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プロローグ

 肩に走る鈍い痛みに思わず身を引こうとして、政宗は振り返る。さっきまでどこかに行っていた同居人がいつのまにか戻ってきていた。政宗のシャツの袖を掴んだ男は、コーヒーマシンと政宗の顔を覗き込む。 「今のやつ、音うるせえよな」 「お前が雑に扱うからだろ。……店のやつは壊すなよ」  隣に並んだ黒髪の男――レイにそう言い返すと、レイがむっと顔を顰める。目鼻立ちのはっきりした顔にシワが寄るのを見て、政宗は笑った。 「お、変なのある。これなに?」  店員に在庫を確認しているあいだに、ふとレイの声が割って入る。 「あ? ……たこ焼き機だよ」 「たこやき? ……どんなの?」 「……今度食わせてやる」 「やった。じゃあこれも買う?」  丸くてぼこぼこしたプレートを意気揚々と持ち上げるレイの手から、政宗は静かに奪い取って売り場に戻す。 「なんでだよ、うちカフェだぞどこで使うんだ」 「ちぇー」  白い蛍光灯が妙に目に焼き付く家電量販店の中、店員が離れると、レイは政宗の袖を掴んだままぼそりと言う。 「マサ、なんか社長っぽいな」 「やめろ、店長って呼べし」  会計を終わらせ、店を出ようとするとレイに止められる。 「マサ、それオレが持つぞ」 「軽いからいいよ」  電気屋を出る直前、テレビコーナーで昔の作品をリメイクした新作ゲームのプロモーションビデオが流れているのを見てレイが足を止めた。 「なあ、あれなんだ?」  政宗も足を止める。RPGだよ、と答えるとレイは不思議そうな顔をする。 「あーる……なんて?」  そうか、こいつはこういうのも知らないのか。政宗は心の中で独りごちる。 「……閉じ込められてるやつ。そんで、助けに行く」 「誰が?」 「勇者」  レイが政宗へと振り向く。モニターの光を受けて、レイのシルバーピアスが光っている。その顔がにやっと笑う。 「ふーん。じゃあ俺、閉じ込められてる側?」 「ゲームの中の話だ。こんなごつい姫がいてたまるか」 「政宗は勇者っぽくねえな」 「うるさいな」  レイがへへっと軽く笑った。  店を出て、夜の空気に触れる。政宗は道路を走る車に素早く視線を走らせ、それから帰路についた。それからは、いつものように並んで歩いていたはずだった。  曲がり角に差しかかった時、ふと視界の端に黒い車が入った。政宗の足が止まる。一瞬光ったヘッドライトが、政宗の頭の奥で火花を散らした。 「……っ」  音が弾ける。遅れて、肩が焼ける鋭い感覚。硝煙と、血のにおい。  ヘッドライトに似た眩しい光に、視界が白く塗り潰される。 『待ってる』  遠ざかる声が、ひどく歪んで聞こえる。体が強張り、なにも聞こえなくなる。 「──サ。マサ? どうした?」  耳鳴りの奥で、レイの声だけがはっきりと届いた。クリアすぎた頭の中に、雑音と声が戻ってくる。返事の代わりに顔を上げると、すぐ目の前にレイの顔があった。不思議そうにこちらを覗き込んでいる。……よかった、いる。  振り返れば、黒い車はもう遠ざかっていた。 「……なんでもない」  そう口にして歩き出そうとした矢先、内側から引っ張られるような重い疼きに力が抜けそうになった。かろうじて落下を回避したが、思わずその場に座り込んでしまう。 「……マサ、っ」  気配を察したのか、レイが再度立ち止まり、膝をついた政宗の元に駆け寄る。レイが政宗の手からコーヒーマシンを優しく奪う。 「無理すんなって」 「してねえ」  しゃがみ込んだレイが、観察するような眼差しで政宗を見つめる。見透かされてる気がして、つい目を逸らす。  ふと、冷たい指が、同じ位置にある政宗のブラックのヘリックスピアスに触れた。 「──お前、馬鹿なことしたな」  レイのシルバーのそれとは違う、黒い金属の表面をなぞりながら、レイは静かな声でぽつりと呟く。責めるでも、からかうでもない。ただ淡々と、それだけを告げる声。  そのまま降りていったレイの手が、右肩を包み込むように触れる。政宗は喉の奥で声を押し殺す。どうにか痛みを逃すように、息を吸って、止めて、数秒後。ようやく吐き出したあとで、政宗は額に汗を浮かべながらやっと言葉を継いだ。 「似たようなこと、前にも言われた」  ふ、と短く笑ってそう返したが、レイは笑っていなかった。  夜の道路で、二人の呼吸の音が風に混じる。横断歩道の信号機が視界の端でちかちかと瞬く。青から点滅して、そして赤へ。  やがて政宗の肩から、レイの手が触れた感覚が消える。手を離しただけとわかっていたが、息を呑んだ政宗は顔を上げてレイを見る。 「……っ、行くな」  咄嗟に、政宗はまだ痛む手で手繰り寄せるようにレイの手首を強く掴んだ。 「俺のそばにいろ。どこも行くな……」  こちらに倒れてくる体をたまらず抱き締めると、レイがわずかに声を上げる。 「マサ、いてぇ」  構わず、政宗はレイの体温を確認する。あたたかい温もりの下で、鼓動と血が流れる音がする。呼吸の音が聞こえる。  こいつはもう、あの白い地下で、客のために体を開いていただけの人間ではない。  ──生きている。

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