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第1話
『猫型もうじゅうレンジャー、ニャンレッドタイガー参上』
『おなじく、ブルーレオッ』
『イエロージャガーだっ』
『ピンクヒョウっ!』
『『グリーンチーターだぁ!』』
『ストップ、ストップ! ちょっとぉ、やまと、たける、どっちか一人って言ったでしょ。六人いるんだから一人あまるの。順番にやってよ』
『だって、おれらも早く戦いごっこやりたい。待てないよ。な、たける』
『うん。おれも早くグリーンやりたいっ。やまとと二人でやっていい?』
『だめ。猫型もうじゅうレンジャーは五人組なの、六人は多いのっ』
『あ、じゃあ、レッドやる? グリーン、一番弱いし』
『弱くないっ』
『そうだぞ、ニャングリーンは一番かっこいいんだっ』
『『せーの、風のように追いかけ、やみ夜に光る眼でとらえる。敵あるところに正義の雄叫びあり! われら、猫型もうじゅうレンジャー』』
『あー決めゼリフ先に言った! やまととたけるのばかっ──』
リビングのドアに手をかけたまま、十河尊瑠 は動けずにいた。
無邪気に弾む幼い声。お揃いの服を着た二人が、ヒーローの真似をしている姿が浮かぶ。
いつも隣にあった笑顔。……けれど、今はいない。
別々の高校に進んでから、会うことはほとんどない。そうなるようにしたのは自分だった。会えば、治らない傷のかさぶたを剥がしてしまうと、わかっているから。
それでも『幼馴染』という関係は厄介だった。
家が隣同士で、母親同士も仲がいい。避けていても、情報は勝手に耳に入ってくる。
「あっはっはっ、あー、もうだめ。可愛くて面白すぎて何回観ても笑えるわ」
「ほんと、ほんと。智代のおかげね、またビデオが見れたの」
ドア越しに聞こえてきた声は、母の由香子 と、坂部大和 の母親、智代 だ。
入りたくない……咄嗟にそう思ったけれど、リビングを通らないと二階には行けない。
尊瑠はレバーを掴むと、勢いよくドアを押し開けた。
「あ、おかえり、尊瑠君。お邪魔してるよ」
「尊瑠、おかえり。今ね、ビデオをブルーレイに変換したの見てたの。ね、尊瑠も見て、懐かしいでしょ」
「──ただいま。おばさん、こんにちは」
口元だけが勝手に動いて、笑っているふりをした。その笑い方が、自分でも少しだけ気持ち悪かった。
「久しぶりに会うけど、尊瑠君、また可愛くなったんじゃない?」
「可愛いって……おばさん、俺もう高三だよ。せめてかっこよくなったって言ってよ」
「何言ってんの、その大きな目も長いまつ毛もアイドル顔負けじゃない」
「尊瑠は全然だめよ、本の虫なんだもん。やっぱり男子は、大和君みたいにアクティブじゃないと。背も高くて爽やかで、きっとモテモテでしょ?」
聞きたくなかった名前を、耳が勝手に拾う。
見た目の話題になると、決まって由香子は大和と息子を比べてくる。
「とんでもない。あの子、家じゃだらしないのよ。特にカメラいじってるときはこっちが話しかけても、生返事しかしないし」
その言葉だけで、頭の中に大和の姿が浮かんだ。
カメラを覗き込んで、何も聞こえていないみたいに指先だけを動かしている横顔。
見ていないけれどわかる。
大和はきっと、そういう顔をしている。そういう仕草をする。
「でも登山部に入ってなかった?」
紅茶を注ぎながら、由香子が首をかしげる。
「登山部に入ったのは、写真を撮るのが目的なのよ。三年だから今は引退したけどね」
「カメラかぁ。感心するわね、小さいころから好きなことが変わってないの」
「あの子、カメラオタクなのよ。でも『人物は撮らない』って言ってるくせに、尊瑠君だけはよく撮ってたのよね」
「そういえば、そうだったわね」
由香子が飾り棚の写真たてを見ながら、くすっと笑った。
「でも高校、別になっちゃって残念ね。尊瑠君、また顔見せてやってよ」
「はい。またタイミングが合えば……」
会いたいに決まってる。けれど、無邪気なあのころとは、もう、違う……
画面の中の小さな自分みたいに、簡単に大和に触れるなんて、もうできない。
「私もいつも言ってるのよ、昔は、大和君にべったりだったのに。何で同じ高校に行かなかったのか不思議よ」
「二人揃って『ヤマトタケル』なのにね」
「そうそう、ヤマトタケル! 懐かしい。よく他のママ友に言われたわよね」
母親二人は息子たちをネタに、話に花を咲かせている。このままリビングに居続けると、笑顔を保てなくなる。
「じゃ俺部屋に行くよ。おばさん、ごゆっくり」
画面に映る小さな大和から目を逸らして、尊瑠は二階へ上がった。
ドアを閉めるなり、リュックが肩から滑り落ちる。
重い荷物のようにベッドへ腰を下ろすと、机がちょうど目の高さにくる。その上のフォトフレームが、視界に引っかかった。
お揃いのグリーンチーターのTシャツ。麦わら帽子をかぶった二人が笑っている。
……この家に引っ越して来た日も、これを着てたっけ。
坂部家の玄関で、「初めまして」と頭を下げたとき、視界の端で揺れた同じ色。
そこにいた大和も、同じTシャツを着ていた。
「嬉しすぎて、思わず叫んだんだよな、同じだって……」
あのとき、自分の声に重ねるよう、大和も同じ言葉を叫んでいた。夏の日差しに負けない笑顔で。
「このときから、俺は……」
ゆっくり立ち上がると、尊瑠はフォトフレームを手に取った。
そこに並ぶ、幼稚園から中学までの自分。どの写真にも、大和の視線だけが残っているような気がした。
「……大和、自分は撮ってばっかだもんな」
幼い顔を指でたどっていると、中学生の自分でその指が止まった。
どの写真も笑顔なのに、卒業証書を持った自分は泣きそうな顔をしている。
笑えるわけがなかった。
この日が、大和と一緒に登校する最後の日だったから。
初めて会ったときから、どこへ行くのも何をするのも、そばには大和がいた。
母親たちから教えてもらった、自分たちの名前を続けて呼ぶと昔のヒーローになると。それをどこか絆みたいに思っていたからかもしれない。
──ヤマトとタケル。二人で一つなら、ずっと離れないな。
そう言って大和が笑った。その言葉と写真しか、自分にはもう残ってない。
──なんで同じ高校に行かなかったの?
由香子の言葉が尊瑠を追い込む。
「そんなの、俺だって……」
握り締めた木製のフォトフレームが、手の中でミシリと鳴いた。
大和とは違う高校に行くんだ──迷う気持ちを笑顔でコーティングして、そう伝えた。けれど口にした瞬間、大和は苦い薬を飲み込むように、奥二重の目を細めていた。
「あのとき、なんであんな顔、してたんだろ」
高校が別でも大和は気にしない、そう思っていた。
そう思い込まないと、選べなかった。
大和は言葉にするのが得意じゃない。きっと、何を言えばいいのかわからなかったんだ。
「そういう自分こそ、本音を言えなかったくせに……」
ため息と一緒に未練をこぼし、尊瑠はネクタイを襟元で滑らせた。
ジャケットと一緒に椅子にかけたあと、すぐ横の窓を見つめた。
「母さん、またカーテン開けっぱなしにして……」
大和の部屋と向き合う窓の向こう。手を伸ばせば届く距離。声をかけなくても、そこから大和の気配を感じていた。
濃紺のカーテンが開き、ファインダーを向けられると慌ててピースをする。
そんなたわいもないことが宝物だった。
シャツのボタンを外しながら大和の部屋に背を向け、通りに面した方の窓を開けた。
茜色に染まった道がまっすぐ伸びている。何度も並んで歩いたはずなのに、今はどこか遠い。
そこにいたはずの影を探すように眺めていると、夕焼けをさらうような風が尊瑠の髪を揺らす。襟元の隙間から入り込む冷気に身震いし、サッシに手をかけた。
窓を閉めかけたそのとき、通い慣れた道から声が聞こえた。
少し低い声に、短い言葉で返すくせ。それに重なる、甘えたような高い声。
見ちゃだめだ。反射的にそう思った。
頭の中で警鐘が鳴るのに、尊瑠は道に伸びる長い影を見つめた。
「大和……」
呟いた瞬間、大和が、隣にいた女の子に抱きついた。長い髪がふわりと揺れる。
咄嗟に背を向け、窓の下にしゃがんだ。
両手で口を覆い、吐き出しそうな声を抑えた。心臓が生き物みたいに、皮膚の下で暴れている。
……まただ。また、見てしまった。
中三の秋。仲良く肩を並べる大和と、見覚えのある女子。大和と目が合うと、少しだけその目を細めて、短く言った。
──彼女、できたんだ。
吐く息を白くさせながら、大和はそう言った。
優しげな眼差しで恋人を見つめていた横顔は、今でも覚えている。
大和の左隣はいつも自分の場所だった。それなのに、今、一人で立っている。
カメラ越しの視線も、シャッターを押す長い指も、全部、自分のものだと思っていた。
些細な約束も、髪をかきあげる仕草も癖も、くだらない冗談だって覚えている。
全部、忘れられない。
小さいころ言ってくれた、二人だけの言葉のように。
両手を額に押し付け、うなだれた。
形のないものばかりに縋って、いつまでも同じ場所で足踏みしている。
自分だけが前に進めてない……
どれくらいそうしていたのか、シャツ一枚の体はすっかり冷え切っていた。
ポケットに錘でも入れたように、ゆっくり立ち上がると、横の窓のカーテンが揺れたのが目の端に映った。
大和が今にもカーテンを引こうとしている。
……しまった。カーテン、閉め忘れた。
大和と視線が絡まって、逃げられない。
動けずにいると、フラッシュをたくように大和が笑った。
顔を崩したまま窓を開け、大和が上半身を乗り出してくる。それが合図のように、尊瑠もつい、窓を開けた。
「尊瑠、いたのか」
何ヶ月ぶりだろう。窓越しに声を聞いたのは。
「……うん」
「部屋、覗いても見えなかったから。床に座ってたんだな」
「うん」
さっきから、「うん」しか出てこない。
頭の中では、いつもシミュレーションしていた言葉が渦巻いているのに。
聞きたいこと、聞きたくないこと。その二つが水面のウキみたいに、浮かんでは沈む。
話題を探していると、ふと視線を感じた。大和が、シャツの胸元を見ている。
「尊瑠。……その格好」
「格好?」
視線を下げると、ボタンひとつで留まったシャツから、白い肌が覗いていた。
「なんで中に何も着てないんだ」
呆れたような言い方に、カチンときた。
「べ、別にいいだろ」
シャツの前をかき合わせながら顔を背けた。
「よくない。寒いし、それに──」
「体育で汗かいたから脱いだだけ。そのまま着てる方が風邪ひくだろ」
だらしないやつと思われたのかもしれない。本当のことを言っているだけなのに。
「だからって肌に直接シャツなんてやめろ。お前の……体見て、変な気を起こすやついたらどうする」
大和にしたら珍しい長いセリフだった。そこをツッコミたかったけれど、言われたことにカッとなって、それどころじゃない。
「な、なんだよ、変な気って」
「そのままの意味だ」
一瞬、見透かされたのかと思った。
大和には絶対知られたくない。この気持ちも、女子を好きになれないことも。
そっと大和を見ると、眉間にしわを寄せて腕組みしている。身長差以上に、上から見られている気がした。
小さいころから虫が苦手で、いつも自分の背中に隠れて逃げ回っていたくせに。牛乳だって、飲めないくせに。
「そ、そんなこと言うなら、自分の方こそ、気をつけろよっ」
「何を」
もう一人の自分が頭の中でやめろと言った。なのに、勝手に口が動く。
「み、道の真ん中で女子に抱きつくなんて。しかも、家のすぐ前だぞ」
「抱きつく? あ、もしかしてさっきの見てたのか」
悪びれずにさらりと言う。笑顔で言うから余計に苛立った。
「いくら彼女でも、おばさんや近所の人に見られたら相手の子が困るだろ」
「いや、あれは違う。あの子は──」
「着替えるからもう窓閉める。ちゃんと彼女、送ってやれよ」
言葉と視線で大和の声を遮った。
その続きを聞けば、きっとまた昔みたいに期待してしまう。
たとえ彼女じゃないと言われても、男の自分が選ばれることはない。
中三の秋に受けたあの痛みだけは、もう二度と味わいたくなかった。
裸を見られたらとか、変な気を起こすとか、わけわかんないこと言ってきて。どうせ男の体なんか見たって、大和は何とも思わないのに。
悔しさのままシャツを脱ぎ捨てると、やけっぱちな気持ちで大和へ上半身をさらした。
大和の奥二重が見開き、唇が開こうとした瞬間、尊瑠は窓を閉めた。
むきになって、馬鹿なことをした。
パーカーをかぶると、スエット姿になってベッドに転がった。
本当は、あんなこと言うつもりはなかった。
久しぶりに窓越しに会えて嬉しかったのに。あんな言い方、最低だ。
腕を交差させて顔を覆うと、耳に残る大和の声を思い返す。
久しぶりに見た大和は、またかっこよくなっていた。背も髪も伸びて、声も少し低くなって、前より大人っぽい。そんな変化が、自分との間にできた壁みたいに思えた。
何でも話せる関係だったのに、今は隠してばかりで、何も話せなくなった。
大和の隣はもう自分の場所じゃない。わかっているのに、大和をほしがる自分が駄々をこねる。
大和の特別になりたい。
視線を独り占めしたい。
シャッターを切る、その一瞬のまなざしさえ、自分だけのものであってほしい。
ファインダー越しに見るのは、自分だけでありたい。
大和を誰かに取られたくない。
なんて、傲慢な気持ちなんだ。
こんな想いを抱いた時点で、もう終わりなのに。
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