3 / 43

第2話 地下

 ホテルの中を歩きながら、どこまで連れ回されるのだろうかと不安になる。またいつかの時みたいに端から端まで歩きながら、セラピー施設や最新の医療技術でも紹介でもされるのだろうか。けれどやって来たのは、政宗の知らない区画だった。ただでさえ広い施設の中に、まだ知らない空間があることに軽く驚く。  ふと、政宗は周りがやけに静かなことに気付いた。  さっきまでスタッフがついていたはずが、どこにもいない。それに気付いたのは、エレベーターを降りてからだった。 「これも社会勉強だ」  物々しい口調でそう言って、次に父が立ったのは階数表示のないエレベーターの前だった。ドアが開いて、父が乗り込む。一拍遅れて、政宗はその箱に足を踏み入れる。ボタンは上下と開閉の四つしかない。父は黙ってボタンを操作した。無音でドアが閉まる。音も振動もないそこは本当に動いているのかすら曖昧になるが、耳にかかる気圧変化が、層が変わったことをわずかに教えてくれた。  そしてドアが音もなく開く。ポーン、という音が静寂の中で嫌に浮いて聞こえた。  案の定、その先には誰もいない。  ふと、父が無言で振り向いた。その顔には、シンプルな黒のドミノマスクが付けられていた。政宗に差し出された手には同じものが載っている。一瞬ふざけているのかと思ったが、つけろという無言の圧を感じた政宗は慌てて受け取り、同じように付けた。  それから父はなにも言わないまま、一定の歩幅で静かに歩みを進める。遅れかけていた政宗は小走りで追いつく。足音がやけに響く。  父は医療機器関連の事業をしている。少なくとも政宗はそう認識していた。外面はよく、政治界や医療関係について詳しい人間と関わりが深いのはさっきのパーティーでも目にした通りだ。  けれど、家の中で笑った顔を見た数は少ない。父とは関わりのないところで働き出して数年は経っている。それなのにここにきて急に自分の仕事場を見せると言い出したのはなぜなのだろう。そんな疑問がついて回ったが、問いかけたところでまともな返事が返ってくるはずがなかった。  ポン、という軽い音がして、父親の翳すカードキーがいくつもの赤を緑に変えていく。そのロックを何個も通過するたび、妙に耳やうなじの後ろがざわざわしてくる。いくつ目のロックか、もう数えていない。ここはどういう場所なのか政宗は気になったが、しかし真っ直ぐに伸びた背筋は、政宗の不安や疑問を受け付ける気配はない。  奥へ進むにつれ、だんだん生活の気配がなくなっていく。先ほどまでいたパーティー会場の喧騒が、嘘みたいに聞こえてこない。匂いさえもが、ここではどこか遠ざけられているような気がした。  やがて父は一つのドアの前で足を止めた。なにかと思い、顔を上げた政宗はドアを見る。 【No.3】  ドアにはそんな番号が書かれていた。部屋の番号らしくはない。そもそもここに来るまでに1と2を見ていない。それは上階で使われている、どの番号ともなんとなく性質が違う気がした。  その下の扉に埋め込まれた電子パネルには、さらに英語の表記が書かれている。見覚えのある単語だった。仕事で目にすることもある。だが、この部屋との繋がりはまったく分からなかった。  考える前に、父が通路の認証パネルにカードをかざす。施錠音がして、ゲートが静かに開く。その奥に続く、人一人が通れるほど狭く白いコリドーが目に入る。今まで通ってきた廊下とは明らかに違う。床からも漏れ出る光は優しい光量とはいえ、無機質なそれは目に痛いまである。もはやここがなんなのか、政宗にはわからなかった。  通路の突き当たりには同じ【No.3】という番号と英語の表記がされた扉がある。再度、父は同じ手順でドアを開ける。  さきほどの通路の窮屈さとは打って変わって、大きめの会議室ぐらいの空間が目の前に広がる。部屋は一貫して白く、光膜天井に床と壁の隙間から漏れ出る光が部屋一面を、どこまでも均一に照らしていた。この部屋がなんなのか、気になった政宗は父の背中から頭を出す。  奥を覗き込んで、息を止めた。  中央には、この部屋と同じく白を基調としたキングサイズのベッドがぽつんと一つ置いてあった。その上に、なにかが乗っている。白いこの空間の中で一際目を引く黒、それから部屋の白さを浮き立たせるような肌色が視界に入る。よく見ると、それは人の形をしていた。衣服をまったくつけていない状態で、人に見えるそれはベッドの上で大人しく足をそろえて座っている。  本当に、ただそれだけの部屋だった。  政宗は瞬きを忘れた。不意に視線の先で、それが瞬きをする。……動いた。展示物じゃない。  生きている人間がいる。そう理解するまでに、数秒かかった。  なんだ、これ。 「……客?」  低くて、でもどこか冷たく甘い声がした。政宗は思わず目を見開く。  ……生きてる。

ともだちにシェアしよう!