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第10話 偶人

 冷たく、吐き出された単語。人名なのか物の名前なのかもわからないそれを口にしたのは、苦しそうな顔をしたシイナだった。  その一言を聞いた瞬間、ユオシェンの体がぴくりと震え、目が見開かれる。だがその眼は何も映しておらず、全ての感情が抜け落ちた表情で彼は硬直し続ける。 「おい、何して――」 「『許可する。殲滅しろ』」  異国の言葉でシイナは言う。そこから先、何が起きたのか正確に把握できた者は、少なくともこの場には存在しなかった。  全員の注目を集めていたはずのユオシェンの姿が、突然掻き消える。男たちの視野の外側をなぞるように通り、手にしている拳銃で順番に命を奪っていく。  ユオシェンによって仲間が殺されていると数秒遅れて気づいた男たちが反撃に転じようとするも、無駄のない動きで対象を殺して回る彼の姿を捉えることすらできない。 「う、わぁ、あああ! ば、化け物ぉ!!」  闇雲に乱射された銃弾が仲間に当たり、その場はさらにパニックで満たされる。その乱闘の只中で、シイナは何も言わず、ただ何かに耐えるように静かに立っていた。  カチン、と軽い音が鳴り、ユオシェンの持つ拳銃が弾切れを告げる。それをチャンスと見た男が彼に銃口を向けるも、ユオシェンは一切恐れを抱いていない足取りで男へと距離を詰め、その頭部を銃の底で殴りつけた。 「こ、このぉっ……!」  頭蓋骨を破壊されて倒れていく男を踏みつけ、最後の一人となっていた敵へとユオシェンは向き直る。 「死ね、死ねっ! うわぁぁあぁああ!!」  半狂乱で銃を乱射する男の死角へと飛び込んだユオシェンは、男の首に飛びかかって腕を回すと、そのまま常軌を逸した怪力で彼の首を捩じ切った。  断末魔も上げられず絶命した男の体が崩れ落ち、ユオシェンはその上へと身軽に着地する。  そのままぐるりと視線を巡らせ、彼が視界に入れたのは――それまで決して動かず、沈黙を貫いていたシイナだった。 「『偶人(オゥレン)』」  悔しそうな声色で、シイナはユオシェンに呼びかける。ユオシェンは光を宿さない瞳のまま、ふらふらとシイナに歩み寄り始めた。 「ご、シゅじ……サ、まァ……?」  まだ前で拘束されている腕をシイナへと伸ばしながら、ふらふらとユオシェンはこちらに近づいてくる。シイナは一歩も動かず、そんな彼を迎えた。 「そうだ。俺がお前の主人だ。……もう眠れ、『偶人(オゥレン)』」  優しい響きでシイナは語りかける。ユオシェンの体は再びぴくりと震えると、まるで電池が切れた人形のようにそのまま前へと倒れ込んだ。  それを体を使って受け止め、シイナはゆっくりとしゃがみ込む。そして、右手に嵌めている大振りの指輪の装飾を、連続して三度押し込んだ。  突入の合図だ。ここに来る途中で招集した部下たちはおそらくもうこの建物の周囲に控えている。すぐにでも武装した彼らがここに雪崩れ込んでくることだろう。  ユオシェンが焦って命乞いなんてしなければ、もっと早くに突入を命じることができたのだが、彼を責めるのは筋違いというものだろう。あらかじめこの段取りのことも伝えておかなかったこちらの落ち度だ。 「はぁ……」  安堵と緊張で、大きなため息が出る。ここから先、対処しなければいけない問題が、重々しく肩にのしかかる。 「ユオシェン」  こちらにもたれかかるように気絶するユオシェンに触れたいと思うも、後ろで手を拘束されているのでそれも叶わない。  もう一度大きなため息を吐こうとした時、騒々しい音を立てて呼び寄せた部下たちが突入してきた。 「シイナさん!」 「もう終わった。お前らは後片付けを――」  疲れを滲ませた声で指示を飛ばそうとしたその時、彼らの後ろから現れた人影がシイナの視界に入る。  シイナは部下たちによって手枷を外されると、その五十手前に見える長身の男性の前へと立った。 「災難だったな、会計係」 「……ラウ大兄」  ラウと呼ばれた男は、強面の顔を若干の親愛で緩ませる。そんな彼にシイナは恭しく一礼した。 「ご足労いただき、申し訳ありません」 「いやいいさ。他ならぬ可愛い弟分のピンチだからな。……それにしても、だ」  ラウはぐるりと視線を巡らせ、室内に転がる死体たちを確認する。シイナの体に緊張が走った。 「この惨状は、そこで寝てる『偶人(オゥレン)』の仕業ってことでいいか?」 「……いいえ」  ユオシェンを軽く指差しながらの言葉に、シイナは頑なな声色で答える。 「全て私がやったことです」 「ほう?」  ラウは面白いものを見つけたような顔で片眉を上げると、シイナを上から覗き込んで圧をかけた。 「もう一度聞くぞ、弟分。お前は後ろ手で拘束された状態で、十人はいる敵を、撃ち殺し、殴り殺し、首を捩じ切ったって言いたいのか?」 「はい、その通りです、大兄。全て私がやりました」  その探るような視線をシイナは全て正面から受け止め、その上で無茶な主張を押し通そうとする。  ラウはしばらくの間シイナの目を見つめた後、ふっと笑って彼から体を離した。 「わかったわかった。今回はそういうことにしよう。ボスにもうまく伝えておくよ」  思わず、シイナの口から安堵の息が漏れそうになる。だがラウはそれを咎めるように彼の目を険しい顔で睨みつけた。 「だが、何度も使える言い訳だと思うなよ? 俺だって、可愛い弟分を危険因子として見たくはねぇんだ」 「……お心遣い感謝します」  シイナは再び恭しく頭を下げる。ラウは軽く笑ってそれに返すと、そのまま立ち去っていった。  その姿が見えなくなるまで見送った後、シイナはその場にへたりこみたくなるほどの虚脱感に襲われる。  なんとか乗り切った。まだ問題は解決していないが時間稼ぎにはなる。  シイナは一度深く呼吸をして己を落ち着かせると、部下によってシーツをかけられて横たわるユオシェンのかたわらにしゃがみ込んだ。 「帰ろう、ユオシェン。怖い思いさせてごめんな」

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