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第1話 面談はめんどくさい
かゆい。足の裏がとにかくかゆい。
佐野湊人 は机の下でこっそりと革靴を脱いで、右の足裏を左のつま先にこすりつけた。
人体というのは不思議だ。
どうしてこう、なかなか身動きの取れないシチュエーションだとどこかがムズムズし出したりするのだろうか。
今は退職面談という、超シリアスな場面だというのに。
できるだけ神妙な顔つきを保ったまま、ヒアリングした内容をPCに打ち込んでいく。
「──有給を消化して、再来月の末日付けで退職をご希望ということですね。具体的な引き継ぎに関しては所属の部署で交渉してください。まあ、万一揉めたりしたら人事まで連絡をお願いします。……あ、あと、退職理由を聞かせてもらうことってできますでしょうか?」
ちら、とPCから目を離して目の前の男──退職希望者の今川優哉の顔を見る。
今川は首の後ろに手を当てながら「やー、退職理由ねぇ。意外と直球で聞かれるんだなぁ」とニヤニヤしながら答えた。
「これって、正直に答えた方がいいの?」
あたりまえだ。
退職理由くらい、誠意を持って答えてくれ。
佐野はにっこりと笑ってエンターキーをパンと叩く。
「もちろんです! 上がガミガミうるさいんで、差し支えない範囲で教えてもらえると助かります」
「なんていうかなぁ──チャレンジ精神?っていうのかな。十月電気で今まで身につけてきたスキルを、もっとでかい会社で試してみたくなったんだよな。十月電気の仕事はどうしても中小企業相手の仕事が多いから、もっと規模のでかい案件がやってみたくなったっていうのが、最大の理由かな?」
──出た。チャレンジ精神。
もったいつけたわりに、出てきたのは退職面談あるあるフレーズだ。
思わず笑い出しそうになりながら、PCの【ヒアリングシート】の退職理由の欄には「あるある理由その①」と記入しておく。
「あとはやっぱり教育かな? やっぱり大手のスキルアップのサポートはかなり充実しているって聞くし……エンジニアとしてもっとスキル付けて、自分の市場価値を高めて行きたいんだよね。最近はAIの進歩もすげえしさあ。より学びの密度の高い数年間を過ごしたいっていうか?」
「そうですか」
「それに昨年は子供も産まれたし、率直にいうと年収アップも魅力だったかな?」
「そうですか」
魂のこもらない相槌を続けながら、かゆくてたまらない右の足裏を延々と左のつま先に擦り続ける。これが木と石なら、そろそろ火おこしができているだろう。
「ウチは残業代は出るけど、基本給低いから、やっぱコスパ悪いなーって?」
「そうですか」
面白いほどあるあるの理由ばかりで、佐野は若干うんざりしてきた。
やたらと語尾に「?」をつけてくるのも気になる。癖なのだろうが、質問しているのはこちらなのだ。
それとも、と佐野は思い直す。
今川自身も「なぜ退職をするのか」ということに対して、正確な答えは持ち合わせていないのだろうか。
とにかく十月電気から出たくて、転職を決意しただけなのかもしれない。
さもありなん、と内心でため息をつく。
それほどまでにここ十月電気の現状は冴えない。
一部上場している老舗のIT企業といえば聞こえは良いが、社内の制度も社員のスキルも到底今のIT市場にマッチしているとはいえない。
元はPCや携帯電話を作る中規模のメーカーだった十月電気が、企業向けのシステム開発の会社──いわゆるSIerとして生まれ変わったのが十五年前。業界の中ではずいぶん出遅れての転身だったと言われている。
他社よりもノウハウが欠けているぶん、〝低コストで企業のニーズを細やかに捉えたシステム開発〟を強みとしてして押し出すことで、なんとか中小企業相手のIT市場に食い込めている。
一方で、業務においては密度コンサルティングの要素が強く求められる傾向があり、社員の負担は大きくなるばかりだ。
外資ほどの待遇も、日系大手ほどの教育も得られない十月電気での会社員生活は決して楽ではない。
「──あとはまあ、新しい環境で自分の力を試したかったっていうか?」
今川の退職理由がループしてきたあたりで、佐野はもう一度エンターキーをパンと叩いた。
もうそろそろ、話を切り上げてもいいころだ。
「ありがとうございます。理由はよくわかりました。……ここだけの話、今川さんみたいに率直にご意見を聞かせてくれる方ってなかなかいないので、大変勉強になります!」
そう言ってペコリと頭を下げると、今川が得意げな顔をする。
別にこの程度の内容など珍しくもないが、とにかく退職希望者との面談は丸くまとめるに限るのだ。
「そおかー? まあ、最後くらいは誠実にやんないとな? なんやかんや、十月には恩があるし……」
「そういっていただけると、人事としても嬉し──」
言いかけたところを「あのさ」と今川が遮ってくる。
「人事としてっての、やめない? 俺ら先輩後輩同士じゃん」
──出た。
今川は佐野と同じ大学の出身だ。学生時代は知り合いではなかったが、入社してからは同じ大学出身の社員がいるのを珍しがって、今川から声をかけてきた。二、三回なら飲みに行ったこともあるし、社内で会えば雑談くらいはする仲だった。少々マウント癖はあるものの、普通に話しているときは問題ない。
今みたいに先輩ムーブをかまそうとしている時が、黄信号なのだ。
ぶっちゃけ言うと、めんどくさい。
「あー、あはは。すんません」と中途半端な敬語で答えると、今川がぐいと机越しに身を乗り出してくる。
「佐野ちゃんはさ、転職とか考えないの?」
余計なお世話だ。
佐野はにっこり笑って切り返す。
「考えてないですね」
「ええ? マジぃ? 元々佐野ちゃんってエンジニア志望でしょ? それなのに、人当たりがいいからって、わけわからん理由で人事部に配属させられてんじゃん? コミュ力あるし、見た目もいーし、管理部門なのにITも詳しいしさ。外資ITの営業なんかいいと思うぜー。インセンティブでがっぽがっぽよ」
「いいんですよ、俺は。十月、気に入ってますから」
さらりと答えると、今川がムッとした顔をする。
しまった、と思ったがもう遅い。案の定、今川はめんどくさい先輩モードに突入した。
「んだよ。お前さ、まじでそんなんでどうすんの? 今は人事部とはいえ、ITやりたかったんだろ? いくらなんでも向上心無さすぎねえ? IT業界は学歴不問でがんばりゃいくらだって上に──」
今川のあまりの勝手な言い分に、さすがの佐野もカチンとくる。出ていくものは責められこそすれ、どうして残る側の佐野がこの場で責め立てられなくてはならないのだろう?
向上心やらチャレンジ精神やらという言葉があれば、身勝手な行動をしても許されるとでも思っているのだろうか。
だが、そんなことを言っても、逆ギレされるか、SNSで炎上させられるのが関の山だ。今川のようなタイプはこの会話を録音している可能性もある。
仕方なく、一番わかりやすい言葉を頭の中から探し出す。
今川のような男が納得でき、かつ佐野にとっても嘘ではない理由。
今川の反感を買わないように、ヘラヘラした笑みを顔に貼り付ける。
「──俺、意外と単純なんで、人事にやりがいとか感じちゃってんですよね。やってみたら意外と面白かったって言うか?」
「はあ? マジで何言ってんの?」
「マジですよ。こうやって、退職理由とかも聞かせてもらえますしね。今川さん、立ち話じゃ教えてくれないじゃないですか〜」
「当たり前だろ! 聞かれたらどうすんだ!」
「あ、まあそっか? じゃあ、でも、役得って感じですよ。先輩がやめちゃう理由わかんないなんて、寂しいじゃないですか」
そう言ってにっこり微笑むと、今川は毒気を抜かれたような顔になった。
「お前って、変なやつだったんだな……」
「そおですか?」
「もう少し要領いいタイプだと思ってたよ……。まあ、十月が嫌になったら声かけてよ。リファラル使えるかもしれないしさ」
あくまで十月よりも転職先の方がいいと言うスタンスにややうんざりしながら、「ありがとうございます」と頭を下げた。
その後は形式通り、手続きの案内をして退職面談は無事終了した。
ひとり残された会議室の中で今川の得意げな物言いを思い出し、毒づく。
「リファラルねえ。あああ、うぜー……」
リファラルというのは外資系のIT企業やコンサルティング企業にある紹介制度のことだ。
社員の紹介があれば、受験者は簡略化した専攻フローなどの恩恵を受けられるらしい。おまけに紹介者である社員には数十万の報奨金が入るという噂もある。
こういう制度は、いかにも合理性を重んじる外資らしい。
佐野は、はあとため息をついた。
確かに、十月電気は時代遅れの企業かもしれない。他の企業に行けば、待遇アップもスキルアップも望めるだろう。
けれど、自分にはどうしても、十月電気でやっておきたいことがあるのだ。
そんなことは、今川のような人間に言っても理解されないに違いない。
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