好きにしろ」  どうせ死ぬはずだったのだ。どうされようと構わない。拷問や自白の訓練は受けている。 「覚悟が早くて、よろしい。一緒に帰ろう」  宇緑が螢緋の手を握った。 「……え?」  驚いた瞬間には、宇緑に背負われていた。 「今は指一本動かせないだろうけど。家に付いたら術を解いてあげるよ」  確かに体は動かない。口を動かすのがやっとだ。 「仲良くしようね……螢緋」  宇緑の声が嬉しそうに跳ねて聞こえた。 (事前情報通り、よくわからない)  日本中の呪禁師を束ねる典薬寮の寮頭を担う、花山院宇緑。  使う術やプライベートデータは、ほとんどが機密情報扱いだ。調べられた情報なんて、ほとんどなかった。 (訳が分からない上、適当そうな男だ)  接触してみて、それだけはわかった。  宇緑に背負われたまま、螢緋は観念して目を閉じた。

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