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【3部】最終話 復讐螺旋

 夕暮れの空の下。  ウインドブレーカーのシャカシャカする音が聞こえる。重たいリュックを背負い、履き慣れた運動靴で下校していると、前方に弟の後ろ姿を捉えた。 「有理」  呼びかけると、くるりと振り返る小さな身体。 「兄ちゃん?」  理一は居ても立っても居られず、有理目掛けて走り出した。有理は「げっ」と短く鳴いて、理一に呆気なく捕まった。  ぎゅっと抱きしめると、腕の中でもがき始める。 「うわぁっ、やめろ! うざいっつの! 放せ!」  振り解かれ、手持ち無沙汰になる両手。有理がジト目でこちらを睨んでいた。 「なに急に……キモいんだけど」 「……兄に向かってなんだその態度は」 「そうさせてんのはお前だろ!」  ふくれツラに人差し指を押し付けると、また振り払われる。  何故こんなにも反抗的なのか。反抗期なのもあるだろうが、思い当たる節がある。 「この前練習に付き合ってやんなかったこと、根に持ってんの?」 「……別に」  伏目がちに逸らされた眼。  理一はふっと笑って、有理の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。 「じゃあ、今日は付き合ってやるよ」  言うと、有理の不貞腐れた表情がパッと解けて、切れ長な目がこちらを煌々と見つめてくる。 「……ほんと?」 「ほら、はやく」 「でもさ、兄ちゃん」  有理に手を掴まれる。 「今は、俺よりも大事なもんがあるんでしょ?」  ──何を言ってんだ。  問い詰めるようなその質問に、頭の中にあるものがスッと消えて無くなっていく。背筋が凍りついて、いたたまれなくなる。 「知ってるよ。兄ちゃんが俺のこと大切に思ってること。でも、それ以上に大切なものが他にあるよね」  理一は有理の手をやんわりと振り解いた。 「……ないよ」  ぎこちなく答えると、有理の視線が突き刺さる。 「ううん。あるよ」 「……ない」 「何で認めないの?」  有理の手が服を掴んでくる。 「認めろよ」  目の前にいるのが本当に有理なのか、分からなくなってくる。  理一は浅い呼吸を繰り返した。 「黙れ、違う……」 「そうやって否定するから、いざって時に失くすんだよ」  ズキリと胸が痛む。  ──僕は、同じことを繰り返して、二回も失敗している。意地を張って、大切にしたいものを大切にできずに、壊してしまう。  服を掴む手がパッと離れ、有理は自身の首の後ろで腕を組んだ。 「もっと素直になれば?」  あっけらかんと放つ有理に反して、理一の中の重苦しい感情は膨張していく。 「でも、それじゃあ……僕が今までやってきたことは……一体なんだったんだよ……」  有理のために人を殺して──西垣洸を傷付けてきた。有理の存在を理由に、お前は一番にはなれないと突きつけて悲しませた。  認めてしまえば、これら全てに、意味がなくなってしまう。  俯くと、有理が抱きついてくる。 「兄ちゃんはさ……余計なことしたよな、ほんと」  失望や呆れの中に、慈愛が混ざった声が優しく紡ぐ。 「俺、兄ちゃんのこと大好きだけど大嫌いだよ。あんなの頼んでねーし」  抱き返してすぐに、強く突き放される。 「もうやめていいよ」  子供とは思えないその強さに、理一の身体はよろめいた。 「嫌だ、有理……」 「バイバイ」  見慣れた笑顔と、大きく手を振る姿。  ──嫌だ。嫌だよ。  ──どうして、みんな──僕の前からいなくなる?  ──僕を、独りにしないで。  カンカンカン、とドラムスティックを叩きつける音がして目が覚める。  先ほど再生したばかりの映画がいつの間にか終わり、エンドロールが流れていた。メタル調の洋楽がけたたましくスピーカーを震わせていた。  ──久しぶりに、夢に有理が出てきたな。 『バイバイ』  どうしてか。もう二度と、夢に有理が出てきてくれないような気がした。  理一は寂しさを紛らわすように背伸びをして、パイプ椅子に座り直した。  テレビ台から視線をずらし、眠ったままのコウを見つめる。  ──コウくんはこの映画を見たら、なんていう感想を抱くんだろう。  今日が、自分の誕生日だった。  せめてこの日だけは、二人で過ごしたいと思ってこの部屋に来た。  不愉快な曲を消し去るためにサイドテーブルに置いたリモコンに手を伸ばすと、ワイシャツから透けた彫り物が視界に入り、やるせなさを感じる。  ケジメをつけろと、墨を彫られた。義父が生前、この身体に彫ることを勝手に決めていた絵。  日本に戻ってきてから、なにも上手くいっていなかった。 『早く、理一さんの誕生日にならないかな……』  コウに祝福の気持ちがあったのかは分からない。自分を終わらせるための期日として、この日を利用しようとしただけかもしれない。  でも、素直に望みを口にするなら──。  彼に、祝ってもらいたかった。  突然孤独を感じ取り、暴れたい衝動が湧いてくる。  コウの誕生日の日は、二人で寿司屋に行って、ラブホで映画を見て、抱き合った。  あの日常が、続いてくれるだけで良かったのに。  もう、戻れない。  失くしたものは、返ってこない。いつだってそうだ。  独りは、嫌なのに。  目から生温かいものが伝うと、ガシャンと大きな音が響く。  自身が、ゴミ箱を蹴っ飛ばしていた。 「っ、うぁぁ……!」  飾られていた花瓶を叩き落とし、テレビモニターを乱暴に倒して台から突き落とす。  衝動が抑えられず、本能のままに破壊行為を繰り返していると、パタパタと足音が近づいてくる。 「ちょっとお客さーん……暴れないでくださーい」  佐野が部屋に入ってきた。佐野は粉々に割れている花瓶を目にすると、一目散に飛びついた。 「あー! この花瓶高かったのに!」  破片を拾おうとする佐野の腕を掴み、自身に引き寄せた。 「いつになったら、コウくんは起きるんだよ……なぁ……」  佐野は一瞬驚いた顔をするが、すぐに呆れを含んだ微笑を浮かべ、どこかに目線を向ける。 「知りまへんがな」  腕を振り解かれると、今度は小さな紙袋を突き出してくる。 「そんなことより、ほい。夏木から」  理一は予想外のことに反応ができず、一拍置いてから睨みつけた。 「いらない」 「受け取らないと後悔するよ」  ずいと押し付けられ、理一は仕方なく受け取った。 「お前はこの子から奪うことばかり考えてたのに、この子はお前にたくさんのものをくれるんだね」  佐野が眠るコウの頬を指先で撫でると、「じゃ、自分で暴れたんだから部屋片しとけよ」と立ち去ってしまった。  部屋に静寂が訪れる。  理一は倦怠感を纏い、パイプ椅子に腰掛けてモタモタと紙袋を開ける。  中には、正方形の小さなケースと手紙が入っていた。  手紙を広げると、また孤独に襲われる。  それは、西垣洸からの手紙だった。  海外での生活中に頼まれた買い物メモと同じ筆跡。間違いなく、コウの文字だった。  理一は最初の文から最後の文までじっくりと読み込み、次第と焦がれる気持ちに支配される。 『お前はこの子から奪うことばかり考えてたのに、この子はお前にたくさんのものをくれるんだね』  本当に、そのとおりだった。  ──僕は、彼を死から遠ざけるために、足を奪おうとした。けれど彼は、僕を純粋に愛して、たくさんのものをくれた。  ──コウくんは目の前にいるのに、遠くにいる。どうして、こんな手紙を残して、先に逝こうとするの。  こんなものを書くなら、一緒にいてくれればいいのに。ずっと、一緒に生きてくれればいいのに。  そんなことを望む資格は、やっぱり自分には無かった。  理一は手紙を大切に戻し、正方形のケースを開けた。  手紙の内容の通り、そこには指輪が入っていた。ネックレスの一部が指輪の少し上にある位置から覗いていて、底蓋を持ち上げると取り出せる仕様になっていた。  試しに、指輪を薬指に嵌めてみると、ピッタリだった。 「コウくん、ちゃんとピッタリだよ」  笑いかけても、返事はない。  無音の部屋の中で、また狂っていく。  最後に味わった血の味にまみれたキスを思い出して、恋焦がれる。初めて見たコウの笑顔。もっと、見てみたかった。  彼がいつもみたいに返事をしてくれないことが──受け入れられない。 「ねぇ、起きてよ」  語りかけても、何をしても、コウが返事をすることはない。諦めきれなくて、ここに訪れる度にしつこいほど語りかけてしまう。  ぐっと拳を握り、歯を食いしばる。 「いつになったら起きてくれるの。生きてる限り、一緒にご飯食べるんじゃなかったの」  嘘つき。  罵った言葉は、全部自分に返ってくる。  一人で食べる食事はただの生命維持の儀式でしかない。買った惣菜も、料亭の食事も、全部美味しくなかった。  食事が、罰のように感じられた。 『たまに思い出してくれるだけでいいよ』  ──結局、コウくんが目覚めるかもしれないという僅かな希望に縋って、僕はこの世界に立っている。  ただただ〝もしかしたら〟という感情に突き動かされている。  そうして、彼に囚われたまま──螺旋の中に組み込まれる。

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