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ワイン

『お酒、飲んだ事ない。飲む機会が無かったから』 『そっか。じゃあ、いきなりワインは飲みにくいと思うから、今度、弟が好きなフルーツの軽めのお酒持っていっていい?』 『別にええけど。一緒には飲めへんで?』 『わかってる。けど、新しい体験も楽しいやろ?』 このメッセージを送ってから、空くんの返信がピタッと途切れた。 「……なんやろ。俺、なんか地雷踏んでしもたやろか」 リビングのソファでスマホを握りしめたまま、嫌な汗が背中を伝う。 『持っていく日いつがいい?』 待っている間の数分が、まるで何時間にも感じられて、ソワソワと落ち着かない。待ちきれずに焦って、さらに次のメッセージを追撃で送ってしまった。 5分経っても、10分経っても、なかなか既読がつかへん。 俺、やっぱり間違えたかな。少しだけ上手くいきかけてると思って調子に乗って、馴れ馴れしくしすぎたんやろか。悪い癖が出てしもたかと、胸がギューッと苦しくなった──その時だった。 『ずっと家おるから、いつでもいい』 30分ほど経ってようやく返ってきた文字に、ホッと心底安堵した……のも束の間。 「……あ。確かに、そうか」 空くんからのメッセージをもう一度見つめて、俺は我に返った。 野中さんには「次に行く日は空くんと決めます」なんてカッコつけて言うたものの、空くんの言う通り、ずっと家におるんやもんな。「いつでもいい」っていうのは、引きこもりの空くんとっては当たり前なんや。今までにないことすぎて、完全に盲点やった。 『じゃあ、兄貴の幼馴染がお酒を持ってきてくれたら、すぐに持って行くね』 おやすみのスタンプと共にそう送って、既読になったことを確認したのとほぼ同時に、玄関のドアがガチャリと開く音がした。 「ただいまぁ~、疲れたぁ~……」 洸くんがリビングに入ってくるなり、力無く床にパタッと横たわる。ほんま、どんなに疲れ果てて床に転がってても、この子はいつでも可愛い。 「お疲れ様。ご飯用意しよか?」 「ううん、今日は店長の差し入れでお弁当食べられたから大丈夫。それより……これ、なに!? 美味しそう!」 床からむくりと起き上がった洸くんが、もとちゃんの持ってきてくれたお酒が沢山入った箱を見つけるなり、目を輝かせてそこに駆け寄った。 「秀太がもとちゃんに押し売りされたらしいわ。さっきもとちゃん来ててな、洸くんに会いたがってたで?」 「そうなんや。……でも、あの人ほんま健気やんな。秀太にぃにずっと片想いしてるのに、気持ち伝えんと友達貫いてるんやもん。見てて切なくなる」 「……は?」 何それ。 俺、ぜんっぜん、これっぽっちもそんなん気づかんかったんやけど。 「え、気づかんかったん? ほんま弦は鈍感やな。俺、小1の時から気づいてたけど」 「いや、それは早すぎやで、洸くん」 小1で小6のガチ恋を見抜くとか、我が弟ながらおそろしい能力である。 洸くんは箱の中から、一番高そうなワインを慣れた手つきで引っ張り出すと、俺の分もグラスにトコトコと注いでくれた。ほんま、いつの間にワインなんか流暢に飲めるようになってん。お兄ちゃん、びっくりすることだらけやわ。 「で? 空くんと進展あった?」 グラスを片手に、洸くんが上目遣いで聞いてくる。 「あ、さっきな、ワインの話したら『お酒飲んだことない』言うてたから、今度フルーツ系のお酒を差し入れすることになった」 「え! すごいやん! それって空くん公認で家に行っていいってことやろ? 流石弦やわ、こんなに早く空くんが受け入れてくれるなんて思てなかった!」 洸くんがパチパチと丸い目を輝かせて、俺のことをべた褒めしてくれる。ほんま、今日はお兄ちゃん嬉しいことだらけで、幸せハッピーマンやで? 「でもな、さっき返事に30~40分くらい間が空いたから、嫌われたかと思ってめっちゃ焦ったわ」 「んー、さっき俺が空くんの家の前通った時、お風呂の匂いしてたから、ちょうどお風呂入ってたんちゃう?」 「お風呂の匂い? そんなん外までするん?」 「うん。俺、この時間に仕事帰りでよく通るから、『あ、いつもこの時間にお風呂入ってんねんなー』って思いながら通るよ」 その言葉に、胸がドクンと跳ねた。 「それって……当たり前やけど、空くん、ちゃんと部屋から出て動いてるってことやんな。ていうか、俺が前にクッションを敷いてあげた日も、夜に何か用事で外に出たって事やんな?」 「……うん。ガッチガチの完全な引きこもりじゃないってことはさ、案外、次くらいで部屋の中に入れてくれるかもやで?」 「ほんまやな……! すごいわ洸くん、ええ情報ありがとう!」 「俺たちバディやからな。弦なら大丈夫! 頑張ろな、弦」 仕事でクタクタに疲れてるはずやのに、俺のためにそんな満面の可愛い笑顔で励ましてくれる。もう、可愛くて仕方ないわ。 「で、次いつ行くの?」 「空くんはいつでもええって。やから、野中さんのスケジュール聞いてみて、合わせようかなって」 洸くんにスマホの野中さんからのメッセージ画面を見せると、「はいはい!」と何故か急に元気に手を上げ始めた。 「俺、来週の水曜、2時から美容室の研修やから、午前中一緒に突撃できる!」 「ええやん、洸。空くんと年齢近いし、行ったら話合うかもやで?」 「ううん、まずは弦が部屋に入れてもらえるかどうかを俺が見届けるから! 俺は新さんとリビングで待機してる」 「ほんま、洸はちゃっかりしてるんやから」 まぁ、こんなに洸が楽しそうにしてるならええやろ。きっと空くんも、俺みたいな奴より、可愛くて歳の近い洸くんとの方が、いつかは仲良くなれるやろしな。 ──そして、水曜日の午前11時前。 『今から行くね』と空くんにLINEを一本打ってから、俺と洸は蜷川家のインターホンを押した。 「おはようございます!」 「おはようございます、新さん!」 「え!? おはようございます。……洸さんも、ご一緒ですか?」 野中さんが目を丸くして驚いている。俺は確かに目にした。洸の姿が視界に入った途端、野中さんの端正な口元が、嬉しさを隠しきれずにフニャッとニヤけたのを。 こっちはこっちで、ええ感じに行ってそうなら、お兄ちゃんは何も口出しすることは無いな。 「空くんは、もう起きてますか?」 昨日もとちゃんがお店から届けてくれたばかりの、フルーツの弱めのお酒と、飲めなかった時用にとおまけにくれた果汁100%のジュースが入った紙袋を持ち直す。 「はい。さっき、空になった朝の食器が部屋の外に置いてあったので、そのまま起きていらっしゃるかと」 「わかりました、いってきます!」 「はい、本日もよろしくお願いします」 よし。洸と新さんの視線を背中に受けながら、俺は空くんの部屋に向かった。 今日こそ、あのドアを、少しでもこじ開けてみせる。そう、気合を入れ直した。

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