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第2話

何度電話しても繋がらない。メールにも返事がない。出張先で面倒な案件があったのだろう。最初の3日はその程度だった。宮田は仕事が忙しく、大げさに考える暇がなかった。追いつきたい背中は遠く、なかなか縮まらない。年齢差を変えることができないのならせめて実力を近づけたい。31歳と18歳なら年齢差は峡谷のように横たわっただろう。しかし44歳と31歳なら遠い背中を視界にとらえることはできる。見えているのなら近づくことは可能だ。そう考えた宮田は精力的に仕事に取組み成果をあげつつある。  取引先の営業企画部に在籍する坂本と知り合ったのはまもなく31歳を迎えようとする時だった。担当の営業がアポを失念し空振りになった時「要件を聞きましょう」と対応したのが坂本だった。  宮田はいまだにわからないままだ。どうしてあれ程までに目の前の年上の男に目を奪われたのか。あっという間に心まで奪われたのか。形振り構わずとはあの時の自分のことを言うのだろう。時々思い出すと笑ってしまうほど滑稽で必死な自分の姿。坂本はやんわりと、しかしキッパリと言った。 「俺はゲイだが宮田さんは違うでしょう。この性分は生きにくい。そのままその場にいなさい。こちらに来てはいけない」  宮田は「まるで三途の川を渡るなと咎める言葉みたいだ」と返し、それを聞いた坂本は笑った。そのあと一気に雰囲気を変え、色を浮かべた男の顔で言った。 「覚悟はいいな」  宮田は押し開かれるまま身体を預けた。苦痛が大半を占める行為も回を重ねるごとにどんどん染まっていく。何もかも初めてだった――熱い気持ちも、蕩けてしまう身体も。  社内でも坂本の有能さは話題にのぼった。不用意に商談を持ちかけると潰される。熱意があっても裏付がなければ追い返される。宮田は直接坂本と関わることはなかったが、自分が成果を上げれば坂本の耳に届くとばかり仕事に邁進した。すべては坂本の背中に近づくために、そして追いつくために。  1週間が過ぎ、さすがに心配になった。まさか自宅で寝込んでいるのではないか。ようやく落ち着いた仕事をまとめた後、坂本の元へと向かった。 見上げた賃貸マンションの目当ての窓に灯りはない。エレベーターで6Fに向かいチャイムを鳴らす。扉の向こうに「ピンポーン」という音が響くがそれだけだった。出かけているのか?まさかまだ出張から戻っていない?  隣のドアがガチャリと開き、宮田はビクっと驚いた。坂本のことを案じるあまり、周囲のことを忘れていた。 「あら、お隣さんなら引っ越しましたよ?」 「え?」  引っ越した?どういうことだ? 「3日くらい前でしたね」 「引越し先は?」  勢いこんだ宮田は女性にぐんと近づいた。訝しげな表情と共に女性は跳ぶように一歩退いた。 「知りませんよ。お隣さんの引越し先なんて聞きます?」  自分の行動と言動が常識を外れていることに思い当たり赤面したまま頭を下げた。そのまま女性の脇を駆け抜けエレベーターに向かう。ドクドクと心臓が打ち鳴らす鼓動は走っているせいではない。  坂本が消えた。恋人である自分に何も告げずに。その現実が宮田を打ちのめした。悪ふざけではなく、その決心の固さに身体を貫かれる――坂本が本気で宮田から消えることを選んだということ、そして捨てられたことに。

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