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第12話 雪解け
菊正は週に一、二度、桜都の傍に呼ばれるようになった。
直接的な許可をもらったわけではない。
「触らせてください」と申し出たとき、返事はなかった。しかし拒絶もされなかったので、菊正は勝手に許しと受け取ることにした。
夜中にうなされる声は消えた。
その代わりに菊正の腕の中にいる間だけ、甘い声を漏らすようになった。
これは家臣として主君を助けているだけ。
そう自分に言い聞かせながらも、背後にある真実はじわじわと菊正を盲目にしていた。
ある人からの文が届くまでは。
「菊正、先ほど門にてこれを預かった。お主宛てだ」
昼過ぎ。
城内を歩いている同僚から文を受け取った。
「もしや、|女子《おなご》か?」
「ち、違いますよ……っ!」
にんまりと微笑みながら聞いてくる同僚に、慌てるようにして答える。だが、その反応がさらに彼の推測に確信を帯びさせてしまったらしく、がはははと大げさに笑うと、菊正の肩に手をまわしてきた。
「ほかの者には黙っといてやるから心配すんな」
小声とともにウインクまでしそうな勢いだ。これ以上絡まれるのはごめんだ、と急いで人けのない物陰に隠れた。
慎重に封を切った。
墨と筆で書かれた力強い字。それを菊正は何度も見たことがある。
七日後、子の刻。
汝は真っ先に火を放ち、城内を乱すべし。
その隙に我ら城内に入り、殿を討つ。
城外南の林にて落ち合うべし。
他言無用。
勝日部
すっと、頭が冷えた。
頭の片隅に押しやっていた事実が、目の前に突きつけられる。
ここに来た初めの頃は、ただ任務を遂行するために何が最善かを考え、行動することが当たり前だった。なのになぜ今、こんなにも手が震えているのか。
菊正は城内に戻ると、人のいない囲炉裏を探し、文を投げ入れた。
端に火が燃え移り一気に燃え上がる。紙は一瞬で赤く縁どられ、次第に黒へと崩れていった。和紙で書かれた文はよく燃えた。あっという間に灰になり、そこには文があった痕跡もない。
「殿、僕はあなたを……」
その光景を眺めながら、抱いていた感情も炎に包まれて形がなくなっていく。
*
「菊正、来い」
城内が寝静まった深夜。
少しの恥じらいを含んだ小さな声がした。
菊正は筆を置くと小袖を整え部屋を出た。
隣室に入ると、桜都が息を殺し石のように固まっていた。横にゆっくりと腰を下ろすと、怯えたように体を跳ねさせた。その動作が菊正の目には酷く愛らしく映って、思わず笑みをこぼした。
────七日後。
「……触りますね」
後ろから腕を回す。また腕の中で彼は体を揺らした。右手を腰の後ろに持っていき、下帯の紐を手探りで探す。先端を見つけると、焦らすようにゆっくりと引っ張った。布がはだけ落ち、秘密の場所がさらけ出された。
「もう、元気ですね」
ぴんと芯を持ったように力強く上向いた先端を、人差し指が当たるか当たらないかの距離感で触る。
「んん……っ、言わなくて、いい……っ」
目をつぶった桜都が全体重を預けてくる。
驚くほど軽い。小動物が寄りかかっている程度の負担でしかなかった。頭の部分を優しく撫でるように擦ると、桜都は甘い声を上げ始めた。
────この人が、七日後には。
「それ、やだ……っ」
「じゃあ、どうされたいんですか」
「知ら、ない……あああ……っ」
一気に強く握りしめると、少し大きな声が出た。はっと我に返ったように、慌てて口を塞ぐ桜都を見ながら、菊正はゆっくりと耳元へ唇を寄せた。
「変態」
「んあああ……っ!」
その瞬間、桜都のものから白い液体が勢いよく飛び出した。
全身をガクガクと痙攣させ、ぎゅっと目をつぶる目尻には薄く涙が溢れていた。その姿が菊正の加虐心に火をつけるのに十分だった。
菊正は自信の手が濡れた手を、そのまま口元に運んだ。
ぺろり────
舐めた。
苦味が口の中に広がるが、嫌悪感はしなかった。
白いものが一滴も残らないように、綺麗に舐めとる。
「菊正……今日のお前は様子がおかしい」
暗闇の中でも桜都の顔が赤く染まっているのがわかった。頬、耳、首筋、全てが熟した林檎のように真っ赤だ。
「そうですか?」
「いつもより、い……意地悪だし、そんなこと普通しない」
「そんなこと、とは?」
「わ、わかっているだろう!その……私の出した汚いものを舐めるなんて、おかしい」
「あなたの全てが綺麗です」
より一層桜都の顔が赤色に染め上がった。
その反応を見て、菊正の奥底に沈めておいてあるはずの何かが、じわじわと浮き上がろうとしていた。
「殿」
滅多に出さない低い声だった。
それに気づいた桜都が「どうした……?」と恐る恐る顔を上げる。
「七日後の晩、ここに……」
そこまで言いかけて、言葉が止まった。
言えば終わる。
伝えてしまえば、この夜も、腕の中の温もりも、全部終わる。
心配そうな瞳がまっすぐにこちらを見ていた。
「いえ」
菊正はゆっくりと笑った。
「言いたいことを、忘れてしまいました」
それにつられるように、桜都も口角を少し上げた。
「今日のお前は、本当に変な奴だ。もう寝ろ」
「はい、そうします」
自室に戻ると、ろうそくの火がいつの間にか消えていた。
薄暗い中、書きかけの文に視線を落とす。
城の兵の配置、巡回の様子、兵糧の量、主君の健康状態。
その一行一行が誰かを生かし、誰かを殺すことになる。
「無駄に……してしまったな」
それはろうそくに向けた言葉だったのか、それとも────
その答えをくれる人は誰もいない。
菊正はただ自分の言葉に薄く笑った。
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