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第1幕 1話 パーティ
車の中から父の経営するホテルが見えた時、ハンドルを握る政宗の胃が重くなった。豪華絢爛という名に相応しいその建物は部屋数も多く、横にも縦にも広い。航空写真でないともはや全貌が見えないそれに、政宗は何度目かのため息をついた。
大路政宗 は健康志向を売りにした会員制ラグジュアリーホテルの、創設二十周年の記念パーティー会場に向かっているところだった。
会場に入る前、足を止めて改めてあたりを見渡す。着飾った人々が行き交っている。自分にはこんな派手なところは合わない。早く帰りたい。家で自分でパスタを茹でて市販のソースを絡めて食べていたい。けれど五年おきに連れて来られるのが、我が家のルールであり恒例の「社会勉強」だった。
「……大路政宗です」
受付で名前を言い、中に通される。しかし中に入ったとて誰と話すでもない政宗は、そそくさと隅の方に逃げ込んだ。パーティはもう始まっていて、会場の人間は食事をしながら各々談笑をしていた。
話し声とグラスの触れ合う音がする中、政宗は舌に合わないシャンパングラスを何度も持ち替える。テーブルには料理がずらりと並んでいるが、彩りばかり整っているだけで匂いは薄い。政宗は一度目をやっただけで、手を伸ばすことはなかった。
父の運営するこのホテルのパーティー会場には様々な業界の人間がフロアにいて、さらに会場の端ではスーツ姿の医者が難しい専門用語で話をしていた。ここには一般人の姿はない。ほとんどが父が関与する業界の人間ばかりだった。
政宗は気まずさを晴らすようにぬるくなったシャンパンを口に含むが、逆に胃の奥がより重くなるだけだった。
「あら、政宗くんじゃない」
そんな中、政宗は突如名前を呼ばれて顔を上げた。自分と同じ名前の別人かと思いながら振り向くと、視線の先で気品のある老夫婦がこちらへ向かって歩いてきた。誰だっけ、と思うが思い出せない。
夫婦は政宗の前に立ち、「元気にしてたかね」と話しかけてくる。
「あ……えー、と。父がお世話になっております……」
政宗はそう適当に挨拶する。冷や汗が止まらなかった。上手く目を合わせないままでいると、夫婦は上品さを保ちながらも気さくに話しかけてくる。しばらくして、政宗はようやく二人のことを思い出した。確か父が親しくしている政治家だ。昔から政宗のことを知っていて、よくしてくれていた。普段ならそれでも遠慮していたところだが、見知った顔がようやく見えてほっとしていた。
「っ、澤田さんご夫婦も、お元気そうで……」
そう挨拶すると、澤田夫妻は柔和に笑う。
「お仕事は忙しいの? 今はお父様の手伝い?」
「いや……俺は……システム会社で働いてて」
言う話題を愛想笑いで躱す。父の事業とは関わりのない情報システム部に入社して、もう三年になる。
「そうだったわねぇ。でも、いずれは戻られるんでしょう?」
「戻る、ですか」
「お父様の会社によ。あれだけの事業をお持ちなんですもの」
政宗は曖昧に笑う。
「どうですかね」
「若いうちは外を見るのも大事だろうが、跡を継ぐとなると話は別だからな」
「はあ……」
そして、曖昧に頷くしかない。
父は直接口にしない。だが、周囲は誰もが当然のように思っている。政宗がいつか戻り、父の後を継ぐのだと。
「それにしても、本当にお父様に似てきたわね」
夫人が懐かしそうに目を細めた。目元には優しい皺が寄っている。けれど政宗は手放しでは喜べなかった。
「そうですか?」
「そうよ。ねえ、貴方?」
「ああ。昔はもっとお母様に似ていた気がするけれど、目元は特にそっくりだよ」
政宗は苦笑いを浮かべる。
「あ……そうですか。よく言われます」
嘘だった。一度も言われたことはない。ただ、否定するのも面倒だった。父に似ていると言われて嬉しいと思ったことも一度もなかった。
会場を見回す。
医者。政治家。製薬会社の役員。金融関係者。
父の周りには昔からこういう人間ばかり集まっていた。
一方で、自分が毎日顔を合わせているのは、深夜まで仕様書と睨めっこしながらエナジードリンクを飲み、バグが出たと騒ぐ同僚たちだ。
どちらが好きかと聞かれれば、考えるまでもなかった。
「──そういえば、政宗くんは、結婚のご予定は?」
「えっ」
「知り合いのお嬢さんを紹介しましょうか?」
来た。政宗は心の中だけで頭を抱えた。
「いえ、そういう予定は全然……」
「今はお仕事が楽しい時期かしら?」
「まあ、それなりです」
適当に返す。本当は仕事が楽しいわけでもない。ただ、今の会社は気楽だった。少なくとも、ここよりは。
「でも、いい人がいたら早いうちがいいわよ」
「政宗くんくらいの歳なら、そろそろ考え始めてもいい頃だ。どうかね?」
「はあ」
また生返事をする。作り笑いを浮かべたまま、政宗は適当にこくこくと頷いていた。
そんな話になるたびに思う。
今すぐに結婚したいわけじゃない。子供が欲しいわけでもない。ただいつか家庭を持って、この家から離れられたらいいとは思う。
父とは別の場所で、父とは別の人生を生きられたら。考えるのはそれだけだ。
そんなことを考えていると、会場の奥がざわめいた。政宗は反射的に顔を向けた。
父だった。黒いスーツ姿の男数人を従えながら歩いてくる。年齢の割に背筋は真っ直ぐで、表情は淡々としている。白髪混じりの髪を丁寧に撫で付けた姿は、ともすれば往年の俳優みたいに見える。
ただ歩いているだけなのに、人が道を空ける。人の流れが自然と左右へ分かれていく。
政宗は昔からその光景が苦手だった。王様みたいだな、と子供の頃は思った。けれど今は違う。巨大な機械みたいだと思う。利益だけを計算し、感情ではなく機能だけで動くなにか。決して口にはしないが、政宗の、自分の父に対する印象は昔からそれだった。
父が近付くにつれ、周囲の空気が変わる。澤田夫妻も背筋を伸ばした。
「おや、大路先生、おめでとうございます」
「おめでとうございます」
「ありがとうございます」
父は短く答えた。祝いの言葉にも笑わない。それでも周囲は満足そうだった。政宗には理解できない。
父の視線がこちらへ向く。一瞬だけ目が合った。
「政宗」
「……はい」
条件反射みたいに返事をする。
「来い」
それだけだった。理由も説明も、断る選択肢も、最初から存在しない。
澤田夫妻へ頭を下げ、政宗は父の後ろを歩く。
会場の奥、人の少ない廊下へ。
そしてさらに奥へ。
途中で振り返ると、煌びやかなパーティー会場はもう見えなかった。
残っているのは、絨毯に吸い込まれる靴音だけだった。
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