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4-救われてごめんな ※R-18

「そっか」 震える俺の声を聞いて、萱城は長い息を吐きながら空を見つめていた。グラデーションは徐々に濃い紫色と紺色に染まる。 願ってもいないのに、夜が近づく。 「お前って女と付き合ったことある?」 萱城が突拍子もないことを言った。 「……え?」 「あっ、もしかして男の方が好き?どっちでも良いんだけど」 「な、何言って……」 「図星か。わかりやすいなあ」 萱城の笑い声に、俺の顔が真っ赤に染まる。屋上は涼しいのに身体が羞恥で熱くて仕方が無い。なんなんだこいつは。何が目的だ。 「このまま死ぬのも、もったいないと思わねえ?」 萱城の手が、腕から肩へ、そして首筋へと滑る。 こいつの態度も、小馬鹿にするような話し方も、何もかも気に食わないのに、その手だけは拒めなかった。心地良い。   萱城と目が合う。不可解な引力に縫い止められる。 「最後に良いことしようぜ。死なないだけの価値があるか、確かめよう」 気がついた時には、萱城に押し倒されていた。背中に感じる冷たいコンクリートの感触。萱城の後ろに広がる空が、どうしようもなく美しく見えた。 * * * どれくらい時間が経っただろうか。 みっともなく荒い息をあげているのは自分ばかりだと気づいて、悔しくなった。 「んっ、あ……なあ、おい……っ」 「うん?」 俺の首筋あたりに顔を埋めていた萱城が、すんと鼻で息を吸った。反射的に俺はびくりと体を揺らす。 「こんなことして、警備員とか……来たらどうするんだよ」 「ああ、あれね。嘘」 「う、嘘?」 「うん。もうとっくにセンサーは電気通ってないし、最近はお前みたいなのもめっきり減ったからなあ」 けろりとした態度の萱城に、開いた口が塞がらなかった。たまらなくなって、俺に覆いかぶさっている萱城の肩を押し返すが、無駄だった。 「そんなことより、集中しろって」 少しだけ苛立った萱城の声が、低く耳の奥へ響く。 「やだっ、やだ……っ!」 より深く繋がる体位となるよう、腰を乱暴に掴まれる。この後に何をされるかを思い知らされて、怖くて俺は身をよじった。 「どう、南。気持ち良い?考え事も吹っ飛んじゃう?」 「あっ、やめろ、ぐりぐり、すんなぁ……!」 「んなことは聞いてないよ。気持ちいいかどうかを、俺は知りたいの」 萱城の、場にそぐわない軽い口調が少しだけ冷たくなった。律動を早められて、押し上げられるような快感に息が詰まる。 「ちゃんと言わないと、ずっとこのままイケないように突きまくるぞ。お前も嫌だろ?」 「ん、き、もち……いい、です……」 恥ずかしくて、涙が溢れる。対照的に萱城は、ぞくりと身震いするように笑った。 「はは。なに、優等生っぽい南はこーんな外で感じちゃうんだ。ど変態だな」 嬉しそうに萱城は吐き捨てた。楽しいものを見つけた、あどけない表情。 深く入り込んだそれをギリギリまで引き抜いて、つん、と入り口のあたりをつつく。物欲しげにピクピクと次の快感を欲しがってしまう、俺のそこ。 それを見た萱城はくすくすと笑いながら、俺に顔を近づけた。 「なあ、これでも死にたいって思う?」 返事はしない。顔をそむけた。 萱城は、俺が返事をしないことさえも解っていたようだった。 「う、あっ……」 萱城に唇を塞がれる。噛み付くようなキスだった。 萱城の手が、俺の耳を塞ぐ。ぴちゃぴちゃと水音が頭の中でこれでもかと言うほど反響し、目眩を呼んだ。きっとわざとやっているんだろう。萱城の楽しそうな表情でわかった。 「南、かわいい」 萱城に抱きしめられると気持ちよくて、訳がわからなくて、涙が止まらなかった。 死のうと決めた日に、しかも初めて会ったやつに、なぜ自分の体を好きにされているんだろう。馬鹿らしくて、嘲笑が浮かぶ。 萱城が愛おしそうに俺の髪の毛をくしゃり、と撫でた。 「お前っ……あたま、おかしいんじゃないの……」 精一杯毒づいてみせた。 「こんなところで押し倒されて喘いでるやつに言われたくねえな」 「お、お前がむちゃくちゃするから……っ!」 反論しようとすると、萱城がまた俺の口を塞いだ。よく言うよ、と嘲笑うようだった。 「嫌な音とか記憶とかさ、こうやって気持ちよくして、全部消しちゃえよ」 萱城の唇が離れる。 透明な糸が引いて、恥ずかしくて目を逸らす。 さっきとは違う、萱城のどこか落ち着いた男っぽい声に、どきりとしてしまった。 「過去の記憶のせいで、ちゃんと今を生きられないなんてさ。勿体無いじゃん」 「簡単に、言うなよ……んっ、あ……」 萱城の舌が、俺の耳の縁を滑る。声がダイレクトに響いて、くすぐったくて目をきつく閉じた。 * * * 散々好き勝手されて、無様にも達してしまう頃。 肩を押し返していたはずの俺の手は「こっち」と言われんばかりに、萱城の首の後ろに回されていた。溺れてしまいそうで萱城に縋りついていた。 「なんなら、俺がずっと相手してやってもいいよ」 萱城の声が雨のように降ってくる。俺は眉を顰めて、ゆっくりと首を振った。 「そういうところはかわいくねえな」 「……どうせなら、このまま死にたい」   地面に叩きつけられて痛みを感じるくらいなら、このまま首でも締めて殺してほしい。それならきっと気持ち良いだろう、と頭の片隅で思った。 「そんな寂しいこと言うなよ。俺、南のこともっと知りたい」 俺は、萱城をまっすぐに見据えた。 「寂しい?平気で人を殺せるやつが、何言ってんだ」 辺りの空気がピシリと固まる。 萱城は驚いたように目を見開いているけれど、すぐに口元は余裕を取り戻すように弧を描いた。 「なんのことだよ、南」 「二◯一三年六月三日。山手線下り二番線のホームで、何してた?」 空気を切り裂くように、できるだけ静かな声色で伝えた。 萱城の指先が止まる。 「……俺の声、聞かれてたってわけか」 本当に全部覚えてるんだな、と萱城が感嘆した。 最初に呼び止められていた時から、あの時の男の声だとわかっていた。 萱城がぐっと俺に顔を寄せる。 「なあ、そうだろ。南」 俺はゆっくり口を開いた。 「サラリーマンを線路に突き落とす時、萱城は『ごめんな』って言ってたよな」 悲鳴と怒声、劈くようなブレーキ音で支配された空間で、唐突に耳に飛び込んできた言葉。無差別に何人も突き落として殺している奴が、あんな悲しそうに謝るとは思えなかった。 どういう意味だ、と聞いてもしばらく萱城は何も答えなかった。 ずいぶん時間が経ったような気がする。萱城が胸の奥から、絞り出すようにして言った。 「俺だけ救われてごめんな、って意味だよ」 搾り出すようにそれだけを言うと、萱城はふっと目を閉じて笑った。この時ばかりは集中しろ、と言わんばかりに俺を抱きしめる。 目の前の殺人犯に対して、不思議と恐れも嫌悪感も持てなかった。

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