48 / 49

6. ICONOCLAST/廃棄(7)

 は……は……と、ムサシが呼吸する音が室内を満たしている。  イオリが転がる床は、硬かった。手と膝を突いて、立ち上がる。  ブラインド越しの光が、唯一の光源だった。  ムサシの腰に、ガーゼを押さえるように包帯が巻かれていた。  裸の胸が、呼吸と共に上下に動く。  目を瞑って、浅く顔を顰めていた。  涙を拭う。  足が、前に進まない。背中が壁にぶつかった。  これ以上、近付けない。  外で、車の音が遠ざかっていった。 「……何で、ンなとこ…立ってんだよ」 「――べ、つ……に」 「椅子……無ぇ、か。ベッド、座って」  ムサシの左手がふらりと上がって、また落ちた。 「いい、立ってる……から」 「よくねえ、よ」 「……僕はいいから、も……寝てなよ」 「……――リ、が  また、朝……みてえなこと、したら  困る、だろ」  息が、止まった。 「――え、あ」 「あれ……何、してた……」 「あ、あれっ、て」  はぁ、とムサシが息を吐く。  顔を上げ、眉を寄せて、イオリを睨む。  でも怒ってはいない、ように見えた。 「…俺の、シャツ……引っ張ってた、ろ」  鍛えられた胸が、大きく上下に喘ぐ。 「その後、部屋、出てって」  イオリの心臓が、今にも爆発しそうになる。 「……若は、オナ……、言うし」  顔が熱い。頬も耳も。首筋がゾワゾワする。 「あれは……ムサシにも、入れ墨…あるの、かなって」  拭いた涙が、また溢れそうになる。全部は、言えなかった。 「あー……まだ…ねえ」 「うん……今、全部…見えてる、から」  まだ、無い。  いずれこの腕や胸、背中に、色鮮やかな入れ墨が入るのだろうか。  ――いや。  胸の中に、苦くて重さのない何かがみるみる膨れ上がって、イオリの口を吐いた。 「ゴメン……僕、気持ち悪いこと、した」  朝も、ついさっきも。  服の裾を、手の中に握り込む。 「本当、は……入れ墨…だけ、じゃなくて」  目を瞑る。自分の鼓動が早すぎて、時間を置き去りにしている。 「ムサシの――……」 「…イオ、リ…」  手が勝手に跳ねた。 「――なぁに」  視線に、瞼をひらく。  首の後ろが、むず痒くなった。 「逃げ、ろ」  ――にげろ。 「……え…」 「え、じゃ……ねぇ」  ムサシが首を捻り、険しい表情で睨んだ。  もういくら睨まれても、昨日のような居心地の悪さは無い。  今のゾワゾワは、もっとイオリの内側にあるものだ。 「今なら……逃げられンだろ」  ムサシは、朝のことを、もう追求しなかった。  安堵すべきなのに、胸から棘が生えてきそうだった。 「君、こんな状態、なのに?」  床に張り付いていた足が、上がった。 「俺は、……関係無ぇ」 「僕を庇ったから、怪我……した、のに?」 「……それは、俺の…仕事だから」  唇が、ぎこちなく笑う。眉尾が下がる。  ムサシの横たわるベッドに、座った。身体を捻って、向かい合う。 「無理でしょ」 「なんでッ――あ、ぐ」  あっ、と手を引く。  右手が、ムサシの傷口の上にあった。 「ご、ごめんっ」  荒い息遣いが繰り返される。  包帯の上からでも、熱い。  柔らかかった。 「……逃げた方が、良いのかな」  首を傾げてみる。ムサシの拳が目に入った。 「当たり前、だろ……お前、このままじゃ」 「僕は、足手まといだよね」 「ちげ……ッ」 「殴ったりバッて動いたり、できないや。でも……」  身体を寄せる。太腿と腰がぶつかった。  酸っぱい味が舌の奥に甦る。 「逃げろってさ、見捨てろって……事じゃん」  さっきの柔らかさが、まだ指先に残っている。  手が震える。    あれ。  僕の息は、いつからこんなにうるさいんだ。  止まらない。

ともだちにシェアしよう!