49 / 49
6. ICONOCLAST/廃棄(8)
「馬鹿、もう――考えンな」
四つん這いになって覆い被さる。
目が、丸く見開かれて、イオリの姿が映った。
「イオリは、考えなくて……いい、から…とにかく」
腕を掴まれる。
ムサシの手が震えていた。
「うん……だから、無理、だよ」
腰に跨がって、胸に耳を当てる。
早い。すごく、力強い。
身体中を血が流れる音がごうと聞こえた、気がした。
「何、して……」
「……僕は…ムサシの言うこと、聞かない」
「ッ……イオリ、てめぇ」
掴まれた腕が軋む。
痛い――けど
笑った。
もう、謝れない。
「――お前を守ったのは、俺だろッ!」
ひく、と口角が強張った。
「……それ、言いたかっただけ?」
ムサシが無理矢理身体を起こし、短く息を吸った。
「極道舐めてンのか! ああ⁉」
ビリビリと鼓膜が震える。
次の瞬間、ムサシの顔が引き攣って
イオリは目を逸らさなかった。
「――なんで、こんな」
落ちたムサシの片手を、イオリは掴んだ。
腕は、動かなかった。
「違ぇ……ンな…言いたく、なかった……のに」
「――やっと」
こんなに骨が太くて、筋張って。
「少し、だけ、……ムサシの…何かを、壊せた」
息を吸う。
「生きてて、よかった」
指が、形をなぞっていた。
逆の手が徐々に痺れてきた。ずっと離れない、熱。
「……わかんねえよ、イオリ」
「…うん……」
「……滅茶苦茶…だろ」
ムサシの目が、潤んでいた。
どくん、と心臓が大きく脈打つ。
頬が熱い。
背中も、つま先も、熱い。
……なんだか、
きもちいい。
「先生に、訊いたら……わかるかな?」
「駄目、だ」
ムサシの上に、イオリは崩れ落ちた。
背中に、重み。
両腕で抱き締められている。
「……真壁さんに、言ったら」
「…それも、やめてくれ」
「僕が、何を訊くと思ったの」
太い首筋に顔を埋める。
声が、骨を震わせた。
「知ら……ねえ、けど」
「……けど?」
背中を捕らえる力が、強くなった。
「やめ、ろ」
「…――へへ……」
「……イオ、リっ」
大きな身体が、震えている。
イオリを乗せたまま、抱き締めたまま。
ムサシの身体の上から、ずるりと降りる。
腕の中に収まって、背中を向けた。
イオリの腕に、赤い痣が浮かんでいる。
それを隠すように、ムサシのもう片腕が被さった。
「ねぇ、ムサシ。僕……どこも、怪我してない」
「……ッ」
「――……あり、がと」
細かな震えと、押し殺す息。
指先で、ポケットの中を探る。
細いケーブルの片方を首の後ろに垂らし、左耳にイヤホンを差し込んだ。
音。
海の音が流れ込む。
「ムサシも……聞く?」
覆い被さっていた腕が、退いた。
髪と一緒にコードが弄られる。首筋が、擽ったい。
「……波…」
ムサシの声が、ぽつりと落ちた。
「ヒーローって、傷だらけだね」
背中でムサシが、鼻を啜った。
「……お前も」
「…僕、は――……」
ムサシの指が、また、手首に食い込んだ。
浮かんだ言葉が、喉につっかえて、弾ける。
「イオ、リ……」
「……ん…」
勝手に指が、跳ねた。
熱い。
波を聞きながら、身体を抱き寄せられた。
「……――すき焼き」
「……え……なに」
耳に、首筋に、呼吸が触れる。
「お前んちで……また、食べたい」
「……何、急に。『また』って」
「憶えてねえの」
「……――て、る……よ」
イオリは、肩をもぞりと揺らした。ムサシの腕は一瞬緩んで、またキツくなる。三年、いや、四年前に抱きしめあった時とは全く違う腕の太さと、男のにおい。
「初めて家に呼んだときの……夕飯、でしょ」
「ん……」
「うちで?」
「ん」
「だれも、――居ないよ」
言葉にすると、胸が痛い。
目尻から涙が滲んで、こめかみへ流れた。つんとした痛みが鼻の奥に広がる。
「……」
「それに……鍋、パパが……しまって、何処にあるのかわかんない」
「……俺も一緒に、探す」
「――ママが、味付けに何使ってたか、知らない」
「いい。違くて。お前の味で」
海の音を、互いの声が覆い隠す。
「それに、誰もいなくねえ。……俺、居るから」
あ……そうか。
――大事なことを、昨日から今まで忘れていた。
「……ムサシ」
「ん」
「また……会えて、よかった」
擽ったい。ムサシが、何かを探すように手を開き、イオリの腕をなぞっていた。
「ああ」
ムサシの手を捕まえる。
「……君が生きてて、よかった」
ともだちにシェアしよう!

