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第3話 酔いと同衾
二人が疎遠になるきっかけとなった日のことを思い出し、太河は言葉が出せずにいた。だが、少ししてからある疑問が脳内に浮かんでくる。
キスしたことと今、恋人がいないことは何が関係しているんだ……?
確かにあの時は太河が悪かった。多分、凪にとってファーストキスだっただろうし、彼女ができるかもと言っていたくらいだから凪の恋愛対象は女性。それなのに男である自分がファーストキスを奪ってしまったのだから。しかし、それがあったとしても別に彼女を作ることくらい凪ならできそうなものだ。
考えられる可能性としては……太河のせいでトラウマを抱えてしまった、とか……。
ちらりと凪のほうを見ると彼はお酒の缶を持ったままある一点をじーっと見つめている。太河も同じ方向を見るが、そこには別に何もない。ただの壁だ。まるで猫が何もない場所を見つめているかのような姿に一瞬何を考えていたのか忘れそうになるが、ふるふると軽く頭を振って思考を元に戻す。
凪は相変わらず黙ったままだったため、いろいろな可能性を考えてみるが、結局、正解は凪に聞く他なかった。
酔っ払っている時に聞くのは少し卑怯かもしれないけど。
「ねぇ、凪……あの時のことと、恋人作らないこと、何か関係してるの? 凪、モテるよね?」
「あぁ」
凪は否定することなく頷いた。ぼんやりとした瞳で虚空を見つめ続けたまま唇にコツ、コツ、と缶を当てている。
いつもはハキハキとすぐに返事をする凪だが、この時ばかりは次の言葉がなかなか出てこなかった。それは、言いたくないのか、酔っているからなのか、何か考えているのか。どれとも取れる状態に、太河がもう一度何か質問しようかと思っていると、凪はちらっと太河のほうへと視線を向けた。
「モテすぎて困るくらいにはな」
「……」
「男にも」
「……へ?」
彼の爆弾発言に思考が追い付かず、その場に硬直してしまう。
太河が本当に聞きたかったのはキスのことと恋人を作らないことが関係しているのかということ。しかし、凪はそのあとに聞いたモテるのか、という質問だけに答えてきた。しかも、予想の斜め上の回答で。
太河がこんなにも好きになるくらいなのだから凪がモテるのは全然おかしなことではない。それが女だろうと男だろうと。しかし、凪本人がそのことを知っていて、しかも困るくらいというのは一体……。
固まってしまった太河の姿に凪は小さく笑みを零し、再びお酒をごくっと一口飲んだ。そして、まるで他人事のように留学していた時のことを話しだした。
以前までの凪は誰とでもすぐに仲良くなれるようなタイプだった。距離が近くてもあまり気にせず、友達を家に招くことも多い。しかし、留学先のイギリスでその行為が危険であることを痛感した。
留学当初、早く周りに馴染みたいという気持ちもあり、積極的に現地の学生と交流するようにしていた。留学生ならその行動は別におかしなことではない。凪の不運は、友達としてではなく恋愛対象として見られてしまったことだ。しかも何故か男性ばかりに。
付き合う気はないと断ったところで凪の言葉はなかなか本気では受け取ってもらえず、何度か強引に連れ込まれそうになったことすらあった。愛情表現もストレートでボディタッチも多いイギリスの男性ばかりだったが、無理矢理どうこうされることがなかったのは不幸中の幸いだ。
この時、自分の身は自分で守らないといけないんだと実感し、様々な体術を身につけ、他人との距離を保つようになった。そして、壁を作る道具としてつけ始めたのが伊達眼鏡だ。最初は口説かれる度に顔が可愛いと言われ、ならいっそのこと隠してしまおうと思ってつけ始めた。後にこの眼鏡を付けていると大人っぽく見えると言われたこともあり、日本に戻って来てからもずっと付け続けている。
「これが俺の留学話。モテるだろ?」
「……本当に、何もされなかったの?キスとか、それ以上とか……」
「お前じゃないんだし」
「……」
「ぷっ……何もされてないよ」
太河のあからさまな凹み具合に凪は吹き出したが、その笑みを浮かべた顔はすぐに真剣なものに変わった。何か考えるように視線を左右に泳がせたあと瞼を軽く伏せ、フッと自嘲気味の笑いが零れ落ちる。
「……昔、お前のこともこうやって勘違いさせちゃったってことだよな」
「ッ……違う! 俺はっ……本気で凪のことが好きでっ」
「はいはい」
適当に相槌を打つ凪に太河はぎゅっと唇を噛みしめた。
太河の気持ちは今も昔も変わっていない。凪のことが好き。それは離れていた間も消えることなく、むしろ大きくなっていた。
どうやったら会えるのか、会って何を話そうか。そんなことばかりを考えていた。しかし、その間、凪が遠い場所で見ず知らずの男たちに言い寄られていたなんて……。
そこらへんの男たちと自分は違うんだと太河は言いたかったが、凪は太河の言葉を真剣には受け止めてくれなかった。相変わらずお酒の缶を手に持ったまま、適当な返事をしている。
「好きだよ」
「そうか」
「ねぇ、本気だよ」
「気のせいだろ」
まともに取り合ってくれない凪に対して太河も少しやけになっていた。昔の自分だったらここで勢いあまってキスしていたかもしれないが、さすがに今はそんなことはしない。どうにか言葉で凪に振り向いてほしい、そう思いながらいろんなことを言っているうちに気付けば時計の針は深夜0時を回ろうとしていた。
明日が休みとはいえさすがにそろそろ帰るべきだろうか。きっと凪は昔のように泊めてくれないだろうし。
「……はぁ、帰るよ」
「送れない。泊まってけ」
「え?」
聞き間違い?凪が泊まっていけって?
一瞬自分の耳が都合の良い幻聴でも聞かせたのかと思ったが、凪はごくっと缶の中身を全て飲み干し、太河のことを真っ直ぐに見つめた。
「こんな遅くに生徒を帰すわけにはいかない。何かあったら困る」
「……凪の身に何か起こるとは考えないの?」
「そんな度胸あんのか?」
「キスしたことあるけど」
ぴくっと凪の指先が小さく跳ねる。
まずい、この話題は冗談でもダメだったかもしれない。追い出されるかも。
すでに言ってしまったあとではどうすることもできず、凪の様子を伺っているとお酒で赤くなっていた頬が更に少し赤みを増したような気がした。あの時のようにクッションで殴られる覚悟さえしていたが、凪の手はクッションではなく、太河の手首を掴んだ。
「……黙ってベッドで寝ろ。俺はソファで寝る」
そのまま引っ張られ有無を言わさず寝室へと連れて行かれる。どういうわけか寝室に入っても凪は明かりをつけようとはせず、リビングから漏れる明かりを頼りに引き出しから何かを取り出した。そして、それを太河の手の中へと押し込み、彼は早々に部屋から出て行ってしまった。
暗い部屋の中でしばらくの間呆然とし、手の中に残るジャージへと視線を落とす。
パジャマ代わりとして使えってこと……?
それと、さっきの凪は怒っていたというより、恥ずかしがっていた?照れていた?
凪にとってキスの話題は地雷で、怒りで泣いてしまうほどだったはず。けど、やっぱりまだ何か彼は言っていないことがあるのかもしれない。さっき、キスのことと恋人がいないことをはぐらかしたように。
今はできないけど、もっとしっかり凪と向き合いたい。向き合えるようにならないと。
貸してもらったジャージをぐっと握りしめ、太河は自分を勇気づけるように小さく頷いた。そして記憶を頼りに部屋の電気をパチッと点ける。寝室は昔とほとんど変わっていなかったが、ここにはなかったものが増えていた。
「……捨てて、なかったんだ」
リビングになかったからてっきり捨てられてしまったと思っていた二人の写真。それは隠すように、寝室に置かれていた。
幼い頃の笑顔の二人。身長の高い凪、小さな太河。あの頃は追いつけるなんて全く思っていなかったけど、今では太河のほうが凪より1cmだけだけど大きくなった。
教師としてやってきた凪は昔とは雰囲気が変わっていた。けど、やっぱり凪は凪だ。優しくて大好きな凪。
太河は指先で写真を軽く撫でてからそれを元あった場所に戻した。そして、凪によって閉められた寝室の扉をもう一度開き、彼が寝ているソファへと向かっていく。
「んー……」
懐かしい温もりを感じ、ここがまだ夢の中なのかと錯覚する。昔は太河と二人でよく一緒に昼寝をしていた。あの頃の太河は口では寂しくないと言いつつも寝る時にはいつも凪に抱きついていたものだ。凪も仕方ないな、と言いながらも太河の高めの体温が心地よく、二人で寝る時は一人のときよりもぐっすりと眠れていた。
そんな昔の記憶が夢に混在しながら徐々に意識が覚醒していく。まず感じたのは温かさ。それは、自分のものだけではない。そして、次に感じたのは目の前の大きな身体。
「……うわっ!?」
「んー……凪……?」
目の前に太河がいる。どうして。それに、ここは自分の寝室のベッドだ。はっきりとは覚えていないが、昨夜はここではなく、ソファで寝たような気がする。
昨日の記憶を必死に手繰り寄せるがあまりにも曖昧だ。新人歓迎会で大量に飲まされて、帰り道で太河に会って、それから……どうしてこいつは家に泊まっているんだ。しかも同じベッドで。
混乱しながら太河から離れようと腕に力を込めるが、逆に抱きしめる力を強められてしまう。自分の心臓の音がどんどん大きくなっていくのを感じ、じわりと手のひらに汗が滲んでいく。
「は、離せよ……というかなんで同じベッドで寝てるんだ……おかしいだろ……」
「俺が運んだ。ソファで寝たら身体痛くなっちゃうでしょ?」
「いや、そうだけど、だからって……」
この距離はまずい。また太河にキスされる。ダメだ。逃げないと。
どうにか彼の腕から逃れようとしていると太河が真っ直ぐに凪の瞳を見つめてきた。
それは昔から見慣れているはずの顔。だけど、昔よりも大人の男に近付いた顔。
「ねぇ、凪のこと、本気で口説いて良い?昔みたいに無理矢理キスしたりじゃなくて、凪にも好きって言ってもらえるように」
真剣な表情から柔らかな笑みに変わった太河の顔にじわじわと耳が熱くなっていく。冗談の一つでも言えれば良いのにこんな時に限って上手い言葉が何も出てこない。
春の日差しがカーテンの隙間から差し込み、布団の中も部屋の温度も顔もますます熱くなっていく。
結局、太河のことを見続けることができなくなり、凪は視線を下げて小さく呟いた。
「……勝手にしろ」
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