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第二章 冷たい壁と薄氷

御影が編入して来て早いもので二週間が経った。 この二週間、彼のことを観察してきたが、彼はいつも一人でいた。 授業の始まる一分前になるとクラスに現れて、誰とも目を合わせずに空いている席に座り、授業が終わると誰よりも早くクラスから出て行く。 そんな御影を見て、テオは「あれがジャパニーズ・ニンジャか……!」と興奮していた。 「なにを言っているんだ」 「だってさー、あれだけ隙のない動きなんだぜ? どう考えても只者じゃないだろ!」 「まあ、それは同感だが……」 「あいつがどんなヤツでも正直どうでもいいんだけど、問題はなー……」   テオは視線を後ろに向ける。 視線の先には、カイが出て行ったドアを睨みつけるように見つめていたフェリックスがいた。 「なんか、ヤバイんじゃねーの?」 「うむ……」   テオやアートは異質な存在である御影のことを、気にしているようで、そこまで入れ込むつもりはないようだ。 しかし、問題は他の貴族の子息達だ。 彼らの間では「あの態度はルシアン殿下に対して失礼ではないか」という不満が日に日に大きくなっていた。 「あいつ、結構過激派だろ? 御影にちょっかいかけるんじゃねーの?」 「……その可能性は、ないとは言えないけど……」 「面倒事を起こされては困りますね」   フェリックスがなにか起こす可能性は、正直高い。 彼の家、ブレント家は忠誠心だけは高いけど今はそこまで力もなく、彼自身も言ってしまえば落ちこぼれ。 僕に媚へつらって、どうにかのし上がろうとしているから、勘違いをしたフェリックスが暴走をしないといいけれど。 「止めなくていいのか?」 「……そうだね」   なにも起きていない状況であっても、釘をさしておくのが正解なのかもしれない。 ただ、少しだけ興味があった。 フェリックスがなにかを起こした時に、彼がどう動くのか。 そこが見たかった。 「まあ、彼なら自分でなんとかするんじゃないかな」   僕は知らないふりをすることに決めた。  ◆   あれから数日。 授業を終えた僕達が、ブレークタイムを過ごすために談話室へ移動していると、中庭を移動している御影、その後ろを追っているフェリックス、トリスタン、サイモンの三人の姿を見かけた。 四人の姿に気づいたテオが「あいつらなにしてんだ?」と不思議そうな顔をする。 「あれで尾行のつもりか……。情けない」 「……行こう」 「え? 追う?」 「フェリックス達が彼になにかするかもしれない」 「たしかにな」   僕達は急いで四人の後を追った。  * 「おい!」 「……あ?」   カイが中庭の少し奥まったベンチで本を読んでいると、開いていたページに影が落ちる。 顔を上げると、フェリックスと、その後ろに取り巻きの二人が腕を組んで立っていた。 「おい、庶民!」 「……」 「僕の声かけを無視するとはいい度胸だな……!」   トリスタンが「そうだぞ! 俺達を無視するな!」と便乗する。 カイは小さくため息をつくと「なんですか貴族様」と挑発的な態度を取る。 「き、貴様ー!!」   フェリックスはカイに向かって指をさすと「貴様のルシアン殿下に対する態度を忠告しに来た!」と仁王立ちをする。 「ご苦労様でーす」 「き、貴様!」   本に視線を戻したカイに、フェリックスは反射的に殴りかかろうとするが、編入初日に返り討ちにされたことを思い出し、寸前のところで止まる。 なにか、弱点になるものはないか。 そう思いながらフェリックスはカイの様子を探るように睨みつけると、本の間に紙のようなものが挟まっていることに気づく。 「これはなんだ!」   フェリックスはその紙を取ろうと手を伸ばすが、カイがフェリックスの手首をつかむ。 「……触るな」   カイの低い声に一瞬怯んだフェリックスだったが、この紙がカイにとって大事なものだと確信して「トリスタン! サイモン!」と二人の名前を呼ぶ。 「おう!」   トリスタンがカイの手から本を奪うと、カイはフェリックスから手を離した。 「フェリックス!」 「これはなんだ?」   トリスタンから本を受け取ったフェリックスは、その紙を取り出す。 「……なんだ? ただの写真じゃないか!」   ベタベタと写真に触っているフェリックスの耳に「……おい」と、地を這うようなカイの声が聞こえてきた。 「……ヒッ!」 「……返せ」   カイの刺すような視線に怯みながらも、フェリックスは「な、なんだこれは!」と問いかける。 「……None of your concern——お前には関係ないだろ」 「な、なに!? アメリカ英語を話し、こ、このようなどこの馬の骨ともしれない東洋人の老人の写真なんぞ持ち歩いて……王国への忠誠心がないのか! やはり殿下に近づいて、なにかを企んでいるどこかの国のスパイか!?」   カイは「……で?」と聞く。 「なに……!?」 「もしスパイだったら、どうだって言うんだよ」 「こ、こうするまでさ!」   そう言うと、フェリックスは写真を二枚に破いて地面に捨てる。 「!」 「ど、どうだ!」   フェリックスが冷や汗をかきながらカイを見ると、氷のように冷ややかな視線でフェリックスを見つめていた。 「そ、そんな目で私を見るな!!」   そんなカイに向かって、フェリックスは拳を振り上げた。 * 「さすがにやりすぎじゃないかな……?」   御影に向かって振り上げられた拳を、僕は後ろからつかんだ。 「殿下!?」 「……」   フェリックスの足元には、御影の手帳から抜き取ったであろう写真が二枚に破かれて落ちていた。 写真には年老いた男性と、幼少期の御影らしき少年が笑顔で写っていた。 「お、お聞きくださいルシアン殿下! この者は殿下に敬意を払うどころか、このような日本の写真を持ち歩いておられます!」 「……それで?」 「へ?」 「……大事な家族と写ってる写真を持ち歩くことに、いったいなんの問題があるって言うんだい?」 「で、殿下……!?」   フェリックスは真っ青になりながら地面に両手をついた。 「た、大変申し訳ございません!! こ、この者がルシアン殿下に悪影響を与えているため、我々が罰を……」   その言葉を聞いた瞬間、思わず鼻で笑いそうになった。 「で、殿下……?」 「僕がいつそんなことを頼んだかな?」 「ヒッ……!」   フェリックスが体を起こして後退りするが、僕は彼を追いかけようと一歩踏み出した。 しかし、その前に御影が「おい……」とあきれた声を出しながら僕の腕をつかんだ。 「もうやめておけよ」 「……どうして? 君は被害者側だよね」   僕の腕を放すと、御影はフェリックスの前に立つ。 「……ヒッ」   顔を上げたフェリックスは、体のバランスを崩してしりもちをつく。 そんなフェリックスの前にしゃがんだ御影は「お前、あいつのことを護りたかったんだろ……」と僕を指さしながら質問をした。 「……は?」 「だから……あいつのために俺を警戒してたんだろ?」   フェリックスの首筋に触れながらそう繰り返した御影に、彼は「あ、ああ……」と恐る恐るうなずいた。 そんなフェリックスの瞳をなにもいわずに静かに見つめる御影の瞳は、真剣だった。 「な……んだ……?」 「……」 「……っ」   数秒間の出来事だったか、恐ろしく長く感じられた。 御影は立ち上がると僕の方を振り返り「あんまり怒るなよ」とフェリックスを庇った。 「なぜだい?」 「……こいつの、お前のことを想う気持ちは本物だぜ」   そう言った御影は、フェリックスの足元に落ちていた二つに破かれた祖父の写真を拾い上げると、付いた砂をやさしく払った。 その手つきが、普段の御影の行動からは想像できないほどやさしくて、僕は思わず息をのんだ。 御影はそのままなにも言わずにその場を去って行く。 彼のあとを追いかけようと思ったが「何事かね、これは……」と騒ぎを聞きつけたブラックウッド卿や他の教師達が集まって来たため、追うことができなかった。 その日の夕方、自習の時間を図書館で過ごしていた僕は、昼間の出来事が気になっていた。 「ルーク?」 「……」 「おい、ルーク!」 「静かにしろ! ここは図書館だぞ!」   アートに注意されたテオは「お前だってうるさいよ!」と声のトーンを下げつつも反論する。 「ごめん、どうしたの?」 「どうしたの、はこっちのセリフ。手、動いてないけど、どうした?」 「ルシアン殿下が上の空なのは珍しいですね」   二人に指摘されて、僕は「ああ……。昼間のことが、気になってね」と正直に答えた。 「昼間って、フェリックス達の?」 「あれはさすがにやりすぎですね。貴族が庶民の荷物を盗んで破くなど言語道断です」 「泳がせておきながら、後悔してんのか?」 「……」   僕が黙るとテオは口を大きく開けて「マジかよ……」と声をもらす。 「あんなに他人に興味のなかったルークが、ここまで一人の人間に執着するなんてな!」 「別に、執着なんてしてないよ。僕は、常に平等だ」 「なに言ってんだよ! 今、お前の心の中は罪悪感が生まれてんだろ!」   テオは笑いながら僕の背中を軽く叩く。 「貴様はなにを言っている。ルシアン殿下があのような庶民に心を痛めることなどありはしない」 「この、ふしあなめ!」 「なに!」   テオに図星をつかれた。 僕が、前もってフェリックスに釘を刺していれば起こらなかったかもしれない出来事だった。 そこは反省をしている。 だけど、あの時のやり取りを思い出して、僕は確信した。 「……御影のあの動き……。やっぱりただの学生ではないよね」 「だから、あいつはジャパニーズ・ニンジャなんだろ!」 「フンッ! バカか! ニンジャは明治維新までの話だ」 「お前なんでそんなに日本の歴史に詳しいんだよ」   あの時、御影はフェリックスの脈拍や瞳孔の開き具合を確認していたんじゃないのか。 「……でも、あながち間違っていないんじゃないかな?」 「え?」 「本当に……彼は何者なんだろうね」   僕はイスから立ち上がると「ちょっと、本を探してくるね」と二人に伝えた。   レポートのために必要な本を探す。 「……これかな」   本棚の奥の方からかすかだけど話し声が聞こえてきて、本を探す手を止めた。 会話、というよりも一人が話している様子だった。 「……誰だろう」   僕は声の主を探すため、話し声が聞こえてくる方向を目指す。 「〈……だ……んだろ〉」   本棚のすき間から覗いた青みがかった黒い髪。 最奥にある本棚のそばで電話をしていたのは、御影だった。 「〈だから、別に意図はない〉」 『〈分かっているのか。これ以上アッシュボーンと関わると私の仕事にも影響が出る可能性がある〉』 「〈あんたは……本当にあっちの仕事に関してはプライドが高けえよな。そんなんだから、母さんに愛想をつかされるんだよ」 『〈……分かったな。これ以上、アッシュボーンとは関わるな〉』 「〈……うるせえよ〉」   そう言ったあと、御影が通話を一方的に切ったように見えた。 電話の向こうは、多分御影の父親。 二人の会話は日本語で、なにを話していたのかは断片的にしか分からない。 ただ、アッシュボーンという僕のラストネームと、仕事、プライドという単語……。 そして彼の声色を聞いて、なんとなく繋がった。   御影のあの動きと観察眼。 僕と初対面のふりをして距離を取ろうとした理由。 そして――僕が君を気にする本当の意味。 「……ハァ」   御影の手には、セロハンテープを使って不器用に直された二つに破かれたあの写真があった。   ――君も、僕と同じように、なにかに囚われているんだね。

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