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第2話
チン、と硬質な音が暗闇に響く。
エレベーターを降りると、病院特有の消毒液くさい湿った空気を感じる。
地下一階に位置するコンビニは、エレベーターを降りて左手側の奥に位置している。窓もなく検査室が並ぶ地下一階は深夜ともなれば暗く人の気配はなく、コンビニだけがやわらかく光を放っている。
ここに来るのは好きなんだけどな。
明るい蛍光灯の光に九条は肩の力が抜けるのを感じる。夜間の薄暗い院内を歩くのは何年経っても少し緊張する。しかし。
今日もいる、か。
店内の扉が開いた瞬間から感じる視線に、一瞬入るのを躊躇する。
店内を確認すると九条以外に客はおらず、予想通りの視線の主に九条は首筋を押さえる。黒いふわふわとした前髪からのぞく視線は、こちらをまっすぐに見ていた。
「いらっしゃいませ」
大学生で、望月、か。
福田に教えてもらった情報を思い出す。
九条にかけられたその声は、少し幼く平坦で機械を連想させる。一般的な挨拶以外に続く言葉はなく、冷蔵庫の稼働音が響く。
しかし視線は雄弁で、一心に九条を見つめ続ける。
他の人はこの視線が気にならないのか?
ちりちりとした刺すような視線に、九条は棚の影に移動する。
酷くなる頭痛に眼鏡を外し目頭を揉む。
早く病棟に戻ろう、と思うのに商品に手が伸びない。
何かを選ぶことすら億劫になった頭に、九条はとりあえず目の前の商品に手を伸ばす。そのとき。
「…………………………あのっ」
後ろから掛けられた声に、九条は素直に飛び上がった。
後ろを振り向くと、望月が不安そうな顔で九条を見上げている。
いつの間に。
大きな音を立てる心臓を落ち着かせながら望月の出方を伺う。望月は視線をせわしなく動かしながら、あの、その、と呟いては口を閉じる。
「…………何か?」
縮こまってしまった望月に思わず声をかければ、望月の肩が大きく跳ねる。
その反応にしまった、と思ったが、望月は顔を上げると決意した顔で九条に握った手を差し出す。
「あのっ……!これ、そのっ、嫌じゃなかったらどうぞっ!」
言葉とは裏腹に押し付けんばかりの勢いで差し出される手に押され、九条も受け取るために手を差し出す。
彼の指先が触れる。手のひらにころころと金色の粒が落ちる。
温かい、なんて当たり前のことに驚いてしまう。
「これは?」
「チョコです!先生、ずっと頭痛いみたいなので」
ほっとした顔をしながら、甘いもの食べるとましになりませんか?と望月が誇らしげに言う。
「これ、俺が好きなチョコで!甘くてとっても美味しいんです!」
どうぞっ、と叫ぶ声の勢いに押され、九条は戸惑いつつもチョコをポケットにしまう。
「ありが、とう…………?」
予想外の展開に混乱しながらも望月に礼をいう。
頭痛はチョコでマシになるのか?
そんな事をぼんやり考える。
その一方で、目の前の望月の頬が紅潮していく。
「っ!あのっ、俺そのチョコまだいっぱい持ってて!よかったらこれも全部どうぞっ!!」
「は?!」
そう言うと、望月が勢いよく自身のポケットに手を突っ込み、九条の手にチョコを落としていく。
どれだけ入れてたんだ、と慄く程のチョコが両手のひらに山を作る。
「あっ、チョコ以外に飴もあります!ガムもラムネもありますよ!!」
先生ガム好きでしたよね?!と望月がズボンのポケットをあさる。
「もういい!」とも「いらない」とも言いたいのに、望月の必死さについ言葉を飲み込んでしまう。
ごそごそとポケットをあさるのを見守る。
しかし目当てのものは見当たらなかったらしく、望月がわかりやすく肩を落とす。
「無いです…………」
「そうか…………」
そう言いながらも九条は内心ほっと胸をなで下ろす。
しかしホッとしたのもつかの間、望月は何かに気がついた顔で勢いよく頭を上げると回れ右をする。
「確かロッカーにある鞄の中にあるはず!」
「もういい!もう大丈夫だから!!」
走り出そうとする望月の首元を後ろから引っ張る。ぐえっと望月の喉から潰れた声が漏れる。
「っ、済まない!」
「ごほっ、いえ!俺のほうが勝手に盛り上がっちゃって、すみません…………」
眉を下げた顔で望月が九条を見上げる。
手が届くほど近くに立つ望月に、九条はあることに気がつく。
小さい。
九条の肩程だろうか。
カウンター越しでは気が付かなかった望月との身長差が今頃気になってくる。
さらに、少し癖のある前髪からのぞく瞳はくるりと大きく、真っ直ぐこちらを見上げる。
思わず首筋を押さえる九条に、望月が不思議そうに首を傾げる。
目が大きいから圧を感じていたのか。
感じていた視線の強さが腑に落ちる。
そわそわと落ち着かない気持ちに、九条は一つ咳払いをすると改めて望月に礼をいう。
「ありがとう」
「っ!いえ!先生の役に立てたなら何よりです!!」
望月が頬を紅潮させへにゃりと表情をくずす。
かわいい。
思い浮かんだ言葉に、はっ、と我にかえり振り払うように頭を振る。
思ったより疲れているのかもしれない。
額に手を当て大きく息を吐く。
「先生、頭痛酷いですか?」
「うっ、いや、まあ、それもあるが…………」
「先生仕事熱心でよくこんな時間まで残ってるから……それに眼鏡も慣れてないみたいだから、頭痛の原因になってるのかも…………」
ぶつぶつと九条の頭痛の原因を望月が考察し始める。
その内容に、九条は一部違和感を覚えて望月に尋ねる。
「眼鏡に慣れてない?」
「えっ?だって先生、その眼鏡、度がはいってないですよね」
指摘され、言葉を無くす。何故、が頭を埋め尽くす。
眼鏡は仕事を始めてからかけ始めたもので、パソコン作業用であり度ははいっていない。
だが、誰かにそれを話したことはない。指摘されたこともない。
何故、と呟く九条に、望月は不思議そうな顔をする。
「だって先生、たまに眼鏡外しますけど戸惑いなく商品に手を伸ばすし歩き方も変わらないし……むしろブリッジ気にする仕草のほうが多いから」
違いますか、と問いかけられても何も言えなかった。ただ呆然と望月を見つめる九条に、きょとりとしていた望月の顔がだんだんと青ざめていく。
「ちがっ!!俺ストーカーとかそういうのじゃなくて!!ただ先生のこと見てたら気づいたというか、ほんと気になって見ていただけなんですっ!こう言うとストーカー感増すんですけど、俺は先生のこと尊敬しているというか大好きで気になっちゃって。あっ、勿論好きって言っても変な意味じゃなく、さすが先生っていうか、偉大な人と思っているというか、とにかく本当にストーカーじゃーー」
「わかったから落ち着け!」
一息にまくし立てられ思わず後ずさる。
しかし距離が空いたぶん前のめりになる望月に、最終九条はのけぞるように話を聞く羽目になる。
こいつ、話し出すとこんなに止まらないのか。
意外な一面に、望月の印象が変わっていく。
「すみません、俺本当にそんな気はなくて……」
「…………わかってる」
「すみません…………」
望月が頭を動かすたびに、彼のふわふわした癖のある髪が揺れる。
眉を下げ凹む姿につい手が伸びそうになる。
何かを彷彿とされる感覚に、福田の言葉がよみがえる。
そうだ、小動物。
『ハリネズミ』と評した彼女の言葉に、胸のなかで頷く。
それにしても腹を見せ過ぎじゃないか?
相変わらず凹みながらもこちらを上目遣いで伺う姿に、何とも言えない気持ちがこみ上げる。
一瞬、柔らかいものに触れた気がして指先をこすり合わせる。
「…………別に、嫌じゃない」
「はい?」
「……だから、別に嫌ではないから気にしなくていい」
そう言ってやれば、望月が顔を上げ安心したように笑う。
ころころと表情を変える姿に、やっぱり小動物だな、と改めて思う。
「それにしてもよく見てるんだな」
「そうですか?」
「ああ。とくに眼鏡のことは初めて指摘された」
「…………っ、ああ、そうだったんですね」
よく見ている、と素直に感心したつもりだった。
しかし、望月は一瞬表情を硬くすると、その後誤魔化すように笑みを作る。
先ほどまでとは違う作り物めいた笑みが、九条に引っかかる。
しかしそれを問う前に望月の表情がまた変わる。
「先生は今日当直なんですか?」
「えっ?ああ、今日は違う。残ってる仕事があるだけで……」
「それでこんな時間まで!やっぱり医者の仕事は大変なんですね……」
感心しきりの望月に九条は少しバツが悪くなる。
もちろん患者が気になるのもある。だがそれ以外の理由の割合も大きい。
次からは雑用断ろう、と心のなかで密かに誓う。
そんな九条の心情を知らない望月がきらきらした目を九条に向ける。
「いつもお疲れ様です、九条先生!」
その顔が、妙に記憶に残った。
「あら、おかえりなさい九条先生。珍しく休憩長かったですね」
病棟に戻ったとき、九条を出迎えた第一声がそれだった。
意外そうな顔をする福田に、九条はなんと返したらよいかわからず会釈だけ返す。
「コンビニ行ってきたんですか?」
「ええ、まあ」
「望月くん今日もいました?」
「っ、ええ、まあ」
そそくさとパソコン前に座る九条に、福田が不審そうな顔をする。
さらにはじっとこちらを見る視線に、九条は無言でキーボードを叩く。
「先生ポケット膨らんでますね」
「ええ、まあ」
「望月くんに何かもらいました?」
「……ええ、まあ」
「彼、甘いもの好きなんです」
「そうなんですか」
「先生甘いもの好きですか?」
「………………………………」
ポケットに手を伸ばすと、片手に収まらないほどの金色の粒が出てくる。
一つ包みを剥いてみると、中から茶色い四角のチョコレートが出てくる。
甘い香りに覚悟して口に入れる。
予想以上の甘さにむせそうになる。
「ぐっ、………………」
後ろで福田が笑う気配がする。
とりあえず、次会ったら「このチョコはもう大丈夫だ」とだけは伝えようと思った。
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