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第八夜 You're the only 【前編】
冷や汗というかこれはもう脂汗だろう。体の中心から湧き出てくる熱に思考が持っていかれそうになる。触覚が過敏になりすれ違いさまに誰かの衣服に肌が掠っただけで、中心の温度が上がる。
油断していた──どうやら一服盛られてしまったらしい。
矢部との短い交際期間が終わり、アルバイトに当てられる時間が増えていた。
土曜の放課後は帰宅して昼食後に宿題と予習を済ませ、日暮れから【PROUD】で数時間ホール係をしてそのままウォルターのところへ行くというローテーションに切り替えた俺は、今日もホールで注文を受けたり飲食物を運んだりと忙しく立ち働いていた。
【PROUD】は一言で言うと飲み屋の一種だろうか。元々はカクテルバーをやりたかったらしいオーナーが、英国風のお洒落な二階建ての建物を建て、当初はそれで切り盛りしていたらしい。ただ、それだとちょっと入るのに尻込みするかなと客を増やすためにリクエストに答えてはカウンター以外のテーブル席の奥にボックス席が出来たり、料理もつまみ以外に割と本格的な食事メニューを出すようになりとしていたら、段々なんと区分して良いのか判らない店になってきてしまったんだった。
そして極めつけは──二階が連れ込み宿になっている点だろう。
女性客も来ないではないのだったが、ゲイよりのバイであるオーナーと同じ趣向の男たちが集まるようになり、店内は連れとしっとり飲むより出会いの場として何とも居心地の悪い視線が行き交うようになってしまっている。
まあそういうことに理解がないわけでもないので別に差別するわけじゃねえんだけど、俺までそういう色目で見られてしまい最初の頃は大変だった。
まさかノンケですなんてレッテル貼っとくわけにもいかないし、常連さんに浸透するまではバイト時間中ハリネズミのようになって防御防御防御。隙を作らないように立ち回ってはいたんだけど……。
久し振りに土曜の夜に入ってみると客層も若干変わっていて、初めて見るグループの給仕にボックス席に呼ばれた時に「一杯だけ付き合ってよ」と水割りを勧められて今まで通り飲み干したのがまずかったようだ。
アルコールに対してはかなり耐性のある体質なので、店の方針もあり、ホスト紛いに短時間席に付くこともあった。
とはいえ、別に指名料が付くわけでもなし、時間があるときだけあくまで「お付き合い」で話をしたり奢られたりしていたのだ。だから今日もそのつもりで軽い気持ちで飲み、混んで来たので次の給仕のために数分で席を立ってしまうと、ボックス席の三人は慌てた様子をしていた。
恐らくこの店のルールを知らずに入ってしまったのだろうと、軽く説明をして丁寧に侘びをしてカウンターへと踵を返した。その時俺の背に向けられていた視線が欲望を含むねちっこいものだったのには気付いていたが、引っ切り無しにあちこちに呼ばれるこの混雑の中では、別に何事も起こらないだろうと甘く見ていたのは確かだった。
三十分も経った頃だろうか、悪寒に近いぞくぞくと体の芯からくる震えに襲われ、ヤバイ、風邪でもひいたかなと若干慌てた。
でも今日もメンバーは俺以外にもう一人のアルバイトと調理場に一人とオーナーしかいない。常に三十人以上の客をキープするこの週末の夜に、ホールに穴をあけるわけには行かない。深夜担当の交代要員が来るまであと二時間ほど持たせなければならなかった。
五時間以上になると間に休憩を入れなければならないので、大抵はぎりぎり休憩なしの四時間でシフトを入れているのだ。時刻は二十時を過ぎたところ……二十二時まで頑張らないといけない。
それこそ目を回しそうになりながら客と客の間、テーブルと椅子の背の間をすり抜ける様に店内を歩き回っていると、例のボックス席にアイスペールのお代わりを持っていった時に不意に尻を撫でられた。
びりりと背筋を突き抜けるような感覚があり、思わず漏れそうになった声を封じ込めて唇を噛み締めた。
おかしい。こんなのはこの店では良くあることだ。
確かに俺はそこを撫でられると弱いけれど、服の上からだと何と言うこともない。いつもならそ知らぬ振りをして身を翻して終わりだったんだが──
「疲れただろう? ちょっと座っていきなよ」
二十代前半だろうが、どう見ても会社帰りのサラリーマンには見えない三人組がにたにたと微笑んでいた。
客に対してこんなこと言いたかないが、どうみても性格の良さそうにない、付き合いたくないタイプの人相をしている。
噛み締めていた唇を開き、すうと鼻から息を吸って呼吸を整え、半歩離れる。いきなり大きく間を取ると他の客にも悟られてしまう。
「申し訳ありませんが、今は手が離せませんので」
意識して穏便に言ったつもりだが、眉を吊り上げた先程の手の主がソファの端ににじり寄ってきた。
「いいから座れよ、こかあそういう店なんだろうがっ」
これが往来のことなら一発かましてトンズラするところだがそういうわけにもいかない。
無理矢理作った笑顔を貼り付けて、「申し訳ありません」と今度こそ手の届かないところまで体を引き、折り良く響いた入り口の開く音に救われるように「いらっしゃいませ」とそちらへ足を向けた。
瞬間、店内の喧騒がぴたりと止んだ。
水を打ったような静けさの中、チリリンと軽やかな音を立てて重い扉がゆっくりと閉じて行く。
新しい来訪者に目が行くのは当たり前の現象だったが、今回は特別だった。何しろ入ってきた人物が特別だったのだ。
セピア色の店内には、壁にダーツの的や車のポスターなどカラフルなものも飾ってある。それでも、照明が然程明るいものではないため、ぼんやりとした色彩になってしまうのは避けられない。
その中で異彩を放つプラチナブロンドは、前髪は長めだがサイドと襟足はきっちりと整えてある。髪と同じ色の長い睫毛の下の切れ長の両目は煌く緑色。今は店内の暗い明かりを反射して鈍く輝いている。
すうっと通った鼻筋に、下唇だけ少し厚めの綺麗な唇。身長も高いがそれに見合って足も長い。
歩きながらするりとトレンチを脱いでこちらに視線を投げられ、俺は金魚のように口をパクパクさせて喘いでしまった。
コートの下はお気に入りらしいアンゴラのセーターとシャツ。パンツは今日はダークグレイだった。
「──ウォルター」
呼吸を整えた俺は、誰にも聞こえない呟きを漏らした。
一瞬時が止まったかのように静まり返っていた店内は、俺がカウンター席へ案内するために動き出した時に、魔法が解けたかのようにさざめき始めた。
ボックス席からの追従がないのを良い事にさっさとその場を離れ、やつらから一番遠いカウンター席の隅へと案内する。
「なんで来たんだよ」
タイミング的にやつらから逃れられたのはいいんだけど、こんな店には不似合いすぎる。知らずに入ったで押し通すことにしてもらうしかないなと思いつつ、責めるような口調になってしまった。
「仕事振りを眺めさせてもらおうと思っただけだよ」
ウォルターはにやりと意地悪く微笑み、いつものように軽く腰を叩かれた。
「ぅん……っ」
やばい。馴染みの顔を見て安堵してしまったんだろうか、体がぴくりと反応して声が漏れてしまった。ゆっくりとスツールを引いていたウォルターが、訝しげに振り向いた。
「浩司?」
不審そうに眉を寄せ、腰掛けたところにメニューを渡すと、それをざっと流し見してから体の陰に隠すようにしてそっと指先で手の平を撫でてくる。
「っく……やめ、」
小声で窘め、ぎゅっと指先を握り返した。体の奥が熱い。
本当はこの熱をどうにかしたい。いっそのこと一回表に出たら冷えるだろうか。
制服である白いシャツと黒いパンツに腰に巻くタイプのエプロンを着けているだけの格好なので、普段なら真冬に外は願い下げだ。でもこうなっちまったら仕方ない。
明らかに風邪の時の悪寒とは違う震えと体の奥から焦がすように湧き上がる熱をどうにかしたくて、俺は取り敢えず手を握ることで耐えた。
「何か下手打ったんだな」
きつく眇められた眼差しが痛い。何も言えずにそっと握っていた指先を離すと、
「マスターを呼んでくれる?」
「っウォルター!」「いいから」
被せるように言い切られて、俺は渋々スイングドアをくぐってマスターに声を掛けた。
少し腹の出始めた、けれどそれなりに鍛えてある立派な体格のマスターと数分話し込んだ後、少し離れた場所に控えていた俺のところへウォルターがやってきた。そこが従業員用の通路口だったため、そのまま腕を掴まれて控え室の方へと引っ張られていく。
「ちょっ、ウォルター……って、」
情けないことにそんな強引にされても抗う力が出ない。小さな和室になっている上がり框に膝かっくんされる形で俺は尻餅を付いてしまった。
「何やってんだよ」
そう言いたいのは俺の方なのに、いつになく怒りを含んだ眼差しで見下ろされ、俺は言葉を飲み込んだ。
「馬鹿か? 浩司」
「っく……そこまで言わんでも……」
「じゃ、間抜け」
ぎんっと睨まれて、俺はしおしおと項垂れる。といってもほぼ寝転んだ上体を肘で支えているだけなので、実際は下を向けないわけだが。
畳の上に軽く畳んだコートを置いてから、ウォルターがのしかかってきた。するりとエプロンの紐を解かれ、シャツのボタンに手を伸ばされる。
「何するんだ、よ」
肌に直接触れられた部分が官能の疼きを伝えてくる。
「いいから脱いで」
「こんなとこで出来っかよ……」
その手を押しのけようとしても、いつものように力が入らない。しかも刺激に反応する体が更なる熱を生み出してきていて、もうどうにかなりそうなくらい頭の中も蕩けていた。
手早く俺の衣服を剥ぎ取ると、今度はウォルターが自分の服を脱ぎ始めた。
何? まさか本当にこの控え室でやろうとかそんなまさか流石のこいつでも。
ぐるぐる考えているうちに、今度は俺が着ていた制服を身に着けていく。
「え? あれ??」
身長はウォルターの方が五センチほど高いけど、体格が似ているからどうにかなったらしい。パンツが明らかに短めで申し訳ない……腰履きにすれば足元はそんなに見えないはずだから勘弁してくれ。
「ここで休んでろ。今日だけ代わってやるから」
苛立たしげに言った後、服は自分で着られるかと問うてきた。家から着てきた衣類はすぐそばのロッカーの中だ。流石にそれくらいの体力はあるだろう。俺が頷きながら上半身を起こすと、ひらりと手を振ったあいつは営業用スマイルを浮かべて店内に戻って行った。
それからあいつがどんな風に働いたのかまでは判らないが、俺はのろのろとした動きでどうにか服を身に付け、大学生のバイトが出勤するまで軽く意識を飛ばしてしまっていたらしい。驚く相手にたどたどしく具合が悪くなったことを告げ、代わりに連れがホールに居ると説明し、相変わらず熱の篭った体を持て余しつつあいつが戻ってくるのを待っていた。
控え室のドアを開けて中に俺しか居ないのを認めるや否や、外交用の笑顔が消え玲瓏たる美貌がむっつりと黙り込んだまま流れるような動作で借り物の服を脱ぎ自分の衣類を身に着けていく。
脱いだものをまとめて手に持つと、ようやくウォルターはこちらに視線を向けてきた。
「タクシー呼んどいたから、外で待とう。立てるか?」
一度寝転んでしまったところでかなり気が抜けてはいたけれど、俺はどうにか気力を振り絞って立ち上がった。
「勿論」
肩を借りたりすればまた変な風に体の火照りが増してしまうだろう。それよりはなるべく触れないようにして家まで行った方がいい。バイクで来ているから駐輪場に置きっ放しになるのが気がかりだったけど、悪戯されないことを祈るしかねえよな、この場合。
行き先を告げた後は黙り込んだまま、なんとなく居心地の悪い思いをしながら俺たちは帰宅した。つっても勿論ウォルターの家の方にで、いつも通りの土曜の夜のコースだ。
体調不良といっても病気でもなし、ましてやこのままの状態で自分の家に帰れるわけがなかった。行くあてがあって逆に良かったと言うべきなんだろうか。
無理矢理意識を外に集中させて気を散らせてきたものの、体の方はかなり体力を消耗していた。本当は今すぐにでも自慰で出してしまいたい。風呂で一回抜くかなー、なんてぼうっと考えていたら、ぐいぐい手を引かれて寝室に放り込まれた。
え、えーと……。怒っていらっしゃる。
初めて見る怒りも顕な顔に、立ち尽くしてしまう。
「あ……あの、今日は悪かったな。代わりにバイトまで入ってくれて……ありがと、な」
それでも言うべきことは伝えないと、とおどおど口を開いた。
くっと唇を歪めて苦しそうな表情になり、ウォルターはコートをぱさりと足元に落とした。
手に持っていた俺の制服は玄関の辺りに放って置かれているのを目の端で捕らえていたから、いつもきちんと室内を整えているウォルターしか知らない俺にとっては青天の霹靂だった。
「──そうじゃないだろ」
セーターも脱ぎ捨ててからぐいを抱き寄せられ、そのぬくもりを感じただけで熱い吐息が漏れてしまう。バサリと俺の皮ジャンが床に落ち、手の平がシャツをたくし上げながら肌を撫でていく。
「あっ、んんん……っ」
やっぱり普段以上に感じているらしい。猛る中心はジーンズの下で痛いくらいに張り詰めていた。
苦しさを少しでも和らげようと、自分でボタンとチャックを開ける。
上半身を覆っていたシャツとTシャツは、ボタンを外すのも面倒なのか頭からスポッと抜き取られてしまった。
言葉の意味がわかんねえよ……。「そうじゃない」って何?
じゃあ俺、どうしたらいいんだよ……。
もう風呂は諦めて、このままこいつの手でイきたい。イかせて欲しい。そう思いを込めて、自分から唇を強請り舌を絡めた。
その時目を閉じていた俺には、相手の表情の変化に気付けなかった。
そして口付けもそこそこにベッドに押し倒され、下着ごとジーンズを抜き取られる。あっという間に俺だけが真っ裸にされていた。
「──たまたま俺が居合わせたから今ここにいるけどさ……そうじゃなかったら、あのいけすかない三人組にお持ち帰りされてたんだぜ? 浩司」
ねっとりと上から見下ろされて、羞恥に竦むどころかそれを性感に変えてしまうクスリの恐ろしさを肌で感じてしまう。
あの三人……が相手でも、俺は同じように反応してしまうんだろうか。素面なら嫌悪しか感じないのに、大した反抗も出来ずに何処かに連れ込まれて、それで。
「ほら、こんなこと言われても萎えるどころかますます先走りで濡らしちゃってさ……本当はあのまま輪姦されてた方が良かったんじゃないの?」
「んなわけあるかよっ」
怒りの中に哀しそうな寂しそうな陰りを見つけて、俺はうろたえる。
「俺はっ、お前としか……んなことできねえって、前にも」
「ああ、言ったよね……憶えてるさ。けど、こんな状態にされたらどうにも出来ないよね」
「そ、それはっ──……」
不可抗力。避けられなかった。それでも、言い訳にしかならない。
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