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第一章 灰色の編入生
あのパーティーから今日で一週間。
この一週間、名前も知らない彼のことが頭から離れなかった。
僕が生まれてから被り続けている『笑顔の仮面』をたった一度の接触で見抜いた、彼のことを――。
あらゆる手を尽くして探し出そうとしたが、名前はおろか、国籍さえも分からなかった。
君はいったい何者なんだ――。
僕の問いに答えてくれる彼は、当然だけど、どこにもいない。
「ルーク!」
「テオ、おはよう」
「おはようございます、ルシアン殿下」
「おはよう、アート」
考えごとをしながら最初のクラスに向かって歩いていると、幼なじみのセオドア・ラングフォードとアーサー・ヴェインが声をかけてきた。
僕を愛称で呼ぶのは、今じゃあもう兄とテオくらい。
アートもアカデミーでくらい普通に呼んでくれればいいのに。
「おう! 考えごとか?」
「いや、別に」
「隠すなって! どうせ、あの日パーティーで会った男が忘れられないんだろ?」
「セオドア、朝からうるさいぞ」
テオの言葉に僕は思わず立ち止まった。
そうだ、あのパーティーにはテオとアートも参加していたんだ。
「ん?」
「二人とも、見てたの?」
「もうバッチリ!」
そう言って笑ったテオの顔を見て、僕は「じゃあ、単刀直入に聞くけど、二人はあの彼のことを知らない?」と聞いてみた。
「お前が全力で調べても素性が分からない相手だろ? 俺が知るわけねーじゃん!」
「わがヴェイン家の力を以てしても、難しかったです……」
「アートもバッチリ調べてんじゃん」
テオの言葉に「当たり前だろう。わざわざルシアン殿下に近づいてきた怪しい男の素性を調べるのは当然だ」と、アートはメガネを押し上げた。
「……やっぱり分からないか」
アートの言葉にうなずいた。
「……ルシアン殿下、あの者となにかあったのですか?」
「んー……ちょっとね」
アートの質問を肯定も否定もせず誤魔化したあと、クラスに向かって歩き出す。
廊下を歩いていると、なにやら騒がしい。
朝から元気だな、なんて思いながらクラスの中に入った瞬間、一斉に視線が集まる。
また同じ一日が始まった。
「おはようございます、ルシアン!」
「おはよう」
いつも通り、笑顔で返してから定位置である一番後ろの真ん中の席に座る。
僕の両隣の席にテオ、アートも座った。
僕達が通うエリシアン・ロイヤル・アカデミー。
王室が直接監修する全寮制学校だ。
王族・貴族・外交官・諜報機関関係者の子弟をはじめとした、一般の家庭でも優秀な人材であれば進学が可能な、未来の国家を担う人材を育てる名門教育機関。
アカデミー内では王族も貴族も庶民も関係なく平等に扱われるが、レジス・ハウスとコモン・ハウスで棟が分かれているため、貴族側と一般側の生徒が関わるのは授業中だけだ。
「そういえばルシアン、聞きましたか?」
「なにをだい?」
「本日、このアカデミーに編入生が来るそうですよ」
「編入生?」
なるほど。
朝からどこか騒がしい空気を感じていたのは、季節外れの編入生が来るからだったのか。
「はい。なんでも、ご両親の仕事の関係で遅れての編入になったとか」
「そうなんだ。新しい仲間が加わるのは喜ばしいことだね」
「本当ですね!」
新学期が始まって一週間。
この時期に編入してくるなんてめずらしい。
まあ、このアカデミーに入るということは、それなりの家柄の子どもなんだろう。
そんなことを考えていると、今日の一時間目、歴史を担任するブラックウッド卿が扉を静かに開けて入ってくる。
「おはよう、諸君」
「おはようございます、サー」
ブラックウッド卿は、黒板の前に立つと視線だけを動かしてクラスの中を見回した。
そして、小さく息を吐くと「……聞いているかもしれないが、本日、編入生が来ている」と告げる。
ブラックウッド卿の言葉に学生達が少しざわつくが、彼の咳払いですぐに静かになった。
「……入りたまえ」
ブラックウッド卿が扉に向かってそう告げると、開いている扉から男子生徒が姿を現した。
――足音がしない。
まるであの日のようだ。
そう思った僕は、入ってきた男子生徒の顔をよく見ようと少し体を横にずらす。
「――え?」
彼が黒板の前に立ち、うつむいていた顔を上げて正面を向いた瞬間、一週間前の記憶が鮮明によみがえる。
また、同じ一日が始まると思っていたグレーの世界に、少しずつ色が戻ってくるような気がした。
「諸君……本日より本校に編入するカイ・御影だ。歓迎するように」
先ほどとは比べ物にならないくらいのざわめきが起こっているようだったが、僕にはなにも聞こえなかった。
ただただ、目の前にいるあの彼から目が離せなかった。
「ミスター・御影、なにか一言……」
ブラックウッド卿にそううながされた彼は、少しけだるそうな表情のまま「カイ・御影です」とだけ発すると口を閉じた。
「……家庭の事情でこの時期の編入となったそうだ。ハウスはコモン・ハウスだ」
ブラックウッド卿が彼の代わりに必要最低の情報を伝える。
一般生徒が入寮するコモン・ハウスということは、貴族ではないのか。
「好きな席に座りたまえ」
彼は「……分かりました」とやる気のなさそうな声色で返事をすると、クラスの中をぐるりと一周見回す。
一瞬、目が合った。
あの日と同じように、まるで僕のことを品定めするような鋭い視線。
しかし、その視線はすぐに僕から僕の目の前の空席へと移っていった。
少しうつむいたままゆっくりとした足取りで僕の前の空席に向かって歩き出す彼の姿から、僕は目が離せなかった。
彼は席に座ると僕や他の学生達には目もくれず、頬杖をついてどこか遠くに視線を向けた。
「やあ」
「……どーも」
僕は後ろから少し体を乗り出して挨拶をするが、彼はこちらを向かない。
そんな彼の態度を見ていた周りの生徒が心配そうに僕のことを見ている。
「諸君、前を向きたまえ。授業を始める」
ブラックウッド卿の一言で再び静寂が戻ったクラス。
どこか落ち着かない様子の学生達をよそに、僕は久しぶりに気持ちが高ぶっていた。
一時間目の授業が終わり、ブラックウッド卿がクラスから出て行く姿を見送ったあと、次のクラスに移動しようと席を立った彼に話しかける。
「御影、ようこそエリシアン・ロイヤル・アカデミーへ」
「……ああ」
「少し遅れての編入で不安だと思うけど、なにかあれば手伝うから気軽に声をかけてね」
「……ご丁寧にどうも」
僕の声かけにけだるそうな様子を見せる御影に、学生達が集まってきた。
「君、ルシアン殿下の前だぞ?」
「ルシアンに対して不敬ではないのか?」
御影はわずかに眉を寄せながら小さくため息をついた。
「なんだその態度は!」
「コモンということは庶民だろう? 僕は伯爵家の長男だぞ!」
由緒正しいブレント家の長男、フェリックス・ブレントが御影の胸ぐらにつかみかかる。
「フェリックス……」
僕が止めに入ろうとするが、その前に御影がフェリックスの手首をつかんだ。
「へ……?」
御影はそのままフェリックスに自分の顔を近づけると、彼の端正な顔に驚いたのかフェリックスの顔が真っ赤に染まった。
「なっ……!」
「……右肩下がってるぞ」
「は!?」
そんなフェリックスの様子に御影の口元が一瞬緩んだように感じたが、すぐにもとの無表情に戻ると、もう一方の手でフェリックスの肘を跳ね上げて、抵抗する隙を与えることもなく肩関節を極めて固定する。
「イ、イタタタタ……!!」
フェリックスは降参するように自分の肩を叩きながら「ま、待て! イタタ……ッ! は、離せ!」と叫んでいる。
しかし、御影はフェリックスを冷たい目で睨んでいるだけで拘束を解こうとはしない。
「……御影」
見兼ねた僕が彼の名前を呼ぶと、御影は鋭いグレーの瞳で僕を睨むように見つめ返す。
なにか言いたげな表情をしていたが、僕は「それ以上はやりすぎじゃないかな……」と彼の腕をつかむ。
「……」
御影はゆっくり手を離すと、フェリックスは「で、殿下……!!」と情けない声を上げる。
無駄のない動き、そしてこの護衛術――。
君は本当に何者なんだ。
「二人とも、手を出したらいけないよ」
僕は御影のことを見ながら緊張を和らげるように笑うと「御影、君は意外とノーティー(暴れん坊)だね」と冗談を交えながら彼の反応をうかがう。
「……あのー……初対面なのにさっきから馴れ馴れしくないですか?」
ため息をつきながら、心底面倒さそうな態度で言い放った言葉を、理解するのにほんの数秒かかった。
「――え?」
初対面?
なにをバカなことを言っているんだ。
「えっと……この前のパーティーで」
僕がそう言いかけると御影のグレーの瞳が僕をとらえた。
そして、わずかに目を細めたあと「パーティー? なんのことですか?」と告げた。
「え?」
「俺、パーティーなんか参加してません。人違いですよ」
御影はそう言い捨てると、騒いでいる学生達を無視してそのままクラスを出て行った。
「なんて不敬な……!」
「ルシアン殿下! あのような者とは金輪際関わらない方がいいかと思います!」
フェリックスと彼の取り巻きのトリスタンやサイモン達が集まって来てなにか言っているが、なにも聞こえてこない。
僕は彼が出て行ったクラスの扉から視線を逸らすことができなかった。
「……おい、どういうことだよ?」
テオが小声で僕に声をかける。
「……分からない」
「あいつ、どう見たってあの時のだろ?」
「なぜ初対面のふりを……」
アートも不思議そうな顔をしている。
そうだ。
整った顔立ちと凛とした佇まい。
あの日は気づかなかったが少し青みがかった黒い髪と長いまつ毛。そして、僕をとらえて離さない――グレーの鋭い瞳。
一度会ったことがある人間を、僕が間違えるはずがない。
「殿下……気になさらないでくださいね」
「見てください、ルシアンが落ち込んでいる……」
口元を押さえたままうつむく僕の姿を、フェリックス達の目には落ち込んでいるように見えているらしい。
「お、お前……」
「ルシアン殿下……」
だけど、隣にいる二人は違う。
「ほどほどにしとけよー……。知らないフリするってことは、よっぽどなにかあるってことなんだからな」
「……もちろんだよ」
僕は、崩れそうになる表情を手で隠しているだけだった。
僕の仮面を一目で暴いた君が、今度は僕から逃げるつもりなんだね。
やっと見つけた探し人を、僕が逃がすと思っているのかい?
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