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第1話 酒クズハニーの挑発
特区。それはこの地球上のどこよりも刺激的で最悪で下劣で、治安の終わっているこの世のゴミ溜め。
都市が一つへばりつくように存在しているだけのその孤島の片隅で、ユオシェンは酒瓶の中身を揺らしていた。
「聞いてくれよ、マスタぁー。俺のダーリンがさぁ!」
ボトルから直接ワインを飲みながら、酩酊した男――ユオシェンはバーのマスターにくだを巻く。
年齢は二十代後半、見た目にはあまり頓着しない性質なのか髪はボサボサで、皺が寄ったシャツのボタンは何個も外されている。その向こう側に隠されるべき筋肉質な胸元が、バーの薄暗い光の下に露わになっているが、彼が気にする様子はない。
その手の趣味がある人間から見れば据え膳と思われても仕方のないその有様を、少し高い位置からマスターは見下ろしてため息をつく。
「はいはい。惚気話をするなら相談料を取りますよ。10ドルでいいですね?」
「惚気じゃねーし! 愚痴だし! ってかたったの10ドルで聞いてくれるんなら出す出す! 今日は手持ちないけど!」
「はぁ……。またツケ払いにするつもりですか。まったく、ヒモとしての生き方が堂に入ってきたというかなんというか」
「今の人生楽しいし別に良いじゃん! ヒモ人生サイコーッ!」
浮かれた様子でユオシェンは両手を振り上げる。手にしていたボトルの中身が物理法則に素直に従って宙を舞い、ちょうど後ろを通りがかった男の頭上へと降り注いだ。
「うわっ!? テッメェ、何しやがんだコラァ!」
「あ、ゴメンゴメン。服汚れちゃった? 弁償するよ。ツケといて!」
「ああん!?」
ふざけた調子で謝罪するユオシェンに、被害を受けた男とその仲間達が詰め寄る。男たちの身なりは明らかにカタギのものではなく、暴力沙汰を予期した他の客達は慣れた様子で彼らから距離を取り、事態を見守り始める。
その中の数名がもめ事の勝敗での賭けを密かに宣言し、胴元となった彼らの元に参加者から賭け金が集まり始める。この特区ではありふれた光景だ。
そんな期待と迷惑の目を同時に向けられていることにも気付かず、酒を被った男は未だボトルから酒を飲み続けているユオシェンの胸ぐらを掴んだ。
「テメェ、ナメてんじゃねぇぞ! 金なんかで解決できると思うなよ、アア”!?」
「エー、怖い。お金じゃダメってことは何があればいい? 体? 残念だけど今の俺にはダーリンっていうご主人様がいてぇ……」
「このっ……!」
照れくさそうにモジモジと言うユオシェンに、男の怒りはいよいよ頂点に達し、右手の拳を固めて勢いよくユオシェンへと振り抜いた。
派手な音を立ててユオシェンの体はバーカウンターの上へと殴り飛ばされる。カウンターにあった酒やつまみが巻き込まれて落下し、その向こうで磨かれていたグラスが何個も割れる音が響き渡る。マスターはそれをひょいっと避けてからため息をついた。
「はぁ……。買った方がうちの被害の弁償してくださいね」
「エー? そこは負けた方が、じゃねーの?」
「死人にどうやって金を払わせるんですか」
「それもそっかー」
カウンターの上にひっくり返ったままの姿勢で呑気に会話をするユオシェンに、男たちの怒りはさらに煽られる。
「ふざけやがって、酔っ払いが……! テメェのお望み通り、体で支払ってもらおうじゃねぇか! 女の代わりにするにはちょっとばかり筋肉がありすぎるが、俺は優しいから譲歩してやるよ……!」
「むっ、聞き捨てなんねーこと言うじゃん。俺を抱くなら相応の金取るぜぇ?」
ゆらりと上体を起こすと挑発するように目を細め、指に滴る酒の雫を、ピアスのついた赤い舌が見せつけるかのごとくぺろりと舐め取る。男たちは一瞬その動きに目を奪われた後、揃って下卑た表情を浮かべてユオシェンへと手を伸ばした。
「ハハッ! なんだ犯しがいがありそうじゃねぇか!」
「俺たち全員でマワしてしばらく飼ってやるよ!」
「飽きたら捨ててやるか適当に売り飛ばしてやるから楽しみにしてろよぉ?」
「エーン、怖いよぉ。助けて、ダーリン~~!」
腕や髪を掴まれて引きずられそうになりながら、嘘くさくユオシェンは助けを求める。その瞬間、まるで示し合わせたかのようなタイミングでバーの入口が蹴り開けられた。
「あっ♡ ダーリンだぁ♡♡」
派手な登場をしたのは、銀フレームをかけた神経質そうなスーツの男だった。彼の眉間には一生消えないようにも思える皺が不機嫌そうに刻まれ、その目は明確な怒りと苛立ちを燃やしてユオシェンと男たちに向けられている。
「シイナさん。ドアは蹴り開ける以外にも開ける方法があるんですよ」
怒り狂う彼――シイナに怯むことなく、バーのマスターは彼に窘める言葉をかける。するとシイナはころりと平静な無表情になり、マスターへと軽く頭を下げた。
「申し訳ありません。そこのバカが壊した分とツケも合わせてお支払いします」
「ええ。ありがとうございます。よかったですね、ユオシェンさん。もう何度かツケを重ねられたら出禁も考えるところでしたよ」
「えへへ。ダーリン、迎えに来てくれてありがとっ♡」
フラフラと立ち上がり、シイナのもとに行こうとするユオシェンだったが、それまで呆気にとられていた男たちは、そんな彼の髪や体を掴んで自分たちの方へと引き戻した。
「へへっ、何だか知らねえがアンタがこの男の保護者くんかぁ? 当然、俺たちにも迷惑料を払ってくれるんだよなぁ?」
「払ってくんねぇなら、予定通りこの男に体で支払ってもらうことになるぜぇ?」
「キャー、助けてぇ。こいつら、俺を犯してマワして捨てるつもりって言ってたよぉ、えーん」
全身を複数の男に押さえ込まれ、絶体絶命の状態だというのにユオシェンの軽口は止まらなかった。それに呼応するようにシイナの眉間には再び深い皺が刻まれる。
「なるほど。アナタ方は私の持ち物に傷をつけようとしていると」
「あ? そんな怖い顔しても意味ねーぞ! テメェみたいなお勉強しかできなさそうな弱っちいインテリ男が――」
その言葉を最後まで言い終わる前に、男の体は宙を舞っていた。ほんの一歩で距離を詰めたシイナに殴り飛ばされたのだと周囲が気付いた頃には、シイナは再び拳を固めて他の男へと殴りかかっていた。
何の前触れもなく切って落とされた喧嘩の火蓋から逃げるように、いつのまにかユオシェンは鉄火場から脱出して、カウンターを背に床へとだらしなく座り込んでいた。
「なんだコイツ、つえぇ!」
「おい! 全員で押さえ込むぞ!」
「ギャア! 俺の腕がぁあ!」
顔を苛立たしげに歪めながら、シイナは淡々と男たちを殴り飛ばしては掴んで投げ、戦闘不能にしていく。ユオシェンはその辺に落ちていた酒瓶に残ったアルコールを呷りながら、キャッキャッと子どものようにはしゃいでそれを見守っていた。
やがて不埒者を全て伸したシイナは、血のついた拳を白いハンカチで拭いて、それを適当に投げ捨てた。ユオシェンは蕩けた表情で立ち上がると、酔いでおぼつかない足取りでシイナへと歩み寄り、その頬をぺろりと舐める。
「返り血ついてたぞっ、ダーリン♡」
次の瞬間、シイナの拳がユオシェンの顔面へとぶち当てられ、その勢いのままにユオシェンは尻餅をついた。
「えー、ひっでー。助けてくれたお礼にハニーからキスしたげただけじゃん」
「ユオシェン。テメェ、そのこの男どもを誘惑したな?」
「やっべ、聞いちゃってた?」
言葉とは裏腹に悪びれた様子のないユオシェンの胸ぐらをシイナは掴み上げて顔を寄せる。
「答えろ。テメェは誰のもんだ」
「もちろん、ダーリンのものだよ♡ 指も目も舌も、腹の奥までぜぇんぶシイナの所有物だって♡」
「だったらそれを勝手に他人に貸し出そうとした悪い所有物にはお仕置きが必要だよなぁ?」
ギラギラと暴力的なまでの所有欲に満ちた目を至近距離で向けられ、ユオシェンは熱に浮かされたような表情で妖艶に微笑む。
「はぁい♡ どんな罰でも受けるよ、ダーリン♡」
従順で淫靡なペットめいた視線で答えられ、シイナの顔が苛立ちと押し寄せる熱で歪な笑みの形に歪む。
今すぐにでもこの場で行為に及びそうな二人をカウンターから見下ろして、マスターはパンパンと手を叩いた。
「はいはい、そこまで。ヤリたいなら上に部屋空いてるから、そこでやってくれるか?」
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