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プロローグ

退屈だ。 華やかな装飾でただ眩しいだけの会場に、全てを塗り隠すように綺麗に着飾った人々。 そして、僕に媚びへつらう人々の『笑顔』という仮面を貼り付けたような表情。 すべてが退屈だ。   視線を感じて振り返ると、いつものように笑顔を作って声をかける。 「こんにちはカヴェンディッシュ卿」 「ルシアン殿下、本日はご光臨を賜り光栄に存じます。兄君のエリオット殿下のご容態はいかがでしょうか?」   貼り付けた笑顔の下に、王位継承の行方を気にしている素振りが透けて見える、ヘンリー・カヴェンディッシュ卿。 「最近は調子が良いみたいで、よく本を読んでいますよ」 「……そうですか。それはなによりです」   彼の口角が不自然に動いたが、僕は見て見ぬふりをする。 そんな彼のふくよかな体を自然と押し退けながら僕の前に姿を見せたのは財務次官だ。 「殿下、最近の王室の公務への取り組みが国民からも高く評価されているとのことで、私も誇らしい気持ちでいっぱいです」 「ありがとう。私は私の仕事をしているまでだよ」   謙虚な姿勢を見せると、満足したのか含みのある笑顔を見せた。 「ルシアン殿下、よろしいでしょうか?」   その声に、僕は一瞬舌打ちをしたくなったが寸前のところで堪えて、声のした方へとゆっくり振り返る。 「……ええ、もちろんですよ」   振り返った先には予想通り、BBCのシニアジャーナリストの姿があった。 「ありがとうございます、サー。本日は、このような素敵なパーティーということですがひとつ質問が……」 「なんでしょう?」 「このようなパーティーにお一人で参加されていらっしゃって……。今はまだ婚約者もお決まりでないご様子。そのあたり、どのようなお考えでいらっしゃるのか率直にお聞きしたく思います」   あなたに関係のあることだろうか――。   率直に答えるならこれだ。 だけど、僕はこのイギリスの第二王子、ルシアン・アッシュボーン。 そんなヘマはしないし、できない。笑顔を崩さないまま彼女の求めている答えを探し出す。 「そうですね。私の婚約者に、と名乗りを上げてくださる方が何人かいらっしゃるのですが、私自身が未熟なので……。それに、兄上のこともありますから……」   しおらしくそれっぽいことを答えると「サーは家族想いでいらっしゃいますね……」と僕の表情につられながらも内心は納得していない様子。 そんな彼女に内心ほくそ笑んだ。 ありがとう、ジャーナリストさん。 僕の周りが、あなたみたいに空気が読める単純な人間の集まりだったら、どんなに楽か。 そんなことを思っていると、目の前に立っていた彼女の目が見開いた。 「……あっ!」 「ん?」   次の瞬間、僕の背中になにか当たる。そのあとすぐに、背中に冷たさが広がった。 「え?」 「殿下!」 「き、貴様……!」   足元を見ると水滴が落ちている。 僕は背中に手を回し、液体の匂いを確認する。 「……水か」 「殿下! お召し物が!」 「いいよ、ただの水だ」 「し、しかし……」   後ろを振り返って水をかけた人間に視線を向ける。 背丈は僕と同じくらい……いや、僕よりほんの少しだけ高い。 長めの前髪、そして顔を伏せているせいで顔が隠れてよく見えないが、放たれるオーラはどこか近寄りがたいものだった。 「貴様! なにか言ったらどうなんだ!」 「無礼者!」   僕の視線に気づいた彼は、ようやく顔を上げて僕をまっすぐに見つめた。 ここでは珍しい黒くて長い前髪の間から覗く、細められた鋭いグレーの瞳と真正面からぶつかった瞬間――息が、止まった。 「(……なんだ……こいつ……)」   整った顔立ち。 長いまつ毛。 そして、僕を値踏みするような、それでいてそれほど興味がなさそうな、つかみどころのない瞳。 今まで出会ってきたどんな人間とも違う視線に、僕は初めて言葉が出なかった。 「……申し訳ございません」   あまりの衝撃に固まっている僕をよそに、ビジネスライクで完璧な笑顔を見せながらも、心のこもっていない謝罪の言葉が彼の口からこぼれた。   面白い――。 「おい!」 「……いいよ」 「で、殿下……!」   胸の高鳴りを隠すように笑う。 側近達は、僕の言葉に納得をしていない様子だったが、そんなことはどうでもよかった。 側近達の後ろから、彼のグレーの瞳が僕をとらえ続けていることに高揚する。 「ただの水だよ。……それに、彼からは私を傷つける意図は感じられないから、そんなにムキにならないで。せっかくのパーティーが台無しだよ」   少しざわめきが気になり始めた会場内に視線を向けるよう誘導すると、側近達は渋々といった様子で黙った。 「君……」 「……はい?」   僕は、我関せずといった様子の彼に「私の着替えに付き合ってくれ」と有無を言わせない口調で伝えた。 「……は?」   やっと少しだけ崩れた彼の表情を見て、思わず口角が上がりそうになる。 「まさか……私の服を汚しておいて、着替えの手伝いもしないなんて、言わないよね?」   僕の言葉が予想外だったのか、彼はわずかに眉を動かしたように見えた。 「で、殿下! それでしたら我々が!」 「いいからいいから。ちょっと話したいこともあるし、すぐに済むから」   側近達に止められる前に、彼の手首をつかんだ。 つかんだ手首が思いのほか骨張っていて細く、少し驚いたが平然を装ってパーティー会場から出て控え室に向かう。   パーティー会場の喧騒が遠くに聞こえる中、廊下はシンっと静まり返っていた。 そんな廊下に響くのは、なぜか僕一人分の足音。 しばらく無言で歩いていると、僕にされるがままになっていた彼が口を開く。 「……お前さ、なに考えてんの?」 「なにって?」   立ち止まって彼の方を振り返ると、あの鋭いグレーの瞳が僕をとらえた。 「普通、こんな怪しい男を連れ出して二人きりになるか?」 「それ、自分で言うんだ」   そう言って笑うと、彼が小さく舌打ちをした。 「僕はルシアン・アッシュボーン。この国の第二王子だよ」   右手を差し出して握手を求めるが、彼は一瞬僕の顔に視線を向けたあと、廊下にある大きな窓へと視線を移すだけで僕の右手には目もくれない。 「……この国にいて知らないわけないだろ」 「それは光栄だな。君のルーツはわが国ではないだろう?」   この辺りでは珍しい黒髪、そしてグレーの瞳に視線を向けると、居心地が悪いのか彼は背を向けて窓のそばまで移動してから「企業秘密だ」と短く切り捨てた。 「ミステリアスだね。嫌いじゃないよ」   僕の言葉が気に障ったのか、今度は先ほどよりも少しだけ大きな音で舌打ちをする彼に、僕は「なにか気に障ったかな?」と質問する。 彼はじっと僕の顔を見つめたと思ったら、もう一度窓の方を向いてしまった。 「君の名前は?」   第二王子である僕が名乗っているのに名乗り返さないのはさすがに失礼じゃないか? そう思ったのは、彼の名前を純粋に知りたかったからだ。 しかし、彼はなにも答えない。 よほど名前を知られたくないのか……それとも隠しておかなければならない事情があるのか。 僕がそんな風に考えていると、彼がようやくこちらを見た。 「……それ、疲れねえの?」 「――え?」   彼の口から出た言葉はあまりにも唐突で、一瞬なにを聞かれたのか分からず理解するのに時間がかかった。 「それ、って……?」   僕がそう聞くと、彼は自分の唇の端に指を当てながら「ココ……引き攣ってんぞ?」と指摘する。 「――は?」   見抜かれた? 僕の完璧な演技が――?   衝撃でなにも言えない僕をしりめに、彼は無表情のまま「大変だねぇ……王子様は」と心底同情するような声色でつぶやいた。

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