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四杯目

 里芋の唐揚げが一つ残った皿を、彼は隣に座る僕の方に寄せた。 「これそっちの」 「え」 「一人四つ。俺食べきった」  皿から顔を上げて彼を見ると、とてもまじめな顔をしていた。断るほどのことでもなくて、そう、と箸を伸ばす。小皿に取って、すぐに食べる。冷めていて、でもうまい。相変わらず、正しい店を知っている人だ。  彼は空になった里芋の皿を、骨とレモンだけが残っていた鰤の皿に重ねた。各々、手元には焼酎のロックがある。尋ねた。 「なんかいる?」  なにもなくたってちっともかまわない。この一杯で終わりにする分には。 「ああ。なんかアテねえ」  彼がメニューを手に取る。指が表紙を開いて、ページをめくって、止まる。 「白菜どう。白菜の煮びたし」 「そうな」  僕の方が店員を呼び止めて、白菜の煮びたしくださいと言った。重ねた皿を渡したら、お皿も替えますねと小皿まで持っていかれた。広いカウンターががらんとする。  彼がグラスを口に運ぶので、僕も同じようにする。氷が下唇について、甘い酒が喉を下りていって、足りないなと思う。足りないなと思うけれど、足りないなと言ったりはしない。彼が口を開く。 「明日予定は?」 「ジム行って家事」 「すげ。日曜だぞ。俺寝るだけ」 「やれるときにやれることやらないと。回らないだろ。生活が」  小皿だけが先に運ばれてきた。受け取って、彼の前に一枚置く。  今夜はもう四杯目で、ここを越えたら回らなくなってしまうとわかっている。わかっているのに白菜を頼ませてしまった。よくない夜だと思う。格別酔いたくてたまらない。  格別酔いたくてたまらない夜というのが、半年に一度くらいある。また来月と言いたくなくて、みぞおちの裏側がどうにも痒い。そうして訳の悪いことに、彼は四杯で終わる必要のまったくない人だ。  白菜が来た。出汁と醤油のにおいがする。彼の箸が白菜をつまんで引っ込んでいく。同じようにする。かじる。塩気のものを食べるとほとんど反射で酒を飲んでしまう。よくない。もう半分飲んでしまった。足りなくなる。足りない。飲みたい。  彼が言う。 「あーいけるこれ。酒足りない」 「飲みすぎんなって」  もう何年酔い潰れていないだろうか。少なくとも彼の前では一度もない。もう体力がない。酔っ払っておかしなことを口走る体力がない。  僕だって昔は、酔って醜態をさらしたものだ。他人に甘えて寄りかかって、みっともなく泣きわめきすらしたものだ。あれは恐ろしく惨めなものだった。惨めで、どうしようもなく満足感のあるものだった。もう一度あんな風に満たされたいと、彼の顔を見ると思ってしまう。 「いいだろ別に。明日寝るだけなんだって」 「もうちょっと生産的でいろよ」  実際のところあと一、二杯飲んだところで、僕は正気を失ったりしない。正気を保ったままの深酒ほどろくでもないものはない。何の価値もないことを喋り散らし、明日の朝ひどい頭痛に襲われる。彼は僕の酔いを受け止めるだけで、本当のところには少しも気づこうとしてくれないだろう。  彼がグラスを振る。もうほとんど空だ。白菜はまだ残っている。またメニューをめくり始める。そのさまを眺めながら、僕は焼酎を舐める。氷が溶けかかって、味が丸くなっている。嵩も増えているのでちょうどいい。注意深く舐める。眺められていることくらい知っているよなと思う。 「俺お湯割り飲むけどそっちは」 「ああ」  そういえばそうか、みたいな顔を作ってみせた。考えるふりをしてから答える。 「これで最後かな」 「了解」  また少し舐める。彼が店員を呼び止める。僕を見る。 「食べもんもう」 「いらない」  彼がグラスを空ける。お湯割り一つを待つだけの時間が始まる。 「ジムって毎週?」 「週五」 「うわ」  いつか彼の前でおかしくなれたらなあと考えるだけ考えるけれど、その機会を手放し続けている。あと一杯飲んだら、日曜どころか月曜も、その先もずっと浮き上がれない。

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