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第三章 月明かりの祈り

「今日は、めずらしく天気がいいね」 「本当ですね」   大きな窓からロンドンの綺麗な青空が顔をのぞかせる。 ロンドンの中心部から少し離れた場所に佇むケンジス・ハウス。 ここは、若き王族達の居住区だ。 僕は寮に入ってからは週末の帰宅や公務のために一時的に過ごすだけの場所になっている。 今日は、新学期が始まってから公務のない初めての一時帰宅で、二歳年上の兄の顔を見に来ていた。 わがアッシュボーン王家の第一王子、エリオット・アーサー・フィリップ・アッシュボーンは生まれつき体が弱かったが、聡明で人柄もよく、後継者として完璧だ。 ただ、体が弱いだけ。 生まれ持った性質で、最大のハンデを負っている。 「昨日はごめんね……」 「大丈夫ですよ」   兄の代わりに僕が公務に参加することが多く、そんな僕に対して兄が罪悪感を抱いていることが伝わってくる。 「そんなことより、兄上は身体を休めることに専念してくださいね」 「……ああ」   兄を尊敬している。 僕は、自分を殺して完璧を演じているが、兄は生まれながらにして人の上に立つのに相応しい人間だ。 僕なんかよりも。 兄の代わりを務めるのは全然いいけれど、兄に成り代わるのは僕の本意ではない。 漠然とそんなことを考えていると、兄からの視線を感じた。 「どうかしましたか?」 「……ルーク」 「はい?」   真剣な兄の眼差しに、一瞬身構えた。 そんな僕の感情を察したのか、兄は柔らかく微笑むと「なにか、いいことがあったのかな?」と聞く。 「え?」   予想外の言葉に、僕は一瞬固まった。 「少し顔つきが変わったね」   さすがだな――。   僕の些細な変化に気づくのは、誰よりも周りを見ている兄や、幼少期から時間を共にしているテオとアート。 だからこそ、あの一瞬で僕の本質を見抜いた御影に興味を持ったんだ。 「どうでしょうね」 「それじゃあ……そういうことにしておこうかな」   兄はそれ以上追求するようなことはせず、ただただ微笑んでいた。 兄らしいなと思う。 踏み込みすぎず、だけどすべてを分かった上ですべてを見守っている。 兄のやさしさに触れて、自分の弱さに気づいていく。 「兄上は……」 「ん?」 「兄上には……怖いものはないのですか?」   ふと口をついて出た言葉に、僕は慌てて口元をおさえた。 「……失礼しました。今のは忘れてください……」   兄は少し眉毛を下げると「ルーク……」とやさしい声色で僕の名前を呼ぶ。 「……はい」 「お前がなにを思っているか……すべては分からないけれど……」 「……」 「お前は、お前のままでいいんだよ」   そう言って兄は、いつものやさしい笑みを浮かべた。 「おいで……」   兄に呼ばれてベッドに一歩近よると、兄は腕を伸ばして僕の頭をなでようとする。 少し屈むと兄の手のひらが僕の頭をやさしくなでる。 真っ白な寝巻きから覗いた手首は、ひどく痩せ細っていて、胸が締め付けられた。 ◆   あのあと、しばらく兄と話をしてからアカデミーに戻ってきたが、正直いつ戻ってきたか、記憶がない。 いつの間にかアカデミーの自分の個室にいた。 誰にも呼び止められなかったということは、僕は意識をしていなくても、いつもの完璧な王子の姿でいられたということだ。 兄の容態は悪化しているのだろう。 会いにいくたび、それを実感する。   どうして兄なんだ……。 どうして、僕が兄の代わりなんだ……。   息が詰まってカーテンを開ける。 窓の外を見るとSPの姿が見えた。 まるで、どこにも逃げられないように僕を監視しているようだ。 僕は、静かに部屋を抜け出して、アカデミーの中庭の奥にあるチャペルへと向かった。 僕の、唯一の逃げ場所。 チャペルの扉には鍵がかかっておらず、重たい扉を押すと少し不快な音を立てながらゆっくりと開く。 チャペルの中は、まだ九月の下旬だというのにひんやりとした冷たい空気が漂っていた。 目の前には煌びやかなステンドグラスで飾られた大きな窓。 王家の紋章である片翼を背負った王冠と、アカデミーの校章である六つの徳目を背景にEのマークが入った盾が、対になるように設置されている。 片翼をもがれた王冠が、飛ぶことができず、鳥かごに閉じ込められた僕自身のように思えた。 僕はゆっくりとチャペルの真ん中へ歩き出すと、二列に並んでいるピュー(長椅子)の左の列に座り、目を閉じて祈りのポーズを取る。   ――本当に神が存在するのならば、兄を助けてください。   ただただすがるように、祈り続けた。 どのくらい時間が経ったのだろうか。 目を開けたあと、しばらく王家の紋章を眺めているとギィッという大きな音が鳴る。 音に驚いて振り向くと、意外な人物と目が合った。 「……っ!」   チャペルの扉を開けたのは、あの御影だった。 僕の姿に気づいた御影が中に入るのを躊躇ったように見えたから、僕から声をかけた。 「気にせず入ってきていいよ……」 「……」 御影は、戸惑った様子を見せつつも、ゆっくりとした足取りで僕の座っているピューまで来ると、隣の右の列に座った。 せっかくなら隣に座ればいいのに。 なんて思いながら顔を軽く伏せると「……夜間の外出は禁止だろ」と彼がつぶやいた。 「どの口が言うんだ……」   ――あっ。   反射的に返してしまった。 兄上のことや疲れが重なって自分を取り繕う余裕が消えた。 まあ、御影には全部見抜かれているみたいだから無駄なんだろうけど。 思わず素を出してしまった言い訳を頭の中でつらつらと並べながら、伏せていた顔を御影の方に向ける。 「……え?」   御影の表情は、僕が想像していたものとは違った。 「それが素か?」 「さあね。君はどう思う?」   珍しく口角を上げた御影の表情に、僕は「ずいぶん楽しそうだね」と少しだけ嫌味を含めて笑う。 「……今の方が人間らしいぜ」 「それはどうも……」   御影から正面に視線を戻す。 窓からはステンドグラスを通って色鮮やかに照らされた、どこか人工的な月明かりが差し込んでいた。 「……」 「……」   静寂に包まれたチャペルの中は、僕にとって心地よかった。 横目で御影を見ると、なにを考えているのかは相変わらず読めないが、シルエットの整った横顔を月明かりが照らしていた。 そんな彼の横顔を見ていると、なぜだか心が温かくなる。 「……これは、僕の独り言なんだけど……」 「……ずいぶんでっけー独り言だな……」   文句を言いながらも、なんだかんだ返事をしてくれる。 「……僕には兄がいるんだけどさ……最近、ますます体調がよくないんだよね」   僕がそう言うと、御影は「……その話、聞いていいのか?」と、まるで企業秘密を聞かされたような反応を見せる。 本当に興味がないんだなと少しあきれたが「国民周知の事実。少しはこの国と僕達に興味を持ちなよ」と笑って返す。 「……はいはい、すみませんねー」   まったく悪いと思っていない謝罪に、僕は思わず苦笑する。 「今日、久しぶりに兄に会ってきたんだ」 「……」 「相変わらずで……。病弱な兄の代わりに公務に出ることが多いんだけど、僕は、兄には敵わない……」   誰にも言えない僕の本音を、なぜか御影になら話してもいいと思えた。多分、 本当の僕を見つけてもらえると本能で感じたから。 「兄は本当にすごい……人としても、王としても。だから、兄の代わりを務める以上、完璧でいなくてはいけない……。強くなくてはいけない……」   僕は無意識に拳を握って下を向く。 「この国の皇太子は兄だ……。だけど、もし……もし……」   言葉が詰まる。 下唇を噛んで、泣きそうになるのを誤魔化した。 「……っ」   話を続けようとするが、言葉が出ない。 そんな僕を見兼ねたのか、隣の列のピューに座っていた御影が立ち上がったのを気配で感じた。 そのあとすぐ、僕の座っている列のピューからギシッと軽く軋む音が聞こえてくる。 顔を上げて横を見ると、御影が一人分のスペースを空けて僕の隣に座っていた。 「……」 「……」   数十秒の沈黙が流れたあと、御影が「あのさ……」と口開く。 「昔、祖父さんが言ってたんだけど……」 「……」 「本当に強い人間っていうのは、弱さを見せないんじゃなくて、自分の弱さを認めて……それでも前を向ける人間だ、って……」 「……弱さを認める……」   御影は真っ直ぐ前を向いたまま「肩肘張りすぎるなよ……。皇太子だろうが第二王子だろうが、一人の人間だろ」と続けた。 「……御影」   御影は立ち上がると僕の方を見る。 「周りを見ろよ……。お前の周りには、お前のことを本気で考えてるヤツがいるだろ」   そう言った御影の表情は、なんとなく寂しそうだった。 「……なんてな」 「……カイ」   無意識に呼んでしまった彼のファーストネーム。 彼は、一瞬目を見開いて驚いたが、なにも言わずにそのままチャペルの出口に向かう。 扉を出る前に一度立ち止まる。 「今の方がよっぽど好きだぜ」   それだけ言うと、彼はチャペルから出て行った。 「な、にそれ……」   その好きは、どういう意味? 君は、どこまで僕の心を乱すんだ。

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