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第2話 サヴァンならば
「うーん、この道も違ったのか……」
ひたすらに続く大理石の回廊を歩ききり、目の前に現れたのは絢爛豪華な壁画。
建国の皇帝・ヨーク公の活躍を描いたもの――らしく、立派で結構なのだが、皇宮の正門を目指している自分にはなんの価値も持たない。
くるりと壁画に背を向けて、来た道を引き返そうとしたその時、右手から弾むような足音が聞こえてきた。
「長官 !」
男は、サヴァンの正装である裾の長く白いマントをはためかせ、恨めしげな顔をする。
ゼエゼエと息を切らせているその人物は、シャリオールのかつての部下であるキースだ。
「あなた……っ、道を覚えていないくせに、どうしてそうスタスタ歩くんですかっ」
シャリオールは「ああ」と明るい声を出してから、得意になって口を開く。
「それはね、どうせ迷うから早めに歩いた方が効率よく抜け出せるかと思って。じっさい、このあいだはいつもより早く出口に出られたんだ」
「シャリオール様……!」
キースががっくりと呆れたようにうなだれる。
心外なその反応にシャリオールはむっと眉根を寄せた。
「なんだ、その反応は?」
「いえ、なんでもありません……、じゃなくて!」
がばりとキースが身を起こし、シャリオールの肩を両手でつかんだ。
「なんなんですか! 陛下からのあの縁談はっ」
「その話か」
「決まっているでしょう! あんな急に縁談を持ってこられて、長官はどうお思いなんですか! 陛下の弟となんて断りようがないではないですか!」
「しっ」
ビタン!とキースの口元に手のひらを押し当て、キョロキョロと周囲を見回す。
サヴァンたちは皇帝の信頼厚き側近ではあるが、皇宮の敷地内で不用意な発言は慎むべきだ。
周囲に人影がいないことを確認し、キースに向かって声をひそめる。
「……縁談の件は、率直に言ってびっくりだ」
「びっくりって……。 もっとこう、あるでしょう! 虚しさとか、怒りとか……!」
――虚しさ。怒り。
シャリオールは「うーん」とうなって腕を組む。感情の箱をひっくり返してみても、どちらのカードも見当たらない。
「残念ながら、ないな」
あっさりと言うと、キースは正体不明の化け物を見るような目つきになる。
シャリオールは肩をすくめて、困った顔のまま笑みを作った。
「ないんだよ。結婚をすれば、家を出ても路頭に迷わなくて済むのがありがたいくらいだ」
「そんな……。あなたの意思はどうなるのですか! あなたほどの人なら、サヴァンでなくたって、この国のために、民のためにと立派に生きてゆかれるはずです」
菫色の瞳に熱をこもらせて、キースがずいとこちらとの間合いを詰めてくる。
しかし、シャリオールは後ろに一歩後ずさって、その真っ直ぐな視線から目を逸らした。
国のために、民のために。
その言葉を反芻して内心でため息をついた。
――買い被りだ。自分はそんなによくできた人間ではない。
哀れなキースは、慕っている相手の正体も知らず、怒り、悲しんでくれている。
シャリオールは目を伏せたままキースの手を取って、その手を何度かさすってやった。
「――どうか憐れんでくれるな。私が能力を失い、サヴァンでいられなくなったことはきっと天命なのだ」
核心に触れたシャリオールの言葉に、キースがハッと息を呑む。
二人して押し黙ると、どこからか優雅な調べが聞こえてきた。
きっと、皇都の春の祭りである華陽祭に向けた皇宮音楽団の練習だろう。
シャリオールは懐かしさで目を細めた。
「そうか、今年は祭りがあるのだったな……」
戦乱で長らく自粛されていた華陽祭は、今年、五年ぶりの開催と相成るらしい。
皇国は本来、文化に富んだ豊かな国だ。
肥沃な大地で育まれた農作物や、国境沿いの山々から生み出される鉱物資源は、国内のみならず国外へも輸出され、莫大な利益を生み出している。
そして、そうした取引の要衝として発展した皇都はこの百年周辺国のどこの都市よりも栄えているのだ。
だが、皇国の繁栄に寄与したのは自然や地政だけではない。
歴史を紐解けば、不思議な力を天より授かった異能力者たちが、随所で皇国の発展に大きく貢献してきたという特殊な事情がある。
そして、異能力者の中で、特に重宝されてきたのはサヴァンと呼ばれるものたちだ。
サヴァンは、簡単に言えば超記憶の持ち主で、見たもの聞いたものを完全に記憶し、それを自在に取り出すことができる。
もっとも、サヴァンの能力にも優劣があるため、全ての事象をムラなく記憶できるサヴァンはかなりまれだ。
ゆえに優れたサヴァンは皇宮に招聘され、皇帝の側近として皇帝の“記憶そのもの”として働くように求められるのだ。
そしてサヴァンとしての能力は、通常、生まれてから死ぬまで一定のままだ。
ほんの一部の例外を除いては。
「落ち着いたか? キース」
重ねた手のひらをそっと離しながら、穏やかに話しかける。
キースも幼いころから非常に有望なサヴァンで、わずか7つの時に皇宮に招聘されて以来、シャリオールたち年上のサヴァンと共に育ってきたのだ。
サヴァンとしての力は秀でているのに、すぐに視野狭窄に陥るのはキースの悪い癖だが、すっかり慣れてしまっている。
皇宮の外の人間との関わりを最大限絶って生活するサヴァンたちにとって、お互いは同僚でありながら友人であり、同時に家族のような存在なのだ。
「申し訳ございません。お辛いのは長官のほうなのに」
その言葉にシャリオールはぴくりと動きを止めた。
(――辛いのは私の方、か……)
仄暗い屈辱と罪悪感を振り払うように、キースに笑いかける。
「私は良いのだ。天は私を見放したが、皇帝は拾い上げてくれた。名誉なことではないか。それに、陛下の弟君となら上手くやってゆけそうな気がする」
「そうだと……よいのですが。陛下の弟君は、ずいぶん皇帝とはタイプが違うそうでして」
「そうなのか? それは朗報かもしれないぞ。陛下に似ていたら、こちらは振り回されるばかりだ」
「そうかもしれませんね。我らが主君はエネルギーが有り余りすぎているから」
キースが苦笑しながら答え、シャリオールの手を引いた。
「先ほどは、本当に申し訳ございませんでした。皇宮を出るのなら、ご案内いいたします」
「……ありがとう」
サヴァンとして生きていた頃なら考えられないことだが、今のシャリオールには広大な皇宮を迷わずに歩くことはどうしても難しい。
情けないような、喜ばしいような気持ちでキースの後をついて行きながら、そっとため息をついた。
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