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復讐者と弑逆者⑤
しばらく歩いて行くと斜面を切り拓いて作られた大きな耕地に出た。集落を横目に通り過ぎるとやがて広々とした草地に出る。休耕地なのだろう、轍の跡が残る細い道が遠くまで突っ切っている。
「これが街道へ出る道で間違いなさそうだな」
既に陽は落ち、あたりは暮れかかっている。二人は草地の外れにある背の高い樹の下で野宿することにした。
照隅があの農夫たちの仕掛け罠から拝借してきた魚を差し出すと、阿茲迦は何やら小言らしきものを呟きながら木の枝を集め、巫術で火をつけてくれた。
「魚の扱いに慣れているんですね……」
「俺は句地湖のほとり育ちだぞ。暇があれば魚だって自分で獲ってたさ」
二匹目の魚にかぶり付きながら言うと、阿茲迦が怪訝そうな顔をした。
「次代の王として勉強漬けだった兄上と違って、俺は放任だったからな。舟遊びと釣りはいい退屈しのぎだった。まあ、成人してもっと悪い遊びを覚えたら湖にはあんまり足が向かなくなったが」
「もっと悪い遊び、ですか?」
これ、と照隅は阿茲迦の方へ身を乗り出し、いつもは髪に隠れた耳を引っ張って見せる。
「耳輪用の穴、開けてないだろ? あの農夫どもにくれてやったのは俺の持ち物じゃない、賽子のカタに頂戴した戦利品さ」
「…………」
今度こそはっきりと阿茲迦が嫌そうな顔をする。照隅は大きな声を立てて笑った。
「ははは! かんなぎ殿にはちょっと下品過ぎる話題だったか?」
阿茲迦は聞こえない振りを決め込んだようだった。
「しかし、やっぱり魚だけではあまり腹が膨れんな」
「大人しくあの農夫たちに村へ連れて行ってもらって、一晩宿を頼めば良かったのではないですか?」
ジト、と音がしそうな目で睨まれる。
「そう言うなって。大きな街道沿いにはもっと大きな村があるだろ、半日あれば街道まで辿り着けると言ってたし、明日は食料を調達できるし屋根の下で寝れるさ」
「そうですね。街道に出れば官使も通るでしょうし、殿下の溶神鋼を見せれば馬を融通してくれるでしょう」
巡礼の一行が最後に宿を取った街まで戻れば、随行していた兵達と合流できる可能性もある。あの集団の中で王を除いて最も身分が高いのは照隅であったから、方針を決められずに混乱しているかもしれないのだ。
「そうすればお前は罪人として捕らえられ、俺は陛下をお連れして都へ帰還する……だが当然、敵も同じことを考えているはずだ」
敵、と阿茲迦が呟いた。急にあたりの気温が下がったように感じる。
「間違いなく、あれは『蛇使い』の者だ」
太古の昔、この地は巨大な三頭の水蛇に支配されていたという。すべての真水を好きに操り、過大な生贄を要求するこの神に弱い人間たちは困り果てていた。
その時、どこからともなく現れた英雄が弱く小さい樹木の姿の「神」を見出した。この神は水蛇よりずっと昔からこの地にいたが、力を失ってひっそり存在していた。強大な巫力と剣の腕、そして桁違いの人望を持ち合わせた英雄はこの神を自らの祭神と定め、神の力はぐんぐん上昇し、やがて水蛇を脅かすまでになった。
英雄に率いられた人々は邪悪な水蛇を長い戦いの末に平原にて打ち倒し、水蛇の倒れた後が巨大な湖になり、三つの首がそこから流れ出る川となった……。
「それが今の句地湖で、『英雄』の子孫がこの国の王統だ」
「だから殿下も巫力をお持ちなんですよね」
「お前に言われるとさすがに恥ずかしいけどな。巫力は必ずしも血統に由来しないし、英雄の血だって百代以上続いていればどれだけ残ってるものだか」
この国の人間の中で巫力を持っている人間は大体三割といったところだろうが、単身で何らかの術を使える巫力を所持する者となると、千人に五、六人がいいところだろう。
「希少な巫力を持つ者は大抵の場合その土地の支配者に徴用される。もっと大きな巫力を有する者は、都の巫司に組織される。……だが、それらを拒んで地に潜る者たちもいる。征服者の末裔に臣従することを嫌い、いにしえの神に忠誠を誓う連中。それが『蛇使い』だ」
蛇使いの存在は王権にとって最大の災厄だ。強い力を持つ巫はたった一人で千の兵士を倒すことも可能であり、蛇使いの全容が闇に包まれている以上、王家としても大っぴらにその危険性を喧伝するわけにはいかない。
王朝開闢以来、神樹の祭祀である王にとって、蛇使いは背中合わせの影であり続けた。
「蛇を使役すること自体がこの国では禁忌なのだから、あれだけ強力な巫術を使えているのは、蛇使いの組織で術が伝承されていることの証だろう。……こう言っては何だが、極めて厄介な事態だ。最後に蛇使いの存在が確認された二百年前には少なくとも二人の将軍と王の叔父、王を守ろうとした当時の大巫が蛇使いに暗殺されたと言われているんだからな」
「……私がいちばん不可解なのは、なぜあの場所に蛇使いが現れることができたのか、ということです。私たちが川に落ちたのも、流れ着いた場所も、事前に予測できるようなことではありません」
頷くと、照隅は顔を近づけて阿茲迦に囁いた。
「俺が考えているのは、このまま街道を進んで巡礼の兵士たちとの合流を目指すのが本当に最適解なのか? ということだ」
阿茲迦はハッとしたように目を見開き、それから口に手を当てて思案する顔になる。
「確かに、今日のような術には、兵士の数を当てるのはいたずらに犠牲を増やすだけです。ですが、何か有効な対策があるでしょうか?」
「俺があの巫を斬る」
「…………!」
ビクッ、と阿茲迦が肩を震わせた。
「そのためには刀が必要だ。巫力を込められる刀がな。あれはどこでも手に入るものではない。……だから、元きた道ではなく、金虫の柵を目指したい」
柵はかつてこの地に暮らしていた者たちの築いた砦のことで、現在は最北端の要塞となっている。巫力刀はこの地の民が伊里津国の支配に反発した時、巫者を兵力として投入してくる王軍に対抗するためにこの地のすぐれた鉄で作り上げたのが始まりなのだ。
「金虫柵は都へ戻る道筋と逆側になります。巡礼隊との合流は難しくなりますが、よろしいのですか。……つまり、あなたが陛下のご遺体をお連れすることも叶わなくなります」
「構わない。俺は俺のすべきことをする。それは伊里津国にとって最大の脅威を排除することだ」
阿茲迦は何か言いたそうな顔をして照隅を見た。薄い色の瞳に焚火の炎が映って揺らめいている。
なぜかそれが、阿茲迦の迷いであるように思えた。
とても長く感じられる沈黙が過ぎて、阿茲迦は首肯した。
「わかりました。今はその方がいいでしょう」
どういう意味だ、と照隅が問おうとした矢先、でも、と阿茲迦が言葉を継いだ。
「殿下は平気なのですか。この先も、私と……大逆人と二人きりで旅を続けることが」
「何だ、そんなことか」
照隅は微笑んで、阿茲迦の肩を叩いた。
「お前は今までも、今も、いつだって俺を殺せただろう。だから、どっちだって一緒さ」
「……それもそうですね」
ふ、と阿茲迦はひとつ息を吐いて立ち上がった。
「近付く者を感知する術を掛けておきます。気休めですが、」
「悪いな。……そうだ、かんなぎ殿」
「何でしょうか」
振り向いた阿茲迦の方へ照隅は胡座をかいたまま向き直って、聞いた。
「お前、『蛇寄せ』の術のことをなぜ知っていたんだ」
空では星が光っている。虫の声がする、静かな夜だった。まるでこの世に恐ろしいことなど何もないというような。
「…………」
阿茲迦は黙って照隅を見つめ返していた。感情の扉を閉ざしてしまうとこの男はこんなに冷たく生気が感じられない、と照隅は思う。
「以前、調べ物をしていて必要になり、社人頭に願い出て文書を見せていただいたのです。その範囲内に、蛙の死体を使った術についての記述もありましたので」
社人は神樹に関わる祭祀を取り仕切る、祭司長としての王の補佐役だ。王家と同じく世襲制であり、王家の抱え込んだ門外不出の記録類を管理する役目も担っている。
「ああ、そうだったのか」
照隅はパッと表情を変えて笑った。
風が草地を渡って、小さくなった焚火の炎を揺らした。北方は初夏でも夜になれば寒い。
阿茲迦は樹の根元で頭から着物を被って膝を抱えていた。時折微かに寝息が聞こえてくる。
照隅は時折枯れ枝の先で熾火をかき立てながら座っていた。
「……皮肉なものだ」
その声音は、自分でも驚くほど陰惨な響きを帯びてしまった。
(阿茲迦は『蛇使い』と通じている)
半日ずっと、歩きながら、話しながら、危険に直面しながら、考えていた。
大巫、阿茲迦が王を殺した理由は何か?と。
狷介な王だった父が死に、兄が即位してからというもの、照隅は兄に忠実で、欲のない弟として、兵権も領地も求めず、兄から与えられる金でふらふら遊び歩いている放蕩者として振る舞ってきた。
その有り様が一番、世間の人間にとって自分が「容易い的」になれると分かっていたからだ。
照隅の持つ小金を当てにして近寄ってくる者たちは何ら脅威ではない、照隅の血筋に目をつける者は要注意。王宮の外にいる方が、身分の高い者の本質はよく分かる。照隅が親しんでいるのは金持ちの道楽息子、遊女、ヤブ医者、旅芸人に犯罪者だ。彼らの話を聞き、彼らに味方だと思われることで王都を裏側から把握しようとしてきた。人を見る目には自信がある。
阿茲迦は、富にも身分にもまったく興味がない。それはほんの短い付き合いでもすぐ分かった。そういう者を動かす動機は何か? 阿茲迦には負の感情を感じない。恨みも嫉妬の匂いもしない。故郷への愛着も感じられなければ、王への憎しみも感じられない。
(だとしたら残るものは一つしかない。「正しさ」だ)
阿茲迦は仁慈に拘る。民を傷つけることを嫌い、人を殺めることに躊躇する。そんな人間が王殺しを決意するとすれば、理由は、「王を殺さねばもっとたくさんの人間が死ぬ」からに違いない。
(最後まで分からなかったのは、その、「王を殺すことで助けようとしている大勢の人間」とは誰なのか、ということだったが)
さっきの問答で分かった。蛇寄せの術についての照隅の鎌かけに、阿茲迦ははっきりと嘘をついたのだ。
阿茲迦は蛇使い関連の文書を見るために社人頭に願い出たと言ったが、王家の文書庫の鍵を預かっているのは社人のうちただ一人で、その一人は照隅の乳母兄弟で幼馴染の一乃知繁之なのだ。繁之は、怪しい閲覧申請があれば必ず照隅に報告する。だから、阿茲迦が文書を読んで蛇寄せのことを知ったというのは嘘で、もとから術を知っていた。それは阿茲迦自身が蛇使いの一員ということに他ならない。
(恐らく、蛇使いの連中は王家に対して近々何らかの大規模な攻撃を予定している。阿茲迦はその露払いとして兄上をまず殺した。失敗すれば皆殺しにされるのは奴らだから……)
阿茲迦が第一に仁慈を施す相手は、この国ではなかったということなのだろう。
蛇使いの巫に今日襲撃されたのも、阿茲迦の口封じのためだったと考えるのが自然だ。もともと仲間で、阿茲迦の王殺しを知っていたなら、近くに潜むことも簡単だったに違いない。実際、照隅が懐剣を持っていなければあの場がどうなったか分からない。
照隅は懐を探る。裂いた服地にくるまれていた細長いものを丁寧に取り出す。阿茲迦は「勿体ないですが捨ててください、巫術に使ったものは汚染されますから」と言ったが、照隅はこっそり持って来ていた。
それはあの、黒焦げになって折れ曲がった懐剣の残骸だった。
(恐らく、これが蛇使いに俺たちの居場所を教えた呪具だ)
阿茲迦は、蛇使いに自分たちの居場所を教えるような物品を持っていない。思い付く当てがあれば自分から「なぜ我々の居場所を知っていたのか」などと話題に出さない。見ていれば分かる。阿茲迦は感情を隠すのは上手いが、「何も隠していない振りをする」のは致命的に下手だ。
この懐剣は文書庫に隣合った王家由来の呪具を納めた倉庫にあったのだが、点検の際に照会したところ、目録にその存在が記されていなかったのだ。困った繁之から相談を受けた照隅は、兄にねだって自分が貰い受けることにした。兄は遊び人の弟がまた賭場で借金を作ってきたのだろうと笑って許してくれた。
(王宮のかなり奥まで入り込める身分の者の中に、蛇使いの同調者がいる!)
恐らくその者が阿茲迦を唆し、王に近付くことができる大巫という立場を利用した王殺しを唆した。
(馬鹿なやつだ。結局他人に利用されて、史書に王殺しの汚名を刻まれるのはお前ひとりとは)
我知らず、乾いた笑いが漏れた。
阿茲迦を都へ帰す気ははなから無かった。大人しく裁きを受けるというが、都にいる蛇使いの仲間たちは、阿茲迦の口封じをし損ねたと分かれば次は阿茲迦の奪還を試みるだろう。「神樹の裁き」にかけられる前に阿茲迦を連れ出されてしまえば、向こうの巫者と阿茲迦の二人に対抗できる巫など都には存在しない。王都で籠城するのは連中にとっても本意ではなかったとしても、最終的に王家が勝利するとしても、おびただしい犠牲を出してしまえば実質こちらの負けだ。
「…………」
照隅は温度のない目で懐剣を見つめていた。
(阿茲迦を、斬らねばならない)
今度こそ、確実に。
金虫柵では巫力刀のみならず、巫者を拘束するための呪具も造られている。阿茲迦を無力化し、知っていることを洗いざらい吐かせて、殺す。
阿茲迦が北方の出身だと自ら明かした時、驚きはなかった。その古めかしい名前も、色の薄い髪も目も北の辺境の雰囲気を漂わせていたからだ。
もともと北方の人々には巫術を戦いに利用するという発想が無かった。巫術はこの土地で生き抜くための力だった。王権と対立を深めていくなかでも巫者の軍事転用はなかなか進まず、代わりに彼らは少ない巫力で巫者を倒す鉄を錬り上げた。
その、北の大地が生んだ当代最強の大巫が、神樹の加護を受けた王を殺し、王弟である自分は巫者殺しの刀を求めて阿茲迦を斬ろうとしている。これを運命の皮肉と言わずして何と言おう。
(どうでもいい、そんなことは、俺には関係ない)
俺は刀だ。刀には物語も因果も必要ない。俺には役割しかいらない。
自分が何をすればいいのかさえ分かっていれば、明日死ぬと分かっていても陽気でいられる。
そう、思い直して、ふたたび懐剣の残骸をていねいに布にくるみ、懐深くへしまい込んだ。
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