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第1話

 二日前の大雨が嘘のように、空は青く澄んでいた。 「だいたい、片づいたな」  高く積み上げられた木箱に座り、シオンはあたりを見渡した。  片膝に引き上げたもう片方の足首をつかみ、指揮棒代わりにしていた細い枝を揺らす。先端についた青葉がみずみずしい。 「浸水しなかったのが、よかったよ」 「地区のみんなも感謝してた」  そばへ戻ってきたレオとアランは大汗を流している。  大雨の影響で起こった洪水の後始末だ。川沿いにある貧民地区はいつも水に浸かり、木くずが押し寄せる。孤児院の仲間を動員して土嚢を積むようになったのは数年前のことだ。 「シオン! はくしゃくしゃま、来るよ!」 「しゃくしゃくしゃま! はじめて、見る!」  会話をしている三人のところへ、小さい子たちがわらわらと駆け込んでくる。興奮しきりの声は甲高く響き、シオンは肩をすくめながらの半笑いで見下ろした。 「なんだか、おいしそうに聞こえるな。ほらほら、ちょっと静かにしろ」  空気をかき混ぜるように細枝を振ると、レオとアランが動き、子どもたちを脇へ寄せた。シオンは身軽に飛び降りる。  黒髪が風に浮き、長い前髪が跳ねる。吊り気味の眉に、育ちの悪さがべったりと沁みた三白眼。頬は引き締まり、くちびるは薄い。  栄養が足りていない身体はそれでも一七五センチぐらいに育ち、質素な生成りのシャツ一枚でも貧相ではなかった。 「わざわざ伯爵さまが来るなんて、初めてだな」  軽い口調で言いながら枝を捨てたシオンは、手近なレオの肩へ肘を預ける。  子どもたちが駆けてきたほうへ視線を向けると、貧民地区の入り口に人垣ができていた。その中心に飛び出して見えるのは、馬に乗った男たちだ。遠目にも体格は立派で姿勢がよく、なにより着ているものがシオンたちとは比べものにならない。彼らは、領主が組織している私兵団の一員だ。  イゼルシキ王国のはずれに位置する国境の土地・フレイシアは、代々フレイシア伯の名を継ぐファラー家の土地で、豊かな森林と放牧地帯、そして輸送の要であるリレイ川を有している。かつては国境を守るための戦いがあり、私兵団はそのころからの伝統的な自衛集団だ。町の治安を守る警備団は下部組織に当たる。 「ほらほら、シオン。また、あいつらがでしゃばってる」  レオにもたれているシオンの肩へ、アランも肘を預けてくる。  声が示したのは、人垣を掻き分けて進む一団だ。シオンたちが世話になっている孤児院の関係者たちで、先頭を行く男は院長、あとを追って三人の女性施設員が続く。 「口から出任せで、現金をタカるつもりだろうなぁ。ろくに食わしてもくれないのに……。よくやるよ」  レオが苦々しく舌打ちする。その肩を叩き、シオンは黙ったまま、馬上の私兵団を目で追った。噂に名高い『ご領主さま』を探したが、人が群がっていて区別がつかない。 「なぁ、レオ。どれが伯爵さまだ?」  声をかけると、レオも首を傾げた。  現在のファラー家当主・アーレントは二十八歳だ。隠居を希望した両親に代わり、三年前に辺境伯となった。十八歳のころから私兵団長を務めていたこともあり、領民の信頼はあつい。  シオンが手伝いにいく川港の荒くれ乗組員さえ悪口を言わないぐらいだ。一度は顔を見てみたい。  そう思っていると、人ごみを睨むレオの声がさらにトゲトゲしくなった。 「あいつらの悪行を洗いざらい話したら、どうにかしてくれんのかな」 「簡単な話じゃない。取り潰しにでもなったら、みんなで暮らすことができなくなる」  さっきと同じように肩を叩いてなだめた。  私腹を肥やす院長や施設員たちだとしても、ケンカを売って得することはない。機嫌を損ねれば、食事はさらに質素になり、小さな子どもたちが腹をすかせて泣くだけだ。  それがかわいそうだから、シオンは二十一歳になったいまも孤児院で暮らしていた。レオとアランも成人年齢の十八歳になるが、出ていくつもりは皆無だ。院長たちは煙たがっているが、生活費ぐらいは稼いでくるので追い出されずに済んでいる。 「シオン! 来てくれ!」  人垣を離れた場所から声がかかる。救援物資を受け取った住人だ。  レオとアランに子どもたちを任せ、シオンは小走りで駆けつけた。頼まれごとの内容は言われるまでもなくわかっている。救援物資をいち早く均等に分けるためだ。 「並んで。並んで。ダメだって! まだ、持っていくな!」  我先に群がろうとする年寄りたちを押しのけ、孤児院の年長組を呼び寄せる。主に十代前半の少年たちだ。心得たもので、指示をしなくても住民たちを並ばせた。  しかし、心配性の老人は言うことを聞かず、よろめきながら近づいてくる。木箱を開けようとするのを、シオンが直接制した。 「じいさん、心配するなよ。いつも通りに分けるから。……まず、数を確認しないとな。ほら、並んでくれ」  じっと見つめてくる瞳はうっすらと濁っている。 (思い出すよな……。年末の炊き出し……)  背中の曲がった老人は、とぼとぼ歩いて列へ戻る。その背中を見ながら、シオンは寒い冬の日を思い出した。それは、ここではない世界の話だ。  八歳のころにリレイ川で溺れ、突如として『記憶』がよみがえった。  日本。横浜。日雇いの町。水野(みずの)志音(しおん)と名乗り、三十二歳で死ぬまでヤクザをしていた。その記憶は、思いがけずに鮮明で、ところどころ欠けている。  つまり、今の人生は転生後のものだ。八歳から二十一歳になるまでの十三年間、シオンは『志音としての三十二年間の記憶』とともに育ってきた。 (ということは、三十二歳の記憶で十三年生きてるんだから、俺はもう四十五ってことなるのかもな)  冗談めいたことを考える外見は二十一歳だ。目つきの悪い容姿は、前世の面影をどことなく残している。 (親を知らないのも、前と同じだ)  救援物資を配布する準備を整え、あとは年長組に任せて身を引く。住人たちはガヤガヤと騒がしく並んでいるが、揉めごとの起こりそうな気配はなかった。 「見事な采配だな」  ひと息つこうとしたシオンの耳へ、聞いたことのない美声が飛び込んでくる。腕組みをしたままで振り向き、怪訝なものを見る目で眉をひそめた。  紺色のジャケットを着た男は、シオンが見上げるほどの長身だ。 (あ、これが……。さすが……の、迫力)  美声の理由がすぐにわかり、内心でたじろいだ。しかし、態度には出ない。いかなる相手の前でも虚勢を張る。それが前世から染みついた習い性だ。 「支援物資を、ありがとうございます」  腕組みをほどき、素直な気持ちで一礼した。  視界の端にちらつくレオとアランは震え上がっている。 (べつに、首が飛ばされるわけでもなし……)  怖いもの知らずの好奇心が勝ち、めったにお目にかかれない相手をまじまじと見る。  不躾なのは百も承知だ。それでも、端麗な容姿を真正面から確認する。  噂通りの美しい金髪は光を浴びると銀にもきらめき、鼻筋のすっきりとした美形によく似合う。目元の彫りも深く、精悍な頬は引き締まって若々しい。けれど、未成熟さを感じさせるところはなかった。太い首に広い肩、分厚い胸板にどっしりとした腰まわり。  そしてなにより、驚くほど長い足をしている。 (神は、ふたつもみっつも、与えちゃうんだよなぁ)  男心を踏みにじられるようなコンプレックスを感じ、シオンはここまでだと視線をそらした。これ以上の無礼を続けると、離れて見守るレオとアランが泡を吹いて倒れてしまう。  彼らのほうへ忍び笑いを向けていると、頬に体温が触れた。

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