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エピローグ
リビングの窓を開けると、レースのカーテンと一緒に尊瑠の前髪を風がふわりと揺らした。
少し春の気配が混ざった空気が気持ちいい。
大学も春休みで、大和も仕事が休み。せっかくだから散歩にでも行かないかと、大和を誘おうと思ったけれど、別の楽しみを思いついてしまった。
……さあ、探すとするか。
押し入れの前に移動すると、尊瑠は袖を捲って扉を開けた。
ふと、大和を見ると、ソファの肘掛けに腰を預け、膝の上でカメラの手入れをしている。
慣れた指先でレンズを磨く横顔は写真家の表情なのに、尊瑠には昔、変身ごっこに夢中になっていた顔と重なって見える。
「またカメラ磨いてんの?」
声に反応した大和が、上目遣いでこっちを見てくる。
「またとは何だ」
笑いながら返されて、尊瑠も口元を緩めた。
「休みの日くらいカメラを離せばいいのに」
返事がわかっているのに、つい、聞いてしまう。
「触ってるだけで落ち着くんだ」
一瞬、顔を上げて大和が言った。
「そう言うと思った」
肩をすくめると、ふっと大和が笑う。その笑顔がいつもそばにあるだけで、尊瑠は何もいらないと思えた。
大和の気配を背中に感じる中、尊瑠は押し入れに顔を突っ込んだ。
……確か、ここの奥にあるって母さんが言ってたな。
ガサゴソと漁っていると、
「そういう尊瑠は何をしてるんだ」
背中に声がかかる。
「んー? 探し物」
押し入れに上半身を突っ込んだまま答えた。
「探し物ってなにを?」
押し入れから身体を出すと、乱れた前髪を整えながらふうっと息を吐く。
「母さんが、ここに置いたって言うんだ。昔の俺らのビデオ」
「ああ、前に尊瑠が言ってた、グリーンチーターのやつ?」
カメラから視線を上げ、大和が弾んだ声で言った。
「それもあるけど、他にも出てきたらしくてさ。母さんが全部ブルーレイにしたんだって」
「マジ? 見たい!」
「俺も見たくて聞いたら、『押し入れに入れといた』って」
言いながら尊瑠は押し入れの奥へ手を伸ばし、段ボールを引っ張り出した。
「この中かな」
蓋を開けていると、大和も隣に来た。二人で中を覗き込んでみる。
「あ、これ!」
色褪せたTシャツが畳まれ、一番上に乗っていた。
胸いっぱいに描かれているのは、自分たちが崇拝していたヒーロー。
「グリーンチーターじゃん」
大和が小さく笑った。
「まだあったんだ。母さん、こういうの捨てないからな」
尊瑠はTシャツを広げて、自分の胸に当ててみる。
「……ちっちゃ」
「今なら片腕しか入らなさそうだな」
「着てみる?」
一瞬、想像した。ぱつぱつなTシャツに、横に伸びて原型のなくなったヒーローを。
大和も同じことを思っていたのか、目が合って二人で吹き出した。
「みんな、グリーンは弱いって言ってたな」
「言ってた、言ってた。レッドが一番強いって」
「俺は一話からグリーンが一番かっこいいって思ってたけどな」
「あ、俺も」
この街へ引っ越してきた日の記憶が、ふっとよみがえる。
大和と初めて会った瞬間、自分の世界は大和一色になった。
どこへ行くのも、何をするのも一緒だった。そんな日々は、いつしか恋に彩られていった。
「なあ、他にもお宝入ってないか?」
段ボールに手を突っ込んだ大和が、ヒッと、小さな悲鳴をあげて手を引っ込めた。
「な、何だよ。何が入ってたんだ?」
尊瑠が中を覗くと、あるものが目に入ってピンときた。
ズルズルと引っ張り出し、大和の前へ差し出した。
「や、やめろ! 俺にそれを見せるんじゃない」
床から飛び上がり、そのままソファまで逃げて行く。
「これ、ただの虫かごだよ。中には何も入ってないって」
「無理! それ見ただけで、想像する」
怯える顔を見て、尊瑠の中にいたずら心が湧いた。
虫かごを手にすると、ソファまでじりじりと近づく。
「よ、よせ! 本気で怒るぞ!」
そんなこと言っても、大和が本気で怒るわけないことは知っている。
尊瑠が面白がってかごを近づけようとしたとき、大和が自分のトートバッグを掴んだ。その中から冊子のようなものを取り出す。
「それ以上、俺をいじめると、これ、見せてやらないからな!」
尊瑠の前に突きつけてきたものは、冊子に見えたアルバムだった。
「アルバムだ! え、それ、大和の新作? 見たい、見たい」
虫かごをその場へ置くと、尊瑠は大和に駆け寄った。てっきり見せてくれると思ったのに、大和が立ち上がって、さらにアルバムを持った腕を天井に伸ばす。
「俺の手から奪ってみろ」
到底、尊瑠の背丈じゃ届かない位置にアルバムが掲げられている。
「そんな高さ、届くわけないじゃん。大和のいじわる」
「尊瑠が俺をいじめるからだろ」
どうだと言わんばかりに、大和が見下ろしてくる。
……もう。こんなとこ、子どものころと変わってない。
でも、対策は心得ている。
尊瑠は、しょんぼりとうつむき、おまけに鼻を小さく啜って見せる。
「おい、尊瑠。……泣いてんのか?」
伺うようにそっと大和が顔を覗き込んでくる。もう一息だ。
「……俺、大和の写真のファン、第一号なのに。大和の写真、大好きなのに……」
追い打ちをかけるよう、もう一回鼻から音をたてた。
「わ、悪かった。俺が悪い。ほら、見せてやるから泣き止め」
俯いたまま待っていると、アルバムが目の前に差し出された。尊瑠はそれを受け取ったあと、ぱっと顔をあげた。
「やった。ありがと、大和」
けろっとして顔を上げると、大和は口をぽかんと開けていた。
「……たーけーるー」
「大和、大人になってもこの手に引っかかるね」
そう言ってソファに座ると、背中から思いっきり抱き締められた──と言うより、縛り上げられた。
「いたずらする子は、お仕置きだ」
ぎゅっと力強く抱き締められ、大和の胸の中に閉じ込められた。
「痛い、痛いってば。ごめん、もうしないから許して」
腕の中でジタバタしていると、後ろから耳たぶを噛まれた。
「今日、おばさんたち、旅行に行ってるんだろ? 夜、覚えてろよ」
耳元に囁かれた言葉に全身が熱くなる。咄嗟に大和の胸から逃げると、向かいのオットマンに座った。
「も、もう。まだ昼だぞ。そんなこと、言うなよ……」
ふふっと大和が笑う。その笑顔に絆されかけ、尊瑠は視線から投げるようにアルバムの表紙を開いた。
「あれ……」
ページをめくっても、そこに閉じ込められていたのは自分の写真ばかり。
「俺ばっかりだ……」
「それ、俺のお気に入り百選の一冊目。いや、百じゃ足りないか」
大和が当たり前みたいに言う。
「一冊目って、何冊、作ろうと思ってんの?」
大和がカメラを構え、こっちに向けてファインダーを覗いてきた。
「一生分撮るから、何冊になるかわかんないな」
真顔で大和が言う。
そんな表情でそんなふうに言われると、熱もないのに頬が熱くなる。
「へ、へえ……」
恥ずかしくて嬉しくて、それしか言えなかった。
尊瑠は逃げるように、段ボールの中身を見るふりをした。
背中に大和の視線を感じる。
振り返って顔を見たら、『まだ昼だぞ』と言った自分の言葉が台無しになることがわかって振り向けない。
大和の視線を感じながら二つ目の箱を開けると、ようやくお目当ての物が出てきた。
「あった! 大和、あったよ」
「よし、早速見るか。俺、コーヒー淹れるよ」
カメラを置き、大和がキッチンへ向かう。その間に尊瑠はディスクをデッキに入れた。
リモコンを手にソファへ座ろうとしたら、ちょうど大和がマグカップを両手に戻ってきた。
「いい匂い。ありがと」
一口飲んで横を見ると、大和が大きなあくびをした。
「眠い? 大和。見るの、今度にする?」
「いや、見る。今、見たい」
「昨夜、個展の片付けで遅かったもんね。眠くなったら止めるから」
尊瑠はリモコンを持ち直した。
「じゃ、つけるよ」
ソファに並んで画面を見ていると、大和が無意識にカメラを持ち膝に乗せた。
……寝るとき以外、本当に手放さないな。
微笑ましく見ていると、テレビから日常の音が聞こえてきた。
画面が明るくなり、見慣れた風景が映る。自分の家を出て、大和の家へ向かうシーン。ちょっとカメラがブレて酔いそうになった。
由香子の指先が映り、大和の家のインターホンを押す。しばらくして、玄関の鍵を開ける音が聞こえ、ドアが開かれた。
『あ、たける。ちゃんとグリーンチーターのTシャツ着てる』
小さな大和の登場だ。
『だって、変身ごっこするのに着てないとグリーンになれないもん』
由香子と智代の話し声に混ざって、自分と大和の声が聞こえてきた。
「大和。これ、覚えてる?」
画面の中の自分たちを指差して言うと、大和が笑った。
「覚えてる。このあと公園に行って、滑り台で滑り降りた瞬間、尊瑠が着地に失敗して泣いた日だろ」
しれっと言われて、ムッとした。
「俺の失敗ばっか、覚えてるんだろ」
「かもな」
そう言って、大和が自分の肩に持たれてきた。少し伸びた前髪が頬に触れ、くすぐったい。
自分もそっと、大和の頭に寄り添ってみた。お互いの体温が混ざり合って、そんな何でもない仕草に幸せを感じる。
『あー、ブレる。由香子、これ、手ブレモード、どうやるの?』
智代の声が聞こえ、画面に視線を戻した。
『これよ、このボタ──あ、こら、尊瑠! 帽子、かぶりなさい』
『だって、やまとが行っちゃう。やまと、待ってっ』
『たけるー! 早く来い。公園行って変身するぞ!』
『こら、大和! そんなに走ったら、カメラ壊れる──って、聞いてないし』
カメラの向こうで母親たちが笑っている。
小さな手が伸びてきて、大和が当然のように尊瑠の手を掴んだ。
『俺ら、二人で一つだからな! 行くぞ、たける!』
『うん!』
そこで映像がぶつりと途切れる。
「あ、切れた。なあ、大和。映像切れ……」
返事がない。
横を見ると、自分の肩に頭を預けた大和がカメラを抱えたまま、静かに寝息を立てていた。
起こさないよう、尊瑠は前髪をそっと撫でてみる。
大和が寝息を漏らしながら、少しだけ口元を緩めた。
昔と変わらない寝顔に、尊瑠は小さく笑った。
無防備な額に口づけると、自分の口からもあくびがこぼれた。
……大和が起きたら、一緒に買い物に行って夕食を作ろう。メニューは、そうだな。大和の好物のハンバーグにしよう。付け合わせはポテトサラダ。お味噌汁も作って……
ソースは何にしようか。
そんなことを考えているうちに、尊瑠の瞼もゆっくり閉じられていった。
おわり
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