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第31話 忍び寄る魔の手

 数時間前――  ラウに従って事務所に連れてこられたユオシェンは、事務所の片隅にある狭い一室に押し込められていた。  部屋の中には最低限生活できるだけの家具があり、最初から誰かを閉じ込める用途で作られた場所なのだとユオシェンは察する。  椅子に腰掛けるユオシェンの前には、ラウの部下が座っており、にこにこと胡散臭い笑みをこちらに向けていた。 「そんなに警戒するなよ。俺、ホァンっていうんだ。よろしくな?」 「……そう」  フレンドリーに話しかけてくるホァンと会話をする気力はなかった。  襲撃者の言葉によって思い出してしまった記憶。シイナに繰り返し言い含められ、本物だと思い込んでいた彼への愛情。  それが捏造された偽物だと分かった今、あんなに愛しかったはずのシイナの存在をどう捉えればいいのか、ユオシェンには分からなくなっていた。  愛を囁かれ、体を暴かれ、一緒に快楽を追って、くだらないことで笑い合った。全て嘘だと片付けてしまうにはその日々は愛おしすぎて、ユオシェンは重いため息を吐く。  シイナが言っていたことを思い出す。シイナは今、俺を心から愛していて幸せであってほしいと願ってくれている。それだけは本当だと真実の断片を教えてくれた時に言っていた。  あの言葉を信じたい。どんな経緯があったとしても、今の俺たちの間にあるのは嘘偽りじゃない愛情だと思いたい。  でもそれを素直に信じるには、シイナが己に行ったことはあまりに一方的で卑劣なもので、彼を信じたいと思うこの心こそが洗脳の結果なのではとどうしても疑ってしまう。 「シイナ……」  ぽつりと彼の名を呼ぶ。頭の後ろに何かが立っている気がする。『偶人(オゥレン)』としての自分自身が、騙されるなとでも言いたげに、背後からこちらを見つめている。 「はぁ……」  ユオシェンが再び大きくため息をつくと、向かい合って座っているホァンがこちらの顔を覗き込んできた。 「そんなに悲しそうな顔すんなって。せっかく洗脳から解放されたんだろ? もっと喜べって」 「洗脳とか言わないで。俺とシイナはそれだけの関係じゃない。……多分」  きっぱりと言い切れず、ユオシェンは目を逸らす。ホァンは面白そうに目を細めた。 「えー、まだそんな風に洗脳されてんの? 事実としてあの男はお前に嘘の関係を吹き込んで、無理矢理恋人にしてたんだぞ? 可哀想になぁ?」 「……」  違う、と言いたかった。でも否定するにはシイナの悪行の証拠は揃いすぎていて、ただ黙り込むことしかできない。  浮かない表情で俯くユオシェンに、ホァンは軽い調子で声をかける。 「ま、お前がどう思おうと、もうすぐお前の人格はリセットされて、恋人のことも恋人に騙されてたって事実も消えてなくなるんだけどなー」 「……」 「お前はこの後、うちの組のボスに献上されて、そこで殺人人形としての人生を歩み始めるんだよ。聞くところによると、シイナは元々そうするって約束でお前を引き取ったらしいぞ? 今の有様を見るに、途中でボスに渡すのが惜しくなって私物にしたみたいだけどな?」 「っ……!」  ホァンが口にした内容は、ユオシェンから見ても納得できる推測だった。そういう成り行きであったのなら、自分がシイナのところにいた理由も、『偶人(オゥレン)』としての己を忘れていた理由も説明がつく。  『偶人(オゥレン)』となってしまえば、約束通りシイナは自分を引き渡さなければならない。それが嫌だったからシイナは『偶人(オゥレン)』としての記憶を封じたのだ。  そこにあったのが欲なのか、愛なのか、執着なのかは分からない。だけどそのどれであっても、ユオシェンは嬉しいと思ってしまった。 「シイナ、俺は――」  ぽつりと呟く。シイナに会いたい。会って話をしたい。今までのこと、これからのこと、別れが決まっているとしても最後に会って話したい。  本当は、シイナと離れたくない。だけど自分のわがままでシイナが追い詰められるのはもっと嫌だ。だからせめて、全てが無かったことになる前にお別れが言いたい。  涙がポロッとこぼれ、溢れ出る感情が抑えきれず、小さく鼻を啜る。  だがそんな感傷を、目の前のホァンは嘲笑った。 「ははっ、そう悲観するなよ。お前の次の主人はうちの組のボスじゃなく、俺になるんだからな」 「え……」  ホァンは立ち上がると、ユオシェンの腕を乱暴に掴んですぐ近くにあったベッドへと放り投げた。突然のことに反応できず、ユオシェンはされるがままにベッドに倒れ込み、ぽかんとした顔で豹変したホァンの顔を見上げる。 「『偶人(オゥレン)』、『動くな』」  異国の言葉で命じられ、ユオシェンの全身が凍りついたように硬直する。 「な、にをっ……」 「悪いなぁ、『偶人(オゥレン)』。さっき出した飲み物の中に、調教用の薬を混ぜさせてもらったんだわ」  ホァンは下卑た笑いを浮かべながら上着を脱ぎ、ハンカチをシイナの口へと詰め込んで声を奪った。 「じゃあ再調教といこうか。気持ちいいまま消えられるんだからお前も嬉しいだろ?」

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