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第2話

 ぎょっとしたのと同時に引き戻される。 「シオンというのは、きみだろうね」 「はい。伯爵さま」  髪をひとふりしてあとずさる。慇懃無礼に、長い指先から逃げた。身分差があるとはいえ、子どものように扱われるのは不愉快だ。 「ここ数年、この地区の水害が抑えられているのは、きみの采配だと聞いた」 「抑えているというほどではないですよ」  眉根を開いて答える。八歳で記憶を取り戻してから、シオンは物怖じをしたことがない。三十二歳で亡くなるまでのヤクザの知恵が、脳裏にこびりついているからだ。 「ここは体力のない住民が多いんですよ。だから、川の水が増えてきたら、孤児院の若手で土嚢を出すことにしたんです。日頃から、そのあたりに作っておいて……」 「そうか。それもひとつの防災策だな。……シオン、きみの年齢は……? 孤児院にいられるのは成人するまでのはずだが」 「俺は二十一です。院長はいい顔しませんけど、生活費を入れているので」  話の向きが変わり、レオの愚痴が脳裏をよぎった。守銭奴な院長たちをひそかに告発すれば、孤児院での待遇もよくなるかもしれない。  みんながバラバラにならずに生活が改善される方法があるなら、試す余地がある。そう考えたシオンにに対して伯爵が口を開いた。 「どうだろう。私兵団へ入ってみる気はないか」 「はい?」  とっさに眉を跳ね上げた。思いがけない誘いに、脳の処理が追いつかない。 「きみのように聡明な人材を探していたところだ。明日にでも迎えを寄越そう」 「はぁ? いや、無理でしょ。私兵団といえば、良家のご子息様の就職先で……」 「確かに、その傾向はある」  町の自警団とは違い、辺境伯が統括している私兵団は特別な存在だ。団員になれるのは家柄も育ちも良い若者だけで、貧民地区や孤児院からの入団は聞いたことがない。  アーレントが手をあげると、副官らしき人物が合図だと気づいて駆け寄ってくる。 「オックス。彼を私兵団へ入団させることにした」 「彼を、ですか……?」  さすがに副官は冷静だ。柔和な雰囲気のなかにも、ぴりっと引き締まった生真面目さを見せ、シオンを一瞥した。 「俺は、承諾してません」  すかさず答えると、オックスと呼ばれた男の片眉が動いた。 「賢明な判断ですね」  表情と口調から垣間見えるのはシオンへの同情だ。  しかし、アーレントは気にもかけない。 「決定事項だ。あとは頼んだ」  異論をいっさい認めない声色に、オックスの表情が変わる。ふたりの上下関係がはっきりと見えて、シオンは半歩ほどあとずさった。  その腰あたりへ、年少組のひとりが弓矢のように飛んできてしがみつく。シオンが思わずよろめくと、アーレントがさりげなく手を出した。支えてくれたのは一瞬で、すぐに腰をかがめた。 「彼を私兵団へ入れようと思うけれど、どうかな?」  子どもに向かって話しかける姿は柔和で優しげだ。しかし、シオンにはうさんくさいものがあった。まるで外堀を埋めるような行為が鼻につく。それでなくても、アーレントの洗練されたしぐさは、居心地が悪い。  シオンのように根性がねじ曲がった男には、体格のいい美丈夫なところさえ傲慢に思え、いっそう気に食わない。  しかし、話しかけられた子どもは屈託なく飛び跳ねていた。 「すごーい! 大さんせい、でーす! ねぇねぇ、シオンが、しへーだん、入るって!」  大声で叫びながら、仲間のもとへ駆け戻る。聞きつけたレオとアランは呆然の表情だ。 (この強引さ……、なんか覚えがあるな。暴力団とは違うっていっても……)  降って湧いた事態に、前世の記憶がよみがえる。一介のチンピラから組織の人間になったときも、逃げ道などひとつもない強引な勧誘を受けた。  フレイシア伯アーレント・ファラーからの誘いも、それとよく似ていた。  夜になると、大きいのから小さいのまで十五人の仲間がシオンの寝室へ集まった。年長者たちが使っている四人部屋だ。  年長組は目を潤ませていたが、年少組は無邪気にはしゃいでいる。 「だからさぁ、入らないって。私兵団なんか」  ベッドに腰かけたシオンはため息をつく。昼間からずっと複雑な表情を続けているレオとアランが順番に口を開いた。 「そんなこと、ねぇよ。そんなこと」 「そうだよ……。シオンはやっぱりさ、すごいんだよ」  レオに続いて、アランもしんみりとした口調で言う。シオンは二の句が継げなくなった。  さびしいとひと言でも口にしてくれたら、それを理由に残ることができるのに、引き留めようとする仲間は皆無だ。 「私兵団ってガラかよ、俺が……」 「でも、伯爵さまからの誘いだろ? それって、すごいことだよ。こういう育ちだからできる仕事があるんじゃないのかな」 「アランは、俺がいなくてもいいんだな」  当てつけがましい言葉を投げると、アランの顔が苦々しく歪んだ。  私兵団入団は悪い話ではない。給料がよく、将来性もある。  このまま、孤児院を出て独り立ちしても、行き着く先は知れていた。  大農家で働き口を探すか、職人へ弟子入りするか。それとも、ギルドに参加して、川を行き来する商船への荷積み仕事を本業にするか。  本来であれば、成人年齢の十八歳に達した時点で考えるべきことだ。わかってはいたが、三十二歳の姑息さを持っているシオンは進路を決めきれなかった。孤児院の仲間と離れるのもイヤで、もうしばらく、もうしばらく、と猶予期間を求めてきた。 「シオン。院長がお呼びよ」  中年の施設員が寝室の入り口から声をかけてくる。シオンを取り巻く子どもたちが一斉に振り向く。施設員はどこか興奮したように言った。 「さぁ、いってらっしゃい。乱暴者のあなたに、これほどいい話が舞い込むなんてねぇ。向こうへ行っても、ボロを出すんじゃないのよ」   悪気のなさがいっそうトゲトゲしい言葉遣いだ。悪態を飲み込んだシオンは院長室へ向かう。質素な孤児院のなかでは、異質なぐらい華美な部屋だ。飴色のソファに座っていた院長が、張り出した腹をものともせず機敏に立ち上がる。 「明日は、私が送っていくことになった」 「……行くとは言ってませんけど」  うんざりして答えると、院長は大げさに両手を広げた。 「なにを、馬鹿なことを!」  いつになく馴れ馴れしい態度で近づき、とっさに逃げようとしたシオンの腕をつかむ。 「さすが、私が育てた子だ。アーレントさまに認められるとは……。素晴らしい、実に素晴らしい。ここを出ていく年齢はとっくに過ぎているのだし、是非にも入団しなさい」  それがいい、それがいいとも、と繰り返しながら、院長が手を握ってくる。汗ばんだ肌の感触に嫌悪を感じ、シオンは表情を消して目を伏せた。 「……あんたに言われる筋合いはないんだけど。金でももらってんの?」 「とんでもない」  盗み見た顔はにやつき、相当の準備金をもらったと予想がつく。 「その金で新しい布団を買ってやってくれよ。それから、小さいヤツらには、おやつも」 「よし、約束しよう。おまえが向こうできちんと働いてくれれば、今後も寄付金がいただけるはずだ。よく頑張ってくれよ」 「……寄付金って……?」  問いただそうとして、嫌気が差した。シオンはくちびるを引き結ぶ。 (やっぱり、金がモノを言う……。寄付金はどうせ、こいつらの懐へ入るだけだ。それなら、私兵団の給金を仕送りするほうがいい)  いまの日雇い仕事よりも実入りはよくなる。迷う余地はない。

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