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08.テスト勉強

 夏の気配がすぐそこまで来ている、ある日の放課後。  日課のように叶多を迎えに来た蓮は、彼の机に広げてある教科書やノートを見て目を丸くした。 「あれ。牧ちゃん、帰んないの?」 「テスト勉強してから帰る」  蓮の問いかけに、叶多はペンケースから筆記具を取り出しながらなんてことないようにそう答える。  その言葉を受けて、期末テストが約一週間後に控えているのを蓮は久しぶりに思い出した。  そんな蓮を気に留めることなく、叶多は黙々とノートに向かう。 「…………」  蓮は僅かに逡巡すると、自分の背負っていたカバンを叶多の後ろの空いている席に置いた。 「じゃ、オレもしよ。牧ちゃん教えて」 「……は?」  面食らった叶多が、胡乱気な顔で振り返る。  しかし蓮は勝手知ったる顔で席につき、カバンをごそごそと漁り始めた。 ——  少しずつ人がまばらになっていく教室。外から聞こえてくる部活動の音を背景に、椅子に横向きに座る叶多はちらりと蓮の手元に目をやった。  叶多のノートを自分のノートに書き写している蓮の文字を眺めていた叶多が、不意に口を開いた。 「……字、綺麗だな」  ぴたりと、蓮の手が止まる。  蓮は顔を上げ、頬杖をついて持っていたシャーペンを片手で器用に回し始めた。 「これでも小学生のとき習字やってたんだよね〜」 「へぇ」 「まぁ半年だけだけど」 「じゃあ、元から字が綺麗だったんだな」  蓮のノートに目を落としながら、叶多がそう呟く。  思わず固まった蓮の手から、取りこぼしたシャーペンが机の上に滑り落ちた。  習い事していたが実はそれは半年だった、と言うと大抵の人は「短い」と笑う。これはもはや蓮の鉄板ネタで、今回も叶多は「短いな」と笑ってくれると思っていた。  しかし叶多は、蓮の字そのものが綺麗だと言った。  なんとなくむず痒いような感覚に襲われた蓮は、それを誤魔化すように落としたシャーペンを再度手に取った。 「半年で辞めたの、親の都合で転校したからなんだよね〜」  言い終えてから、蓮は内心で後悔する。  ——なんでこんな事を言ってしまったんだろうか。いつもならここまで言わないのに。  ちらりと叶多の表情を窺い見ると、彼はいつもと何ら変わらない無表情で「そうか」とだけ返す。  無闇に踏み込んで来ない叶多に安心すると共に、もう少し違う反応を期待していた自分にも気が付いてしまう。  話を変えるかのように、蓮は叶多に向かって手を差し出した。 「……牧ちゃん教科書見せて」 「いや自分のは」 「取り行くのダルい」 「すぐそこだろ」  そうぼやきながらも、叶多は自分の教科書を蓮に手渡す。  平静を装いながらページをぱらぱらと捲っていた蓮は、不意に目に飛び込んできた落書きにその手を止めた。 「牧ちゃんも教科書に落書きとかすんだな」 「あ? どれ」 「これ」  身を乗り出して、叶多は怪訝そうに蓮の指差す所を覗き込む。  教科書の隅。恐らく鉛筆だろうか、人だと思わしき絵が小さく描かれていた。 「……これ、俺じゃねぇ。弟」  叶多の眉間に寄っていた眉の力が、ふっと抜けるのがわかった。  蓮は目を丸くする。 「弟? 牧ちゃん、弟いんの?」 「いる。小学生。この前俺のカバン漁ってたから、その時かも」 「そんで兄貴の教科書に落書き?」 「そう」  ふっ、と叶多の顔が綻んだ。 「可愛いよな」  慈しむような、それでいて少し得意気な。  初めて見るその表情に、蓮はほんの一瞬だけ息を詰まらせた。 「…………うん。可愛い」  ぼんやりと見つめる蓮に気付いたのか、叶多が居心地悪そうに居住まいを正す。 「……何?」  訝しむようなその声に蓮ははっと我に返り、「何でもないです……」とざわつく胸中を誤魔化すように力なく首を振った。 ——  空の色がじわりじわりと変わり始めた時刻。  そろそろ帰ろうか、と帰り支度をしながら、蓮は叶多がほんの僅かにそわそわしていることに気が付いた。 「……どした?」  不思議に思った蓮が叶多に声をかけると、叶多は気まずそうに視線を彷徨わせながら薄く口を開く。 「……いや、なんか…………ごめん」 「え、なんで!?」  突然の謝罪に、蓮は素っ頓狂な声を上げる。  叶多は俯いた。 「……ちょっと前に『遊んでる?』って、疑ったやつとか……俺が一方的にキレたやつとか……色々……」  少しずつ、叶多の声が小さくなっていく。  蓮は「あ〜……」と呻くような声を溢しながら頭を掻いた。 「いやでも、牧ちゃんの反応が可愛くて絡んでたのは本当だし……」  蓮がそう言い淀むと、顔を上げた叶多が口を尖らせる。 「は? 何だよ謝って損した」 「待って待って! 違うって!」 「何が」  叶多と真正面から視線がぶつかった。  不意に、叶多と喧嘩した日のことが思い起こされる。あの時は雰囲気も重苦しく、叶多の面持ちは嫌悪に近いものだった。  しかし今の叶多は、蓮が話すのをじっと待ってくれている。いつも細められているつり目の瞳が、真っ直ぐ蓮を捉えている。 「……素直で可愛いな、って」  無意識に口から溢れた言葉に、一番驚いたのは蓮自身だった。  さあっと血の気が引く。また叶多を怒らせたかと蓮は内心で慌てるが、意外にも叶多は僅かに顔を歪めるだけだった。 「……お前、何でも口に出すのやめろよ」 「え!?」  気分を害したかと蓮は一瞬焦ったが、目を逸らす叶多のその表情は嫌悪というよりも、まるで——照れてるような。  再び、胸がざわつくような感覚がする。何か言おうと蓮は口を開くが、胸中に渦巻く言葉は何ひとつ声にならず、力なく口を閉ざす。 「…………」 「さっきから何なんだよ、お前……」  言葉を失ってぼんやりとする蓮に、叶多がひどく怪訝そうな表情を浮かべた。  蓮は力なく両手で顔を覆う。 「今日はもうダメかも……」 「勉強しすぎじゃね」  

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